猫かぶり少女の受難
風呂上り。
冷やした牛乳が私の一日の楽しみだ。
パジャマ姿の私は髪の毛を乾かすのもそこそこに、冷蔵庫を開けてデフォルメされた牛の書かれた可愛い牛乳パックを取り出す。開封されたばかりみたいでまだ中身のいっぱい入っているそれを、同じく冷蔵庫で冷やしていたピンクのマグカップに注ぎ込む。
とくとくと白く輝く液体がマグカップの八割ほどを満たしたところで私は注ぐのをやめた。
腰に手を当てて、ぐいっと一気飲み。
冷えた牛乳が、お風呂上がりのほてった水分不足の身体にしみわたっていくのがたまらない。
「っつぷはぁ~!」
うん。最高。
「万知、おっさん臭い」
「あによう」
十七歳の花も恥じらう乙女真っ盛りの私に対し、あろうことかおっさんとのたまう声の主に私はジト目を向けた。
視線の先には、私の母さん。四十代も後半のくせに、買い物に出かけた時とかたまに私と姉妹に見られるくらいの若々しさをしてる。しかも私の方が姉の事が多い。ここまで行くともう美魔女なんてレベルではなく、見た目詐欺だ。
「万知のそのポーズとか、「ぷはぁ~」ってのとか、お父さんみたいでおっさん臭いって言ってんの」
「いいでしょ、疲れてるんだから。お風呂上がりの牛乳が私の毎日の楽しみなの」
「でもやってることが中年の仕事に疲れたおっさんがビール飲むときと一緒じゃない。どうしてこの子が学園で『大和撫子』なんて評価をもらってるのか理解に苦しむわ」
「学園じゃ猫被ってんのよ。よそはよそ。うちはうち。家でくらい背負ったおネコ様を背中から降ろしてなきゃ流石にやんなっちゃうわ」
「で、おネコ様が離れるとおっさんになるわけだ」
この世に生を受けてかれこれ十七年。外ではおしとやかに振る舞い続けてきた。その結果、背中のおネコ様は私の通っている朝霧学園、そこで行われる『大和撫子選挙』とやらでなぜか一番に選ばれてしまうくらいの品の良いおネコ様になってしまったのだ。
「まあ万知が大和撫子でもおっさんでも何でもいいわよ。お風呂あがったなら二階でパソコンとにらめっこしてるお父さん呼んできて。次お風呂の番だよって」
「うへぇ、めんどくさい」
「猫かぶりの大和撫子風に答えてみてよ。学園でやってるみたいに」
「分かりましたわお母様。お風呂が冷めてしまってはお父様も可哀想ですものね。すぐに呼んでまいりますわ」
「言質は取ったわ、お願いね。ってか万知のよそ行きの作り笑いはいつ見てもキモイわ~」
…………はめられた。
というかキモイとは何だキモイとは。下級生には聖女様の微笑みとか呼ばれてるんだぞ。
はぁ、と私はため息を吐きながら、父さんを呼ぼうとリビングの扉を開けて。
その時だった。
私の足元、普段は何の変哲もないフローリングの床に六芒星のような模様が浮かび上がり、発光した。
目がくらむようなその光は私の身体を包み込んで。
まぶしさにつぶった目をもう一度開いたとき、そこは真っ暗な場所だった。
裸足のままの足裏に伝わるのは地面のひんやりとした冷たさ。
上下のパジャマ一枚だけの私の首元を風がなで、寒さに私は首を竦める様に震えた。
「……どこよ。ここ」
よく見れば周りに見慣れたシルエットがある。暗闇にようやく慣れてきた目に映るのは、毎日のように目にする朝霧学園の正門。その正面だ。
昼間と違うその風景は夜の闇に溶け込むとなんだか別の場所の様で少し怖い。
というか、どうして私はこんなところにいるのだろう。ついさっきまで家にいたはずなのに。
「やったぁ! 成功した!」
何が起きたのかを思案する私の耳に、場違いな声が聞こえてきた。
可愛らしい、少女の声だ。
「やっぱり使う道具を変えたのがよかったのかな。それとも呼んでくる相手が万知様だったからなのかな。なんにせよ条件を変えて検証してみたいところだけど……」
なんかぶつぶつと呟いていて、怖い。
怖い、けど、どうやら相手は私の事を知ってるみたいだし、この不可解な状況を起こしたのも彼女のようだ。
私はおネコ様をかぶって外面モードに切り替えると、意を決して少女に話しかけた。
「あの、よろしいですか?」
「あ、万知様」
尋ねた私ににっこりとほほ笑みを返す少女に私は見覚えがあった。
「貴女、確か一年C組の小牧さんよね。私はどうしてここにいるのかよく分からないのですけれど、説明してくださらないかしら?」
「万知様がここにいるのは、私が呼んだからなのです。それにしても、万知様普段は可愛らしいパジャマ着てるんですね。胸元のネコちゃんがとってもチャーミングです」
そうじゃない。と、引きつりそうになる頬を必死でこらえて私は改めて少女へと問いかける。パジャマ姿だからか、いつもより被っているおネコ様のしがみつく力が弱い気がした。普段の制服姿なら頬が引きつりそうになることなんてない。もっと余裕をもって微笑みを作れるはずなのだ。
「私は家にいたはずなんですけど、気付いたら学校の入り口に来ていました。私を呼んだということですけれど、いったいどういうことなのでしょう?」
私の問いに少女は心底嬉しそうに微笑んで。
「魔法です!」
……だからそうじゃない。そうじゃないんだ。
魔法という単語もそれはそれで気になるし、事実私は家にいたはずなのに気付けば学園の前にいる。確かに魔法のような出来事だけど、私が聞きたいのは私がこの場所にいなければならない理由なのだ。
「私はどうして、その魔法とやらで私が小牧さんに呼ばれたのかという理由をききたいのだけれど、教えてくださらない?」
改めて、私は彼女へと問いかけた。
「この前図書館で魔法の本を見つけたので、ちょっと試してみたくなったのです。万知様なのは何となくなのです」
なんとなく?
なんとなく……?
裸足、冷たいし、汚れるし。おまけにちょっと痛い。
髪、お風呂上がりで乾かすのもそこそこに牛乳飲んでたから濡れてる。風が冷たい。
時間、もう夜中の十一時ごろ。就寝前のプライベートな時間。
パジャマ、髪と同じでお風呂上がりだったから薄着。風が冷たい。夏とはいえ、夜の風とは冷たいのだ。
そこまで考えた瞬間、すっと肩が軽くなった。
「おいこら小牧ぃ……」
自分でも驚くほどドスのきいた声。
おネコ様は私の肩からずり落ちたのだ。
「ふえっ!?」
彼女は急変した私の様子に驚くような様子を見せた。別に私は変わったわけではない。こっちが私の素なのだ。
寒いだとか、プライベートな時間をよくも邪魔してくれたなとか、そういった不満を私は彼女に言ってやろうと近くまで詰め寄る。
そしていざ言葉にしようと口を開きかけた、その時の事だった。
ついさっき見たのと全く同じ、六芒星が私の足元に出現し、発光。
暗闇に慣れた目には痛いくらいにまぶしく光り、私を包み込む。
目を開けたら、また、家にいた。
場所はリビング。目の前にはお母さんがいる。
小牧さんが使った魔法とやらには制限時間でもあったんだろうか。なんにせよ、無事に帰れてよかった。
というか、お母さんにはなんて説明しよう。
「おかえりー」
「えーと……ただいま?」
「どうして疑問形なのよ?」
「頭がおこった出来事についていけてないから……かな?」
お母さんは私の目の前で座椅子に座ったまま、チョコパイをもぐもぐ、あいた左手で私に手をふっている。
というか、お母さん、娘が急にいなくなったっていうのに随分とのんきじゃない? 酷ない?
そんな私の気持ちが伝わったのか、お母さんはひらひらと振っていた方の手で、私の足元を指さした。
そこには、裏面が白紙の広告。そこには黒マジックで六芒星が描かれていた。
「誰が万知を拉致ったか分からなかったからねー」
一度帰ってきてもらったわ。と、お母さんは何事もなさげにいった。
「……学園の後輩の女の子だった」
「悪い人じゃなかったならいいのよ」
悪い人……ではなかったけれど、変な子だった。
というよりお母さん、あんたにも聞きたいことがいっぱいできたんだけど。
小牧さん曰く、魔法。
私の身近には少なくとも二人、他人を拉致出来る魔法を使える人がいるようだ。
思わずため息がこぼれる。
今日はたぶん、ここ最近でのため息の回数が最高記録だ。うん。自分でも言ってることがよくわからなくなってきた。
おネコ様が剥がれ落ちてしまったせいかもしれない。猫被ってる割にそのおネコ様に依存してるなぁ……。
明日はまた学校だ。
なんとかおネコ様の調子を取り戻さないと。
「とりあえず、お母さんには聞きたいことあるんだけどさ」
「うん。だいたい万知の言いたいこともわかるけどね……」
「ちょっと、下向いてないでちゃんと私の目見て話してよ」
「足元、光りそうよ」
「……?」
下を向くと今日一日で何度も見た六芒星。
慌ててジャンプして離れようとしたけれど、光った瞬間に目をつぶってしまったせいでそれは叶わなかった。
目を開ければ、そこは学園の前。足の裏はあったかいフローリングから冷たい地面に、今吹いている風は生暖かい。
人間というのはとっさに二つの事は出来ないもんだなぁなんて、目を開ける寸前まで考えていた。この短時間に三度目ともなれば、飛ばされた後には少し余裕が持てるみたいだ。
「やったぁまた成功した!」
目の前で喜ぶ少女。
なんだか不満をぶつけようとしていたのがばかばかしくなってしまう。私の脳内でおネコ様はあくびをしていた。一度素を出した相手の前では働くつもりは無いとでも言いたげだ。
「ねぇ小牧」
「どうしました万知様? というかいつもと雰囲気と口調がなんだか違う気がするのです」
「そんなことはどうだっていいの。なんでまた私を呼んだの? 迷惑なんだけど?」
「? 一度成功したことの再現性を確認するのって当然じゃないですか?」
彼女は首をかしげて、どうしてそんな質問をされたのか分からないといった風に疑問で返してきた。
間違ってない。間違ってないけど、いろいろとおかしい。
「そうだ万知様、今回呼び出したので魔法に使う材料が無くなっちゃったんで欲しいんですけど」
「なんでそれを私に言うのよ」
「呼び出すのに必要なのが万知様の毛だからです」
「毛……ああ、髪の毛ね、いきなり呼び出されるのは勘弁だからあげな「下の毛です!」
「……はい?」
「下の毛です。いんもーとゆーやつです。前のは万知様が体育でプールだった後に教室に忍び込んで水着についてたのを頂いてきたんですけど、流石に効率が悪いので万知様本人にもらえればなぁと」
……おかしいな。聞き間違えたかな。
一応確認すると、小牧さんからは聞き間違いではないという確かな証言をもらうことが出来た。
「それ、犯罪じゃない?」
「かもしれないですねー。でもわたし以外にも万知様の私物漁ってる人いっぱいいるんですよ」
「それ、初耳なんだけど。私の知らないところで私の私物に何が起きてるの? 明日から学園行くの怖いんだけど」
「悪いことには使ってないから大丈夫じゃないですか? 個人的なことにしか使ってないみたいですし、それだけ万知様が人気だということですよ」
全くうれしくない慰め。
今更だけど、猫被るのやめようかな……でもきっと学園行ったらおネコ様背負っちゃうんだろうなぁ……
知りたくなかった真実を今日一日で沢山知ってしまった。
本気で登校拒否しようか悩む。
なんだか頭が痛くなってきて、こめかみを抑えていたら足元がまた輝きだした。見ればまた六芒星が浮かび上がっている。
「あっまだ万知様のもらってな……」
小牧さんの言葉を遮るように私はまた飛ばされた。
目を開ければ、また私の家のリビングだった。
「おかえりー。まさか二回目もあるとは思わなかったわー。おかげで呼ぶの遅くなっちゃってごめんねー」
お母さんはのんびりとした口調で続けた。
「で、また呼ばれそう?」
「……もう毛は残ってないから新しいのくれって言われたんだけど。そりゃあげるわけないけど」
「……それは難儀だったわね」
どうやらお母さんも何が必要か分かっていたらしい。
まあ私を呼び出してるから当然か。納得いかないけど。
お母さんはゆっくりと立ち上がるとお風呂場に向かって。
「おとーさん、もう探さなくて大丈夫だから」
お母さんの声に「おーう」とお父さんが声を返すのが聞こえた。
そのやり取りで私を呼び出すために何が起きていたのかを察した私は、なんだか死にたくなって。
部屋へと逃げ帰るように戻ると布団にもぐりこむ。
寝て忘れよう。
現実逃避のようにそう思いながら、私は眠りに逃げた。
転移魔法は異世界だけの物じゃないと主張したいんじゃ