まな板の上の鯉
ーーー高校生
人で賑わっているからか体育館に熱がこもっているからか、まだ春先なのになんだか蒸し暑かった。壇上に立つ校長らしき人物の話は
まるで耳に入ってこない。周りも同じようで、愚にもつかない話よりもこれから生活を共にするお互いに関心が
行きっきりなようだ。如何にも真面目一徹な人から何処か斜に構えた人まで若人が一同に集っている。だが共通して
その目、不安と期待が入り混じった目をしていた。
木島龍平は県下有数の進学校に通っていたが、学校にうまく馴染めず、勉強もからきしでドロップアウトした。
両親が気を利かせて、単身赴任している父親の勤務先、東京の都立高校を受験するにあたり、そこそこの学校に
入ることができた。両親はとても喜び、お祝いにパソコンを買ってくれたが、本人はというと入学前から気が滅入って
仕方がなかった。ただでさえ、地元の学校でもコミュニケーション能力が足りずに孤立していたのに、東京の学校などハイソな場所で上手くやっていける自信が到底なかった。これといった趣味もなくやり甲斐もなく、どう過ごしていくか
少しでも考えると頭が痛くなって消えてしまいたくなる。そうはいっても時間が経てば、避けられぬわけでとうとう
仏頂面でこの入学式にこうして参加しているわけである。周りを見ると、高校デビューだかなんだか知らないが
皆どことなく垢抜けていて、自分が別世界の人間のように思えた。僅かに自分と同類らしい人間を見つけたが、別にだからどうだというわけではなかった。
退屈な入学式が終わって自分の割り振られたクラスへと向かい、席へ着く。8クラスある中、自分は4組で席は窓際、後ろから二番目と「目立たなさ」においては上々の位置だった。クラス担任、まだ教師歴の浅そうなメタルフレームの線の細い男性だが、は教室に入ってくるなりチョークで自分の名をでかでかと書いた。
白川英辞郎、若干斜め気味で、はね方に癖のある字であった。
「君たちを担当する、世界史の白川です、よろしく。年齢は34で独身、趣味は山登りです。」
余計な前置きを好まず、端的に物を言うタイプらしく、その後も淡々と話を進める。
「じゃ、みんな気になってると思うからお互いに自己紹介してもらおうか、名前と趣味と、まぁそんな感じで」
・・・え?思わず口に出しそうになった言葉を慌ててのみこむが、頭の方はまだ展開についていけてなかった。
確かに、道理だ。自己紹介は普通するものだ。考えば、いや考えずとも至極当たり前である。ただ木島は永らく人前で
何かを言うイベントから意識的、また無意識的に遠ざかっていたため、そのことに思い至る思考回路が欠如していた。
そこに寝耳に水の自己紹介イベントである。彼にとって公開処刑に等しいそれは、頭をぐちゃぐちゃにかき乱した。
何を言えばいいのか、どういう声色で、どう言う口調でいえばいいのか。考えれば考えるほど混乱してちょっとした
脳内内戦を呈した。そうこうしているうちに無情にも時間は経過する。あ行の人間の自己紹介が終わり、か行に差し掛かろうとしていた。見ている限り、皆なにかしらウけているようで、それもまた木島に多大な重圧を与えた。
とうとう前の席の自己紹介の番となった。
「片桐ロクサーヌ麗華です、NY生まれの帰国子女で英語でラップができます!」
というやいなや軽快なlapを披露した。toiec300の耳では何をいってるかサッパリだったが
どうやら自己紹介らしきものをしている感じがした。周囲から驚嘆の声があがり、手笛まで飛んでくる始末。
お前らは輩か。木島は彼女の芸に感心する反面、この後に自己紹介しなければならない自分の運命を呪い、
ハードルを上げた彼女を恨んだ。そして運命の時
「き、きじまりゅうへいです」
なんとか声が裏返らずに済んだ。頑張るんだ龍平、頑張れ!
「趣味は、えと謎かけ、です」
本当は趣味でもなんでもないが、ウケ狙いに走ってしまった。おぉという無駄にハードルを上げるヤジが飛ぶ。
「砂漠とかけまして、」
「かけましてーー」悪ノリが過ぎる
「オアシスとときます」
「その心は」
「どちらも木(飢餓)ないでしょう!」
さながら砂漠の夜のような冷え具合だった。