只野の話
「……野依さんっ、起きて、起きてください!」
僕は必死でベッドで眠る少女を起こす。
「起きない……アザキ君はいつも大変だよなー、この人を起こすなんて。」
僕はため息をつく。
普段はアザキ君の役割なのだが、今日は彼は非番にしてもらったようだ。だから代わりに僕が来ているのだが……。
「ほらもうっ!起きてっ、今日は『買い物』に行く日ですよね!」
紙幣も紙くず同然なここでは公的機関も商業施設もない。買い物と言っても店員も客もいない店から勝手に商品を持ち出すだけだ。昔だったら万引きや窃盗と呼ばれていた行為はもはや日常である。
「あなたが誘って来たんでしょう、ほら!」
僕は25にもなって何をしているんだろう。
3年前に彼女にフラれてクリスマスに友人とじゃあ今年は寂しいクリスマスになるなって、しゃべって、昼間からお酒飲んで、嫌なことは忘れようとしていたのに。
全部、おかしくなった。
友人は液体になり、植物が世界をフラフラ歩くようになった。
僕は1年半前に野依さんに見つけてもらえなければここにはいない。野依さんだって人助けのためにこの俺を学校に連れてきたわけじゃない、ただーー利用価値があるから。
それでも、この人が僕らに優しくしてくれるのはーーこの人に取って僕らは食料を増やすための道具と、暖かい家族が混同して見えているからだと思う。
まあ、きっと人間も変わりないけど。
「んー、アザキ君。おはよう?あ、只野さん?」
「今日はアザキ君は非番です。松野さんの件もありましたし、しばらく彼には休暇を出そうっていう話になりました。」
「そうかー、とりあえず水取ってくれ。」
僕は野依さんに水の入ったペットボトルを渡す。
「それで、今日はアザキ君の服を持って帰るんでしたっけ?」
「うん、そう。それと、日真さんにはもう許可取ってあるんだけどね、畳持って帰ろっか。」
「えっ?」
畳なんてどうするんだよ?
まあ確かに教室の床にそのまま寝るのは不衛生だから昔、畳持って帰ったけど。野依さん、今さら自分の教室にでも敷くのかな。
「じゃあ、行こうか。」
「は、はい。」
野依さんは自由奔放だ、元からそうだったのかもしれない。でも多分ここに来てからその性格がますます出てきているような気がする。
「おはようございますー。」
「ん、おはよ。」
廊下で中学生たちとすれ違う。
野依さんは何だかんだで人望も厚い。前回の松野さんの子供を助け出したのもあるけど、ここにいる人たちは全員野依さんに救ってもらっている。
植物の恐怖に怯えなくていいのも、ご飯が食べれるのも野依さんのおかげ。だから、誰も野依さんには意見を言わないし好きにさせてる。
「今日も晴れてるねー、気持ちいわぁ。」
野依さんは楽天的だ。そのまま30分くらい歩き続ける。
「よし、ここ。」
近所のデパートに着く、野依さんと僕で自動ドアをこじ開ける。
「こないだので、靴がダメになっちゃったんだよねー。あと、アザキ君の服。」
「畳も必要なんですよ、どうする気ですか。」
「あ、それなら問題ないよ。マウエッタに持って帰ってもらうし。」
「植物にパシらせるつもりですか……。」
野依さんはやっぱり楽天的だ。
「懐かしいなー、昔よく来たな。」
もう照明もないデパート。僕らはエスカレーターを階段のように昇る。動かなくなってるし。
「……ん、それなりに服はあるみたいだね。」
昔はここも買い物客で溢れていたかもしれない。
でも、今は僕らだけだ。
「とりあえず、適当に持って帰りましょう?」
「ああ、そうだな。あ、リュックあるじゃん。アレもダメにしちゃったんだよな……。」
「んー、大人数連れてくればよかったんですかね。」
そのときだった、突然1匹の植物がノロノロと動きながら僕らの方へとやってくる。
「マウエッタ、来てくれだんだ!」
野依さんは1人でに喋り出す。
植物は声を出すことはほとんどない。普段はテレパシーのようなもので会話をするらしいが、僕にはわからない。
「あ、彼?只野さんだよ。アザキ君は今日はお休みだもん。」
マウエッタと話す彼女はなんだか楽しそうだ。
やはりアザキ君から聞いたあの話も本当かもしれない。
「うん、じゃあ学校まで運んで。ありがと、じゃあねー。」
嬉しそうに手を振る、植物は下の階に降りていった。
「野依さん、マウエッタが恋人って本当です?」
野依さんは立ち止まる。
「アザキ君から聞いたの、その話?」
何の感情もない瞳で聞き返す。
「ええ、まあ。」
「ふーん。」
野依さんはエスカレーターを上りさらに上の階へと昇る。
「……人間を食べれるようになってからしばらく、私はいつも落ち込んでいた。」
「……。」
「そのときいつもマウエッタが寄り添ってくれた。そうなるのも自然だったと思う。」
野依さんはどこまでも無感情だった。
「でもまあ、植物に恋愛感情があるのかよくわからないんだよね。そもそも植物に夫婦とか伴侶っていう概念がないし。ーーマウエッタは、マウエッタだし。」
「そ、そうですか。」
野依さんが今、考えているかわからない。
ただ、マウエッタと呼ばれる植物にとっては野依さんは特別であること。そして野依さんにとってもそれは同じであること。
「野依さん、それで後は食料品ですか?」
俺が尋ねると、野依さんは首を振る。
「ここは植物が現れた当初、色んな人が逃げ込んだんだ。今はもうクッキーの一欠片すら残ってないよ。ーーまぁ、機会があるなら行ってみるといいよ。食べ残された無惨な死体ばかりだから。」
「そうですか……確かに毛布とかもあんまりありませんね。」
商品が無残に床に散らばっている。きっと、ここで植物に食うか食われるかという中で絶望しながら死んでいった人たちも沢山いるんだろう。
「上の階に行こうか。」
「え?でも次の階って。」
「うん、おもちゃ売り場だよ。」
野依さんはいたずらっぽく笑った。
エスカレーターをかけ昇る足も軽やかだ。一体何を考えているんだろう?
「ほら、適当にとって。リュックに出来るだけ詰めて。」
「一体何をしようとーー。」
「帰ったらわかるよ。ほら、ほら。早く、早く。」
野依さんは楽しそうにリュックにおもちゃを詰める。子供たちにでもプレゼントする気だろうか?
「すべて詰めましたよ、後は帰るだけですね。」
「そうだね、もうお昼過ぎになっちゃった。」
野依さんは帰り道も楽しそうにしていた。
こうして見ると、野依さんは普通のどこにでも女の子だ。こんなことがなかったら、きっと彼女はーー。
「ねえ、只野さん。」
野依さんは立ち止まり、振り返る。
「はい?」
「この世界、嫌い?」
野依さんは笑っていた。
「そりゃ、まぁ。こんな状況ですし、好きとはいえませんね。」
「……そう、私は。好きかな。」
野依さんはハッとしたような顔をしてそれ以上何も言わなかった。
当然だ、だって彼女は植物なのだから。
僕らは『食べられる側』であって野依さんは『食べる側』だ。
僕も、ときとぎそのことを忘れそうになる。
こんなのいつか終わってしまうのに。人生なんていつもそうだ、今が楽しいから、本当に大切なことを忘れそうになる。
それでもーー。
「ほら、そこの畳持って。あれ、アザキ君じゃん?」
「あ、只野さん。俺も手伝いますよ。」
「アザキ君、休まなくていいの?」
「これくらいはやりますよ、只野さんに悪いですし。」
「うん、ありがとう。ーーあっ、プリン頭君。」
「青樹さんも手伝いに来たんですか?」
「そのネタやめろって言ってますよ……で、これは3階に運べばいいんですね。」
「そうそう、気をつけて。」
僕らは畳を持ち、3階へ上がる。
「私の隣の教室に置いてね、プリン頭君、」
「へいへい、野依さん何を始める気なんですか?」
「休憩室にしようと思って。」
「休憩室?」
「3階はあまり使われてないんでしょ、だからさ日真さんに相談して休憩室でも作ろうかって。」
「なるほど、それで俺たちに机の移動と掃除やらせたんですね。」
「そうそう、子供たちにも遊んでもらえるようにおもちゃとか持って帰って来た。遊ぶ場所も作ってあげないとね。」
「じゃあ、敷き詰めますか。ほら、只野さん。ぼーっとしてないで。」
「あ、ごめん。今行く!」
僕は慌てて走る。
それでもーー野依さんが、僕を必要としてくれてよかったと思う。だから、僕が、僕の子供が、僕の知らない子孫が食べられることなんて今は考えなくてもいいじゃないか。
……だから僕は野依さんについて行こうと思う。