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少年秘密警察の日常  作者: 家宇治克
アリス狂乱茶会事件
44/109

44話 チェシャ猫と嘘 4





「─────────ッ!!」





 夜空を駆け抜けた咆哮。

 堪らず桜木が耳を塞ぎ、その場にうずくまった。

 全てを吐き出した雄叫びに街が明るくなっていく。うずくまる桜木を掴みあげ、無理矢理向き直させた。


「何だよ······。そんなに弟のこと──」

「お前にっ! 何がわかんだよ!」


 力加減が出来ない。足下から湧き上がる感情が心臓を握り、思考を蝕んでいく。

「分かったような口ぶりで! 偉そうに!」

「そんな事! 同じような人沢山居るじゃん! 僕なんて······」

「何も知らねぇくせに! ()()()に残ったものが何なのか、思い知らせてやろうか!?」


 体が熱くなる。桜木を掴む腕から煙が出た。桜木が呻き声を上げてもがく。それでも、自分の制御が出来なかった。


 突如鳴ったコール音。

 大体かけてくる奴は分かっている。だから薫は無視を決め込んだ。桜木の頬を汗が伝う。コールが止むと、留守電の通知音が耳を引っ張った。




『夜中に迷惑だろうが! さっさと正気取り戻せこの辛党不良警官がぁぁぁ!』




 脳みそを弾いた怒号。隼の声が薫の襟を鷲掴んで桜木から引き離す。桜木は、反射的に距離をとって焼かれた腕を押さえた。

 携帯電話を開いて留守電を確認すると、確かに隼からの着信が一件あった。


 ──ありがとな。


 今度飯でも奢ろうか。

「さて、骸。逮捕の時間だ。手間かけさせんなよ」

 ポケットに入った手錠を探しながら桜木の手首を掴んだ。大人しく捕まると思っていたが、鋭い声が至近距離で放たれる。


「ふざっけんなよッッ!」

 払いのけられた手と息の荒い桜木。髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、薫を睨みつけた。

「何が『偉そう』だよ······『分かるか?』なんて、僕にはどうだっていい」


 様子が変だ。

 青白い顔で瞳孔が開いている。さっきまでの余裕はない。追い詰められて発狂したか?

 声をかけたが聞こえていない。


「僕はまだやる事がある。そう、僕はまだやらないとダメなんだ。······足りない。これだけじゃ足りない! だから捕まるなんて······」


 ブツブツと独り言を呟き、腕をさする。よろけながら夜の街を見下ろした。先程のどよめきが落ち着いてきたのかポツポツと灯りは消え始める。

 冷たい風は容赦なく薫たちに吹きつけた。耳元で唸る風の音は虚しさだけを焚きつける。何も無い屋上で、桜木は『何か』を恐れているようだった。


 明らかな異変に薫も動揺する。かける言葉もなければ、自分が取るべき行動もない。

 かと言って、ただ立ち尽くしているだけは出来ない。

「おい、落ち着けよ······」

 単純な言葉だった。効きもしない言葉を放った。まさか、引き金になるとは。



「動くなっ!」



 パーカーから出てきたのは拳銃。

 四次元ポケットかよ、なんてボケてる場合じゃない。すぐに分かる。あれはモデルガンじゃない。


 ──本物だ。


「流石はチェシャ猫。情報と引き換えに手に入れたか?」

「そうだよ。どこに行っても、商品《情報》さえ売れば簡単に手に入る」

 歪んだ笑みが月夜に映える。夜風が髪で遊んで消える。チェシャ猫としての決意がその拳銃に込められていた。

「少秘警を消したら良いのかな? 化け物殺しをしたら僕は······」


 真っ直ぐ向けられた銃口。

 避ける気はなかった。だが、易々と打たれる気もなかった。

 ふと、一筋の光が桜木の頬を伝う。

 左目から流れた一滴が、とても冷たく感じた。


「······違う」


 コンクリートに落ちた言葉が涙と溶けた。


「ダメだ。僕も『化け物』なんだ······。これじゃあ殺したって何の意味もない······。そうじゃん、無益じゃん。何の利得もない」


 また何かを呟き始めた。耳を塞いでしゃがみ込む。震えていた。胸を押さえて何かを飲み込んでいる。

 これは、怯えているんじゃない。

 まるで──



「そっか······そうだったんだ。これが答えなんだね」



 桜木の体が宙に浮いた。

 全てがスローモーションのように見えた。

 歪んでいた顔が微笑んでいた。



「父さん、母さん、これで僕をあ────」



 その一言を残して桜木は屋上から消えた。ようやく彼の計画を理解した。



 心臓が燃え上がる。



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