1/2のライバル
校則ぎりぎりの綺麗な茶色い短髪。少し釣り上った眼尻。軽く着崩した制服。
そして、少しだけ憂いを帯びた、清潔そうな後ろ姿。
その総てが、
「かっこいー」
そう言ったのは、牧村和沙。そして和沙の声には、もう一つ声が重なった。
眉をひそめて振り向くと、隣に人影があった。
ビクッと肩を震わせてから、和沙はその名前を呼ぶ。
「志乃先輩っ!」
「いやー、やっぱ龍は今日もかっこいいね〜」
龍とは、和沙が先ほどまで見つめていた青年の名前だ。本名は柳沢龍。三年の男子だった。
ふと、志乃がこちらを向く。
「今日も頑張ってるねー、ストーカーちゃん」
「ストーカーじゃありません! だいたい、あたしがストーカなら先輩なんて変態じゃない! 男のくせに柳沢先輩が好きなんだから!」
志乃と呼ばれる彼の本名は、志乃幸哉。正真正銘、『男』だった。
志乃はフッと目を細めて、和沙と一緒にしゃがみこんでいた垣根の葉をいじり出す。
「うん……それは俺も何回も思ったよ。俺は男なのに、男の龍を好きになるなんておかしいって。でも、ダメなんだ。何回考えても、俺の思考の一番は龍で、気がつけば龍のことばかり考えている。俺は、本気で龍のことを……」
切なげに語られる悲痛の思いは、
「何かっこつけて語ってんですか」
と和沙に一蹴された。
つまらなそうな溜息をつきながら、志乃は視線を和沙に移す。
「あのさあ、人が真剣に語ってんだから、もう少し同情したりしようよ」
「なんであたしが先輩に同情しなきゃいけないの?」
言いながら和沙は立ち上がる。隣の男を冷たく見下ろした。
「変態の仲間入りする気はありませんから」
まだ何か言いたげな志乃からは視線をはずして、和沙は玄関への道を歩んでいった。
一度溜息をついてから、志乃は笑みを浮かべる。
「……クールだねえ」
恥だ。
あの男は、恥だ。あたしの人生に汚点があるとすれば、それはあの男に出会ったことだ。
そう思うくらい、和沙は志乃が嫌いだった。彼が――自称なのだが――柳沢の親友なのも、この上なく納得いかない。
自分の席について悶々と考えている和沙に、周りの生徒は嫌な汗をかいていた。
彼女は目つきも視力も悪いから、意識をしないとつい眉間にしわが寄ってしまう。
それを注意してくれるのは、いつも親友の可南子の役目だった。
「和沙。怖い」
今日も、実に端的な可南子の指摘で、和沙は表情を柔らかくする。
「どうしたのよ? また志乃先輩ネタ?」
可南子はこの話を聞くのが好きだった。
前の席に腰掛ける可南子を確認して、和沙は声をひそめる。大っぴらに志乃の話をしたくなかった。
「あいつさ、まだ柳沢先輩のことあきらめてないんだよ。男のくせに」
「男のくせになんて偏見でしょ。恋愛は自由じゃない」
「可南子は腐っているもんね」
和沙はよく知らないのだが、男同士の恋愛を好む女子を、一般では腐った女子で『腐女子』というらしい。
「てか、あの二人はいいと思う。志乃先輩男にしては可愛いし。苗字も女っぽいし」
「本名幸哉じゃない。女らしさのかけらもないわ」
「和沙クール過ぎ」
その言葉は、今日大嫌いな男子からかけられたものな気がして、和沙は眉をひそめる。
可南子は、整えていない太めの眉を面白そうに吊り上げた。
「でもさ、ずっと思ってたんだけど、和沙って柳沢先輩と付き合ってるわけじゃないんでしょ? それにしては、いつも聞くのは志乃先輩の愚痴よね。ちゃんとアピールしてるの?」
「……」
途端に和沙が黙れば、可南子はやっぱりか、とため息をついた。
「よくそんな悠長にしてられるわよね〜。言っとくけど、柳沢先輩と志乃先輩が、絶対くっつかないわけじゃないんだからね。むしろ、今の柳沢先輩は、きっと志乃先輩の方が好きだわ」
「そんな!」
和沙は拳を作って机を叩いた。もちろん和沙だって、ただ柳沢を見ているだけではない。告白っぽいことは、すでにしている。
だけどそれも、柳沢に「友達から」と答えを出され、以来ほとんど彼と口を利いていないのも確かだった。
「それにさあ、柳沢先輩って、急に格好良くなったの、知ってる? 二学期前までは、眼鏡の地味な人だったんだよ。遅いけど、高校デビュー? って感じ。だから、今急速にもててるの」
「なんで可南子、そんなこと詳しいの?」
外見から言えば、所謂『オタク系』の可南子は、あまり学校の男子に詳しい印象ではない。和沙は外見だけなら普通なのだが、何分柳沢に出会うまでは、男に興味がなかったときた。
だからもちろん、地味な柳沢とやらも知らない。
「あたしはどっちかって言うと、前の柳沢先輩がタイプだったから」
「え! まさか可南子まで……」
「やめてよ。だから、前がタイプだったんだって。今はそれほど好きじゃないよ」
つまり、眼鏡の柳沢……いや、柳沢の眼鏡がよかったということらしい。
「つまり! 柳沢先輩狙いは他にもいるってこと! あんた、もっと一生懸命アピらないと、本当にふられちゃうよ。せっかく『友達』って位置にはつけてるのに」
「友達だと思われてるかなんて、わからないよ」
「でも和沙、志乃先輩も柳沢先輩に勝手にひっついてるように見えるって言ってたじゃん。だったら、あんたも勝手にひっついてみれば?」
そんな簡単に言うなと、本当は言ってやりたかった。だが、可南子の言う通りなのも分かる。
だから和沙は、放課後さりげなく柳沢の教室に行ってみた。
「りゅーうー、早く帰ろうぜ」
「ちょっと待って。このプリント、出してかないと」
「何それ? 進路? 龍どこ受けんの?」
「……」
「…………」
すでに人間の少なくなった三年の教室の扉の前で、和沙は固まっていた。
ピッタリと、志乃が柳沢の肩に手を置いている。
「どこの高校を受けるのか」という問いは無視をされたようだが、そんなことよりもっとショックだ。
やだやだ! 先輩あの手振り払ってよぉぉ!
「あれ、牧村さんだ」
和沙が思いきり嫌そうに二人を見ていたところで、志乃がこちらに気づいた。
『牧村さん』なんて、普段はそんな風にかしこまっては呼ばないくせに。
だけど分かっている。これは彼の計算だ。柳沢の前で和沙の名前を呼ばないことで、柳沢に呼ぶタイミングを無くさせているのだ。
もっとも、志乃がこんな回りくどいことをしなくても、柳沢は和沙を名前では呼ばないと思う。
「どうしたの?」
と柳沢が訊いた。
「あ、いや……。志乃先輩と帰るなら、別にいいんです……」
「何、牧村さん。まさか龍と帰りたかったの?」
「……」
「志乃、やめろよ。そういう冷やかすような言い方」
「だーって。俺と龍の邪魔をしようとするからさー」
「は?」
不思議そうな柳沢の声と同時に、和沙は目を見開いて志乃を見ていた。
よくも、迷いもなくそんなことが言える。ここで柳沢が引いたら、どうするつもりなのだろう。
いや、引かないと分かっているから、志乃は柳沢が好きなのだろうか。
「あの……、柳沢先輩、どこの大学受けるんですか?」
「え?」
唐突な質問に、柳沢が今度はこちらを向いた。
自分の言葉に反発しない和沙をつまらなそうに見ている志乃には気づいていたが、無視をする。
これは賭けだった。
「……別にどこのとは決めてないんだ。とりあえず、心理学を学べるところ、今探してる」
「なんだよ龍ー。俺には教えてくれなかったくせに」
「お前に進路の話はあんまりしたくなかったから」
「なんだよそれ! 俺超親身に聞いてやるぜ? てか一緒の学校行ってやるぜ?」
「……断っとくよ」
志乃と話している時の柳沢は、楽しそうだと思う。もちろん、友達同士という感じはやっぱりしない。
どちらかというと、うるさい猿を柳沢が飼い慣らしている感じだ。
それよりも、今の和沙は笑みが漏れそうなのを堪えるのにやっとだった。
もしも、柳沢の進路先を聞いて答えてもらえなかったら、彼が自分を好きになる見込みはない。だけど、もし答えてくれたら――。
「柳沢先輩」
「ん?」
「受験、がんばってくださいね。あと……今日、あたしも一緒に帰っていいですか?」
***
やっぱり和沙は、柳沢を好きだと思った。始まりは一目惚れだった。だけど、こうして一歩彼に近づく度和沙はもっと柳沢を素敵だと思う。
恋人にしたいと思う。
「龍は誰にでも優しいからね〜」
「そうか?」
「そうだよ! 告ってきた女にも、優し〜〜くふるから、勘違いするやつがいるんだよ」
柳沢が、不満そうに眼を細めた。
「別に、勘違いされたことなんかないけど」
「うそじゃん。実際ここに勘違いしてる女がいるし」
志乃の視線が、明らかに和沙を見る。先ほどから、この視線が痛くて、和沙は柳沢に一言も声をかけられない。
せっかくお昼ご飯を一緒に食べるところまでかこつけたのに、だ。
「志乃」
柳沢が咎めるように志乃を呼んだ。
「別に俺は、和沙が嫌いでこんなこと言ってるわけじゃないよ? たださー、見こみないことはちゃんと分からせとかないと」
「それはお前が決めることじゃない」
「俺は龍の友達として心配してんのー」
「お前を友達だと認めたことはない」
「あ、ひでぇ」
志乃が、けたけたと笑った。この人は、柳沢にどんな言葉をかけられても、絶対に笑顔だと思う。
なんだかそれが、彼の気持ちの大きさな気がして、和沙は時々、自分をみじめに感じる。
「……自分の気持ちを伝えもせずに、先輩の隣を陣取っている人よりはマシだと思う」
小さく呟いた和沙の声を聞き取った柳沢は、不思議そうにこちらを見た。
志乃が睨んでくる。
「なんの話?」
「いい加減、とぼけるのはやめてください」
きっぱりそう言うと、目を細めた志乃が、溜息をついてからへらりと笑った。
「なんだよ和沙。ついに俺にまでやきもち焼くようになったわけ? やめてくれよ、俺ってば確かに龍の親友だけどさー」
「だからお前は別に親友じゃないってば。……牧村さん、でも志乃は本当、そういうのでもないから」
カッと頬に血が上るのを、和沙は感じた。最悪だ。志乃が隠してきた思いを、こんな風に本人の前で言ってしまうなんて。
何も言っていないのに、柳沢に「違う」と否定されて、いくら志乃でも傷つかないはずがない。
唇を噛みしめて、和沙は立ち上がった。お弁当の包みを抱えて、頭を下げる。
「すみませんっ、変なこと言いました。あのあたし――失礼します!」
二人に口を開かせる間もなく和沙はその場を後にした。
こんな自分が、激しく嫌いだ。
「まあ、和沙の気持ちも分からなくないけどさ〜」
放課後、一緒に玄関に向かいながら、可南子がそう口を開いた。和沙は何も言えない。
「志乃先輩が本気なら、きっとそれは傷ついただろうね」
「……謝るべきかな」
「さあ。お互い様な気がするけど。和沙も言われたんでしょ」
「あんなの、あの人はあたしをからかって言っただけよ」
「柳沢先輩との時間を邪魔されたくなくて、八当たりしたのかもよ」
そう言われれば、和沙は考え込んだ。それが事実なら、やっていることは自分と同じだ。
「ま、詳しくは本人に聞いてみることだね」
言って、可南子が和沙の背中を押しだす。転びそうなのをなんとか耐えて顔をあげると、そこには志乃の姿があった。
*
「あれはないんじゃない?」
家への道を歩きながら、黙り込んでいた和沙に、志乃が唐突にそう言った。
「……やっぱり、ショックでしたか?」
「ああ、ショック。俺、和沙はそういう奴じゃないって信じてたのに」
「は?」
「は?」
いぶかる和沙に、志乃も似たような声を返した。何度か瞬いてから、首をかしげる。
「……“柳沢先輩に”『志乃はそういうんじゃない』って言われて、ショックでしたか?」
「ああ、そっち」
そっちって……。
志乃はまるでそんなことは考えたことがなかったというように、空を仰いだ。
和沙は不信感を募らせる。
「本当に柳沢先輩のこと、好きなんですか?」
「当然。俺ほど龍を愛してるやつはいない」
という答えだけは一人前で、やっぱり和沙は首をかしげた。
この人は、本当に謎だ。
「だったら、告白したらいいのに」
「今日のことを聞いて分かっただろ。龍は俺をそういう目ではみていない。だいたい、俺が龍を好きで、龍も俺を好きになる可能性なんて、どれだけだと思ってるんだよ」
「それでも、伝えなきゃ何も始まらないじゃないですか」
和沙だって、もともと龍のことは知らなかったし、龍はなおさら和沙を知らなかった。それでも、――始まりが一目惚れだからこそ余計に――チャンスが欲しくて告白した。
玉砕覚悟は、和沙だって同じだったのだ。
「柳沢先輩が、男から告白されてどうする人か、あなたならわかるでしょう? ふられても何しても、友達って関係はきっと変わらないと思います」
ふと志乃が立ち止まった。ゆっくり和沙の方を振り返る。
真剣な瞳がそこにあって、思わず和沙はたじろいだ。やがて溜息の音が聞こえる。
「和沙さ、お前、どんだけバカなんだよ。分かってんの? 俺がライバルだって」
「あ……」
「それとも、俺はライバルにもならないってたかくくってんの?」
「そういうつもりじゃ……」
志乃は和沙を見据えた。
「俺だって、龍に告白くらいできるんだよ」
和沙は息をのんだ。志乃は――本気だ。
どうして忘れていたんだろう。自分より、彼の方が柳沢に近い位置にいる。志乃と競り合って、和沙にあるのは、『性別』の利だけだ。
どうしよう、どうしよう!
なんだか突然胸がモヤモヤとして、和沙はその日、眠ることができなかった。
***
「バカね」
可南子の声が、腹の中で昨日の志乃の声と重複した。
「どうしよう……。あたし、あたしが、志乃先輩に勝てる可能性の方が絶対低いよね……」
柳沢が、誰かのモノになるなんて、和沙は今までまったく考えたことがなかった。だからこそ、怖い。
まして男の志乃と付き合われてしまえば、もう和沙が割って入る隙はなくなる。
「……でも和沙、頑張ってたじゃない」
「一緒に帰ったくらいだよ……」
「十分だと思う。そうやって声掛けて、名前覚えてもらって……。すごいと思う」
「可南子……」
「だからさ、もう一回、がんばりなよ。志乃先輩に取られたくないなら、ちゃんと柳沢先輩にそういいなよ。先に告白したのは和沙なんだから、あんたはそのくらい言ったっていいと思う。聞くか聞かないかは柳沢先輩次第だよ」
「でも……」
「もうっ! ずっと志乃先輩をうざがってたあんたはどこに行ったのよ? あたしはああいう和沙の方が好きだった!」
可南子がそう言いながら、和沙の体を椅子から起こした。早く行けと、背中を押される。
「柳沢先輩が好きなんなら、負けんな!」
はっきりと頷き、そして和沙は走った。
和沙は、柳沢が好きだ。決して間違いではなく、思いこみではなく。
気持ちも、距離も、好きでいた時間も。その総てが志乃の方が勝っていたとしても、和沙が柳沢を好きな気持ちだって、本物なのだ。
絶対絶対、負けたくない。
和沙は三年の教室を覗いた。だがそこに、柳沢と志乃の姿はない。
不安が募る。もとはと言えば、志乃があんなに真剣な目で和沙を見たからだ。いつもいつもふざけていた彼の、真剣な輝き。あんなに和沙を動揺させるものはなかった。
二人の行くところが分からなくて、和沙は学校中を駆け回った。朝礼開始のチャイムが鳴っても、教師にばれないように探した。
大体思い当たる場所を見たが、二人はどこにもいなかった。あとは、屋上だけだ。
「――っ……」
「――どうしたんだよ、黙り込んじゃって。お前が相談事なんて、珍しいと思ったんだけど」
「……龍さ、和沙のこと、どう思ってんだよ」
和沙は、声を押し殺して様子をうかがっていた。二人を見つけたことに安心して変な声を出しそうになってしまい、それをぐっと耐えたまま固まってしまったのだ。
それよりも、志乃め。これは復讐だろうか。自分のいないところで柳沢にそんなことを訊くなんて、卑怯だ。
「どうって」
「告白られてんだろ? それに、嫌いじゃないくせに」
「……可愛いとは思うけど、俺は女の子に、どう話していいかとかわからないんだ」
「ああ、龍はこないだまで地味だったからな」
志乃が何でもないこのようにズバッというセリフに、柳沢も気を悪くした様子はなく肩を竦めているようだった。
ああいう雰囲気が、和沙はずっと認めたくなかったのだ。どんなライバルよりも、本当は志乃に勝てないことを、知っていたから。
「でも、試しに付き合ってみるとかはアリじゃねえの?」
「……いいのか?」
その言葉が何に対してか分からず、志乃と和沙は同時に首を傾げた。
「お前も、牧村さんが好きなんだろう?」
「はあ?」
扉にしがみついて、和沙は口を塞いでいた。そうでなくては、志乃と同じ言葉を吐き出すところだった。
ガリガリと、志乃が心外そうに頭を掻く。
「……あんなぁ、龍……」
言葉を紡ぐのが面倒になったように、志乃が柳沢のブレザーの襟を掴んだ。それを引き寄せる様子に、和沙は反射的に飛び出していた。
「やめてっ!」
叫ぶ声を聞きつけて、男二人がこちらを見る。そこに和沙がいることに、意外そうに瞬いていた。
「牧村さん……? どうしてここに?」
「あ……ごめんなさい。あたし、二人のこと探してて」
「なんだよ。ストーカーちゃんはこんなとこまで邪魔しにくんの?」
志乃のおちゃらけた声を、和沙は激しく睨んだ。
「先輩、ひどいです! あんないきなり、キ……キスしようとするなんて……」
「は……?」
「志乃!」
柳沢が憤った声を出す。
「違う! んなことしてない! おい和沙、いつの話だよ!」
明らかに狼狽した志乃の問いを、和沙は訝しげに聞いた。
「……今。柳沢先輩に、キスしようとしてましたよね」
「……はい?」
柳沢と志乃の声が重なった。急に自分がおかしなことでも言った気がして、和沙は眉をひそめる。
「あのさ……、牧村さん」
「ぶっ……! あははははっ!」
あきれる柳沢がいたかと思えば、志乃が唐突に笑いだす。もうわけがわからなくて、和沙は首を傾げることしかできなかった。
「違うの……?」
「違うも何も……あり得ねえ〜」
「じゃあ、今……!」
「たぶん、牧村さんが来なかったら、頭突きされてたと思うよ」
「頭突き……?」
呆けたような声しか出なかった。そこで、二人が同性なこと、まして、柳沢は志乃の気持ちを知らなかったことを思い出す。
ヤバい。これじゃあ単なる変な子だ。
「志乃先輩っ!」
「なんだよ、俺のせいかよ。あー、にしても笑った。本当和沙はバカだな」
「なっ? だって……!」
「和沙」
名前を呼ばれて、和沙は言い返そうとしていた言葉を飲み込む。また柳沢の前で口走るところだった。
だけどそれとは別に、和沙は言葉を失った。志乃の、今までにないくらい穏やかな笑顔が、そこにはあった。
「……俺は、結構お前のこと気に入ってんだよ」
「さて、邪魔ものは退散するかな」と頭で手を組みながら志乃が屋上を出ていく。
今の言葉はなんだったのだろう。志乃が、自分を気に入っている? だから、柳沢を譲ってくれると、そういうことだったのか?
「牧村さん」
その言葉の真相は分からない。だけど和沙は、もしかしたら自分の推測が本当かもしれないと、この後思うのだ。
奇跡のような言葉を、聞いたから。
***
翌日、和沙は駅で柳沢と待ち合わせし、一緒に登校することとなった。
一応、もう片思いは卒業したことになる。だけど、そんな実感がまったくわかなかった。
「なんか、へんな感じだね」
「先輩、彼女いたことありますか?」
「……初めて」
「……あたしもです」
気まずそうな柳沢の言葉に、こちらはどこか恥ずかしそうに答える。すると柳沢がこちらを見て、はにかむように笑った。
彼氏、か。そう思うだけで、和沙もにやけるようにして笑う。
しかしはじめて同士の二人に会話はなく、沈黙が長く続いてしまい、和沙が必死に話題を探していると、
「あのさ」
と柳沢が口を開いた。
「名前で呼んでもいいかな? これからは……」
「え? あ……はい!」
思ってもない申し出に、和沙は素っ頓狂な声をあげながらも頷いた。そして、自分もと思えば口を開く。
「あの……、あたしも……」
「りゅーーうーー」
言葉を紡ぎきる前に、怠けるように間延びした声が聞こえる。
嫌な予感がして、和沙はゆっくりを振り返った。
「おっはよー。今日もいい天気だなあ!」
そう言ったのは、志乃幸哉。和沙の天敵。
そんな志乃は、今柳沢の隣に立っていた。それはつい今ほどまで和沙のいた場所で、当の和沙は、志乃に追いやられて前方に立ち呆けいている。
「志乃……」
「ん〜? どしたの? 俺の顔がよすぎて直視できない?」
「志乃先輩!」
怒りの限り叫ぶ和沙に、驚いたのは周りだった。目つきの悪い和沙が怒ると、その迫力が増すらしいのだ。きっと後々、「すごい一年がいる」と噂になるが、そんなことに今構ってはいられない。
「あれ、ストーカーちゃんだ。いたの? って、痛っ! いたた!」
飄々とした問いかけに、和沙は志乃の耳を掴んで引っ張った。柳沢すらも目を丸めているようだが、和沙の神経はそこにまで回らない。クールなんて、単なる周りの評価だ。
「柳沢先輩のこと、諦めてくれたんじゃないんですか!」
声をひそめるため、低い声音で問いかける。
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「言ってません……けども」
昨日の言葉はそういうことだと、すっかり解釈しきっていた。
「あのね。君は龍の彼女という肩書をゲットしただけで、法的な制約はなにもないんだよ? つまり、俺だってまだ、龍をゲットしたっていいってこと」
この上なく楽しそうな笑顔を残して、志乃は柳沢の元へと戻って行った。
「〜〜〜」
志乃幸哉。性別・男。
だけど和沙にとっては、
史上最強の恋のライバルだ。