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少年秘密警察の日常  作者: 家宇治克
夢幻絵画盗難事件
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最終話 同じ目線で

 現場近くに残した車は明朝少秘警に運ぶと言うし、治療費も必要なら半額負担すると言う。

 パトカーの後部座席で、鏡越しに新戸の顔を窺う。どこかにあるハズの傷を探すと新戸が深いため息をついた。

「頭に傷は作ってませんよ。正常です」

「その割にはおかしいと思うてな。何か考えてるんとちゃう?」

「いいえ。何も」



 沈黙が訪れた。

 都内を走っている間、誰も話さなかった。

 桜ヶ丘に入る頃、渋滞に巻き込まれた。ひととせは窓の外から目を離さなかった。


「能力者は嫌いです」


 新戸がぽつりと呟いた。消えてしまいそうな一言だった。


「常識から外れ、科学でも解き明かせない異常現象の塊。頭のおかしい連中で、変な力を当たり前に用い、他人を平気で殺せる輩。人を人として見れない野蛮人」

「さんっざんな言いようやなワレェ」



「だと思っていました」



 新戸は深呼吸してハンドルを握り直す。

 俯き、首を軽く振った。

「知性も理性もない、痛覚さえもない獣だと思っていました。実際、警察学校でもそう教わりましたから。でもそうではないと今更気づきました。人が傷つけば悲しむし怒るし、怪我をすれば痛い。少秘警は正義感も責任感も強かった」


 杏は大人しく聞いていた。

 ひととせも耳だけは新戸に向けた。


「私は能力を持たない人間です。能力者同士の気持ちの共有は出来ません。でも、あなた方を見る目は変わりました。今なら、あなた方の署長さんの言っていた意味も分かります」


 渋滞が動き出した。新戸もアクセルを踏み込む。

 新戸はその先を言わなかった。

 それでも十分だった。

 杏は高揚した気持ちを抑え、外に目を移す。

 いい月夜だった。


 ***


 朝のニュース。緑茶の渋い匂い。


『昨夜未明、東京湾沿いにある貸倉庫にて美術館より盗まれた絵画が発見され、その場にいたマフィアが逮捕されました。警視庁の調べによりますと、そのマフィアというのは───』


 なんや。名誉挽回出来とるやん。

 刑事課から署長室に避難してきたテレビがそう言った。警視庁はどん底から少し浮揚したと。

 杏は薄らと笑った。ひととせが咳払いをする。

 杏は前を向き直した。

 署長は報告書を前に、手を組んで眉間にシワを寄せている。あからさまに怒っている様子はないが、胃が捻れ、穴が開くんじゃないかというくらいに痛む。署長が顔を見てくる度に背筋が凍り、手を組み直すだけで涙が出そうになった。

 ──帰りたい。


「兄上から報告を聞いた。そして、この報告書にも目を通した」


 声が体を締め上げる。低めのトーンで余計に恐怖心を煽ってきた。

「杏、尋問をしただろう。報告書にちゃんと記せ。虚偽の申告だ」

「はい······」

「そもそも尋問が禁止なことも分かっているだろう。ひととせは『知っていたが止めなかった』と」

「はい。すみませんでした」

「全く、揃いも揃って何をしているんだ。尋問の他に一般人に能力の使用、ハッキング、美術館の照明も壊したと。それで昨夜は時間をずらして連絡してその怪我を······か」

「悪気はないんですよ。ただその、早期解決のためにしてもうた事で······」

「分かっている。各々責任を感じ、最善を尽くしたのだろう。それは評価しよう」

 署長は眼力をより鋭くする。

 長いまつ毛が微かに白くなった。


「私が叱るべきはその傷だ。不注意過ぎる」

 署長は細く長い指で二人を指した。手当て済みの傷を見つめ、ため息をついた。

 確かにあの時は能力を過信した。ひととせが全員海に投げたと思ったから、倉庫内を警戒しなかった。それは自分の落ち度───

「違う違う。そうではない」

 署長は首を振った。腕を組み、口をへの字にする。報告書にもう一度目を通し、二人に問う。



「どうして取引の開始時刻に呼ばなかった」



 ──それは。

 杏は言葉を詰まらせた。


 新戸に花を持たせるつもりでやった事。それが真実で、そう言えばいい。しかし、そう言おうと思ったが、それが出てこない。

 杏が口ごもっていると、ひととせが頭を下げた。

「俺たちだけで出来ると過信していました。申し訳ありません」


 署長は「だろうな」と、額を押さえた。

 ひととせが頭を上げると、署長は静かな口調で言った。


「お前たちは怪我をしても構わないのだろう。だがな、私たちにはお前たちを守る義務がある。肩身の狭い思いをさせておいて、間抜けた事を抜かしている自覚はあるが。それでも勉学に励ませ、十分に遊ばせ、悪意から守り、健全な心身を育ませる、親としての義務があるのだ。理解しろとは言わん。だが心のどこかに留めて置いてくれ」




「『死ななければいい』と思うな」




 署長にぴしゃりと叩きつけられた言葉。

 杏は敬礼で返事をした。ひととせも「気をつけます」と敬礼する。

 ふとテレビの歓声が大きくなった。

 目をやると、絵馬が脚立に上り、美術館の壁に施したペイントを剥がそうとしていた。カラフルなペンキの上に、黒のペンキがぶちまけてあった。


 ──失敗作か。まさか、壁紙ごと···?

 杏の考えは杞憂だった。

 壁一面を覆う紙が貼ってあった。絵馬がそれを剥がすと、虹色に輝く竹林を悠々と歩く虎が現れた。

 葉の散る竹林に堂々とした虎の勇ましさたるや。なんと力強いことか。


「ほう、事前に切った紙を壁に貼り付け上から色を塗ったのか。天才は考えることが違うな」

 署長は感心してテレビに微笑んだ。

 緑茶にひと口つけると、「さて」と切り替える。和やかな空気が一瞬で緊張感を帯びた。

「違法まがいな捜査をした故、罰を与えねばならない。好きな方を選べ」


『頭』で償うか。

『体』で償うか。


 ひととせは『頭』と即答した。

 杏は少し悩んでから『体』と返す。


 署長は返答を聞くと、ひととせに数学の参考書を渡し、杏にはカマを渡した。

「杏は諜報課周辺の雑草処理、ひととせは数学の試験だ」


「「えっ!!」」


「雑草処理は『良』判定が出るまで、試験は八十点以上で合格とする」

「ちょ、ちょっと待ってくれまへん? 草刈り!?」

「いきなりですか!? しかも数学······」

「肩を怪我しているからな。ゆっくりでもいい。数学は二十九項から五十五項までを範囲とする。二刻後に試験をするからそれまで勉強しろ」

「署長そんなぁ······」

「罰は罰だ。さぁ文句を言う暇があるなら早く取りかかれ。今日の定時までに終わらせないと、居残り狩りは貞子ていこの番だ」

「なっ長谷警部!? ヤバい早く終わらせなきゃ!」

「すんまへん! 失礼します!」


 慌ただしく署長室を去る二人を笑って見送った。

 署長はテレビに映る絵馬を見つめ、テレビを消した。緑茶の上を漂う湯気が消える頃、署長は窓際に寄りかかり、聴こえない歌に耳を傾けた。


「······いい歌だな」


 美しい、少女の歌声に聴こえた。

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