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私の愛した旦那様

作者: 十一六

 拝啓。

 私の愛した旦那様。

 あなたがこれを読んでいる頃には、私はあなたの前には存在していないでしょう。それは私が亡くなったからかもしれないし、単にあなたの前から姿を消しただけかもしれませんが、さてどうなっているでしょうか。あなたは泣いてくれているでしょうか。それとも薄っすら笑っているでしょうか。私は後者であることを祈ります。あなたが体裁を取り繕って人前では涙を流し、こうして裏で一人手紙を読む時は下卑た笑みを浮かべている。そういう人間であることを祈ります。何故私が今になってこんな嫌味ったらしいことを言うのかおわかりですか。心当たりはあるでしょうか。あるでしょうね。私は鮮明にあなたが思い付くであろう心当たりを覚えています。いや、覚えていたくはありませんでしたよ。できることなら側頭葉から消し去りたかったです。しかし記憶は薄まるばかりか更に念入りにこびりつき、今ではあなたが以前してくれたプロポーズよりも明確に覚えています。

 劇的な思い出をありがとう。他の女性と寄り添いあってとても楽しそうでしたね。会社の部下の方でしょうか。部下の方ですよね。少し背が高くて、ヒールを履くとさらにスラッとして見えるモデル崩れみたいな女の子。今時の女の子。ちょっと勘違いしているけど、可愛いから二十代までは何をしても許される、そんな中身薄な子でしたね。とても愛らしい子でしたね。私はあの時のあなたの表情、よく覚えています。何時にも増して笑顔でした。優しい笑み。いつかの私に見せたことがあって、それを見て私があなたに身を寄せようと決意した、あの柔らかで全てを包み込んでくれるような笑み。私を守ってくれると信じさせてくれた笑み。今となってはあなたの常套手段。吐き気がします。一生忘れられない思い出をありがとう。私も見ていてあれ程に涙できるロマンチックなシチュエーションはありませんでした。きっと楽しい夜を過ごされたのでしょう。よかったですね。気分はさぞ良かったでしょう。妻帯者でありながら他の女に言い寄られる気持ちはどうでしたか。私の気持ちは無視ですか。あの子と手を繋ぐ時私の顔がよぎりましたか。反省していますか。

 私が幾つかの証拠を持ち出してようやくあなたは認めてくれましたね。それと一緒に何か言い訳がましいことも言っていましたね。何だったでしょうか。確か仕事でストレスが溜まって、それを彼女が支えてくれていたんでしたっけ。私が毎晩料理を作って、あなたの愚痴を聞いて、あなたのシャツのシミを手洗いで落として、家計のためにとパートに勤しむ中、彼女があなたを支えていたのですね。私は妻として何をしていたのでしょうか。あなたの支えには何もならなかったのでしょうか。泣いたのを覚えています。

 あなたは必死に土下座していましたね。許してくれとか、本当にすまなかったとか言っていたような気がします。昔からそういう演技くさいことはあなた得意でしたから、あの時は本当に反省しているんだと思いました。いいえ、たぶん本当に反省していたんでしょうね。あなたは単純で純粋だから、反省する時は心から反省するんです。そして反省して、あなただけ気持ちを切り替える。都合がいいような気もしますが、そこがあなたの良いところでもあったんですよ。きっと私に対する罪悪感なんてもう微塵もないんでしょうが。

 もちろん、私はあなたを許しました。許さなきゃいけないですから。許すことで、懐の深い寛大な、芸能人の妻のような女性であると証明出来るんですよね。皆から凄いねと賞賛を受けるんですよね。夫が不倫しても平気なフリをして、何回目だなんだと動揺なく語り、最後には自身の独特な夫婦感と共に、それでもついて行きますとまるでそれが理想の妻であるかのように振る舞う。そういうのが今時の流行りなんですよね。だから私もそれに乗ることにしました。本当は怒り狂ってあなたを谷底へ落としたかったけれど、でももしかしたらこの感情は一時的なものかもしれない、いつかスッキリあなたと一緒に幸せな日々が送れるかもしれない。そう思ったんです。それを信じることにしたんです。あなたではなく私の人間としての寛容さを信じたんです。

 でも、間違っていました。とりあえず今のところ三年が経っていますが、ごめんなさい。一切あなたを許せそうにありません。消えないんです。あの時のあなたの顔が。私ではなく他の人を愛したという事実が。私を裏切ったという恨みが。

 ごめんなさい。たぶんあなたはそんなに悪くないのだと思います。だって男の人は大概浮気するものなんですよね。浮気した方々と浮気された方々が仕切りにそう言っていました。仕方のないことなんですよね。最近はそれが常識にすらなりつつあるんですよね。最初から最後まで綺麗な恋愛なんて存在しないんですよね。恋愛小説や恋愛漫画のハッピーエンドには続きがあって、実はあの後何かしらのやましい出来事が起こっているんですよね。人間の仕組み自体が、そうなってしまっているんですよね。

 くだらない。そんな人間がこの世の大半を占めていると私は思いたくないです。もしそうなら無くなればいい。全て無くなってしまえばいい。そうやって明らかに間違っている自分を肯定し続けて、また同じことを繰り返し、大切な人間を傷つければいい。離婚して子供に会えなくなって、自分に原因があるのに被害者面で誰かに同情を求めていればいい。一生消えない後悔を背負えばいい。私も一生忘れないでしょうから。

 ごめんなさい。やっぱりあなたを許すことは出来ません。この手紙を書いた後も私はあなたにいつも通り優しく接するでしょう。その優しさに偽りはありません。でも心の底ではあなたを許していません。許すことが出来ません。別れることもしません。今更別れて何になるんですか。あなたから離れて私は生きていけません。経済的にも、精神的にも。

 だから私はあなたと共にいるでしょう。それこそあなたが私に嘘をついたように、平気を装って、平然を装って、あなたに浮気前と変わりなく接するでしょう。本当は許していないけど。本当に許していないけど。

 長々とごめんなさい。最後にこれだけは言わせてください。私はあなたを愛していました。純粋に綺麗に愛していました。でも今でもそうだと胸を張っては言えません。変わってしまったからです。あなたが不倫して嘗てのあなたでなくなったように、私は不倫されて嘗ての私ではなくなりました。酷く錆びれた気がします。こんな私になるなんて思いもしませんでした。酷く後悔しています。

 どんな形であなたと別れたのかは知りませんが、元気でいてください。後はどうぞ好きな人達と好きなように生きてください。あなたの選んだことですから責めたりはしません。どうか長く長く生きて、深く深く後悔してください。私の愛した旦那様。

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