EPISODE53 すうねんまえ
ツィオン山は大きな山である。その裾野は東アインまで伸び、その崖は西アインにまで達する。断崖絶壁を登り、強烈な山風を突き破れば、そこは万年雪に閉ざされた白い小さな村がある。その村は、名をヴィアナルスと言った。古くからの伝統を守り、言い伝えを護り、多くの戒めと自由と、義務と権利を持つ、法と戦士の村である。
村長であるヴィアナルス家は、代々多くの言い伝えを護る旧家であり、この村の全ての自治はこの家の長が務めていた。ヴィアナルス村に住む一族は、皆ヴィアナルス家の先祖の部下たちで、代々十八番の得物があり、産まれた子供達は、ダアトへの叛逆心と共に、その技術を教え込まれて育つ。ヴィアナルス家は、その中で特異な得物を持っていた。彼等の武器は、銃剣や毒ではない。代々その家に生まれる子供が、先祖から受け継ぐのは、兵法―――平たく言えば帝王学である。この家の子供は、アイン七家族を統べるに足るリーダーになる為の教育を伝統とする。
その代のヴィアナルス家は、一男一女を設けていた。姉の名はマルタッタ、弟の名はマルク。どちらの子供も、何れアイン・ソフ第一位「マルクト」に通じる名前を受けた。
姉マルタッタは聡明であり、多くの知識を吸収する才女であり、教養深く、大いに村の古老たちに愛された。
弟マルクは闊達であり、多くの技能を吸収する秀才であり、信頼厚く、大いに村の次代を担う跡継ぎたちに愛された。二人の子供は、どちらが「マルクト」を継ぐということに捕われることなく、のびのびと育ち、その成長はヴィアナルス村全ての喜びであり、希望であった。
ヴィアナルス村の者たちは、妬まない。僻まない。何故ならその血に流れる玄人の魂がそれを許さないからだ。投擲の技術が無いと嘆く者には、銃の知識が伝わっている。銃の技術が無いと嘆く者には、戦車の知識が伝わっている。戦車の知識が無いと嘆く者には、薬の知識が伝わっている。どの家もその技術の第一人者であり、他の技術の弟子であった。
しかし、そのようなヴィアナルスの誇りを持たない者たちも、また存在した。
当時、西アインからの軍備品の供給ラインが脅かされていた。それは西アインの武器商人が、離散していた為である。彼等は七家族の末席にいながらにして、アインの誇りを売り、裏切り者に与する道を選んだ。そして裏切りの歴史を伝承として受け継ぐ。そんな彼等の長の謀反によって、その集落は没落し、その長に縁する者たちは、南と北とに分かれた。少なくともヴィアナルスは、彼等を歓迎した。
一族を捨てたその族長は、夫の名をシャムシェル・アンモナ、妻の名をルシフェラ・アンモナと言った。彼等の孫娘カリエラ・アンモナは、幼い時、そのような背景から、ヴィアナルスに移り住んだ一人だった。
族長に裏切られたアンモナ家の人々の心は荒んでいた。支配を望み、多くの軋轢を生んだ。
しかし、特にマルタッタは、帝王学を生かし、彼等との和解を望んだ。しかしその才能をそのような些末事で埋もれさせてしまう事を恐れたマルタッタは、海外留学を通じて、更なる発展を目指した。
和解を望む友を失ったカリエラは、村の人々を困らせた。一度、ある少女に大怪我をさせたとして、保護者が出て来る事になった事がある。しかし、母親は出てこなかった。少女の母親は、嫁入り前の身体を傷つけたとして母親に責任を取らせると強く詰め寄ったが、母親は勿論、父親さえ出てこなかった。
自分さえよければ良いという、祖父母アンモナ夫妻から最も強くその血を受けていたのだろう。カリエラは日毎に、自分より劣った者を襲うようになり、奇声をあげ、夜に騒ぐようになった。人々はカリエラを村の郊外へ移し、距離を取りながら、彼女の成長を待っていた。カリエラが正常になれば、前のように、村の子供らと遊び、高め合い、ヴィアナルスの学校にも戻って良い、と告げて、その時を待っていた。
翌年、マルタッタが留学先から帰って来た。
マルタッタは一層聡明になり、美しく成長して帰って来た。精力的に学業に励んだ結果、スタイルはより戦士らしく引き締まり、その瞳は沈着冷静そのものであった。家族と再会の抱擁を交わした翌日朝早く、マルタッタは行く所があると言って家を出た。そしてそれが、ヴィアナルス家とマルタッタの最期の別れとなった。
夜になっても、マルタッタは帰ってこなかった。村中の者が、マルタッタを探した。
ある、暗器の家の子供で、マルタッタとマルクの友人でもあった子が言った。
「もしかしたら、秘密基地にいるのかも」。「マルタが出て行く前に、皆で秘密基地に行ったんだ」。「あの秘密基地は、マルタが出て行ってから使っていなかったんだ」。「でも、カリエラは使っていたんだ」。「これだけ探してヴィアナルス村にいないんだ。もしかしたらそこにいるかもしれない」。
子供が案内した秘密基地は、ツィオン山の山頂へ至る登山道の山肌の一角だった。厳しい断崖の裂け目から、僅かに生臭い臭いがしたことを、死体の見たことのないヴィアナルスの戦士たちは記憶している。
裂け目の中には子供が遊ぶためのガラクタ、訓練用の使い捨て用的などが散乱し、そしてその地面は濡れていた。血だった。
ライトで照らして中を覗くと、血塗れのカリエラが立っていた。足元には小さなカッターナイフが落ちていた。その前には、首を大きく傾げ、白目を剥き、鼻血を出して倒れていた。マルタッタは死んでいた。
マルタッタの死因は頸動脈切断による失血性ショック死だった。発見した時、既に十二時間以上経過していた。マルタッタは家を出て、すぐにここにやってきて、待ち伏せていたカリエラに殺されたのだと全てが物語っていた。
村では裁判が開かれたが、その時になって漸くカリエラの父ニタが公の場に現れた。ニタは検死結果、容疑を聞くや否や、カリエラを張り倒し、罵詈雑言を浴びせ、その場で親子の縁を切ると宣言し、その日の正午を過ぎる頃には、荷物もなく山を下りた。その為、裁判はカリエラ一人が受ける事になった。
カリエラは自分のしたことについて何も言わなかった。「マルクト」を受け継げるだけの才能を失ったヴィアナルス家は怒り狂い、カリエラの追放を決定した。カリエラは戻って来られないように、しかしダアトに着く事は出来るように、目を隠し耳を覆い、ジープで山を途中まで下り、ダアトに向かって追放された。
その後も、カリエラの動向は、義勇都市ヴィアナルスに住む隠密や密輸の家系の者が監視していた。
カリエラはダアトに着くや否や、教会に住む当時大司教であった自分の祖父母の下に身を寄せ、養護施設で働きながら過ごしていた。カリエラの祖父母は、カリエラが人を殺したことを知らないようであったし、カリエラにその罪業を忘れさせるための洗脳も施していた。カリエラはいつしか国立学校に通い、そこで嘗てのアンモナ一族たちのように、暴君のように振舞い始めた。それは、カリエラが何も学習していない事を意味していた。同時に、カリエラがダアトの外と何らかの交流を持っていると言う事も、我々は掴んだ。しかし、それは今日に至るまで、巧妙に隠されている為、我々は把握できていない。
しかし、恐らくそれらは全て、この茶番の長い洗脳旅行の為であったと推測すれば、理解することが出来る。
カリエラはこの旅行を通じて、反乱軍としてのヴィアナルス会を教え込もうとしていた。しかしそれは事実ではない。我々は圧政を弾き、人間の人間らしい、人間による統治を行うために、歴史の指導者とならなければならないのである。それは短慮な暴力ではない。我等の頭目が帝王学を修めている事が何よりの証拠である。
カリエラはこの旅行を通じて、天使見習いという存在が潔癖な存在であると教え込もうとしていた。しかしそれは事実ではない。ダアト人もアイン人も、基を正せば同じ人間であり、また建国当初の原始時代には共に暮らしていた。しかしダアトではこの歴史は教えられていない。何故ならそれを教えてしまえば、ダアト人は天使見習いと言うまやかしを使えなくなるからである。
カリエラはこの旅行を通じて、奇跡があると信じ込ませようとしていた。しかしそれは真実ではない。奇跡が起こるのなら、ありとあらゆる裏切りは起こらない。人は弱く、脆く、その故に強いリーダーを自主的に育てなければならない。そのような者こそが、世界を統べるに足る王である。そしてダアト人はその教育を忘れ、政府の忠実な奴隷を作る為に、高等教育を統制したのである。
故に、ダアト人は不幸である。真なる自由を勝ち取るための正しい戦い、洗練された軍隊、強く凛々しい精神の下に、原初の尊厳を取り戻すべきである。
そしてそのための準備を整えた我々ヴィアナルス会は、このバーチャル・リアリティを見せられた全ての諸君に、諸君らの未来に、無垢なる善、完全なる勝利、永遠の自由を約束すると誓う。その力を誇示する為であるなら、我々はどのような要求にも応じるだろう。




