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■ 前 編

 

 

 『転校することになったんだ。』

 

 

 

イセヤ君が、部活後の静まり返った部室でぽつり言った。

後片付けをしていた陸上部マネージャーのわたしの背中に、

どこか他人事みたいにそれは淡々と響く。

 

 

最初、冗談かと思って『え~?』 わたしは思いっきり半笑いで

呆れたように振り返った。


でも、それが冗談ではないという事は、彼が今、わたしに向けて

差し出している左手と、哀しげにはずした目線で分かった。

 

 

その左手には、折り畳まれた紙が握られている。

日焼けして引き締まったその手。

毎日毎日、懸命にグラウンドを駆けるイセヤ君のその手。

大好きな、イセヤ君の・・・。

 

 

 

 『これ・・・ 新しい、住所・・・。』

 

 

 

中々切り出せず握り締めていたのであろうその紙は、

彼の手の平の熱でしっとりとしている。

思わず責めるような目を向けてしまったわたしに、

彼は『ごめん。』 と小さく呟いた。

 

 

 

”ごめん ”の、その意味を考えていた。

 

 

 

きっと、それはついこの間、イセヤ君がわたしに言った

『付き合って。』という一言がこんなにも呆気なく終わりを

迎えてしまう事に対しての ”ごめん ”なのだろう。

やっとのことで想いが通じ合ったと思ったのも束の間の、

その小さな ”ごめん ”。

 

 

『手紙・・・書くね。』 

わたしの声はちゃんと彼に届いていたのだろうか。


彼は俯いていて、その時どんな顔をしていたのか分からなかった。

その後の記憶はなんだかぼんやりしてしまって、わたしはあまり覚えていない。

いや。 

滲んだ視界が、ただ廊下に小さく遠ざかる彼の背中だけを

見つめ続けていたんだっけ・・・

 

 

そして、本当に次の日から学校でも部活でも

彼の姿を見掛けることがなくなった。

大好きだったイセヤ君の笑顔を、イセヤ君の声を、

イセヤ君の走る姿を二度と見ることが出来なくなった。

 

 

 

わたしは彼が転校して1週間後、手紙を出した。


タイミング的にはちょっと早かったのかもしれない。

でも、居ても立ってもいられなかった。


結局最後に何もまともに話すことが出来ないまま、

離れ離れになってしまったわたし達。


しかし、新住所を知らせるという事は、

この先も ”続ける意思 ”があるという事なはずだ。

互いにこの時はケータイを持っていなかったから、

手紙を遣り取りするうちにそれを持った時にはもっと手軽に連絡を取り合える。

声も聴ける。 気持ちを送り合える。


住所のメモを貰ってすぐレターセットを買いに行き、文面を考えて、

2度下書きをして1週間後にはポストに投函していた。

 

 

 

しかし、彼からの返事は来なかった。

 

 

 

1週間待っても。

3週間待っても。

3か月待っても。


彼からの返事は一度も来なかった。

 

 

もしかしたら何かしらの事情で届かなかったか、

まだ転校したてで忙しくて返事が出来ないのか、

読んだけれど返事を忘れてしまっているのか、

色んな事情を考えてその後わたしは3通手紙を書いた。

 

 

 

しかし、彼からの返事は一度も来なかった。

 

 

 

わたしは、イセヤ君に嫌われてしまったようだった。

それが、中学2年のことだった。

 

 

 

 

 

2年後。 双葉高校、入学。


わたしはまた陸上部のマネージャーをやろうと思っていた。

走る姿を見るのが好きだった。

走る姿を応援するのが好きだった。

もう会うことはない走るイセヤ君が、やっぱり今でも好きだった。

 

 

放課後、陸上部の部室を探して迷路のような校舎を歩いていたわたし。


まだまだ立っているだけで緊張が拭いきれない慣れない校舎の、

足を踏み入れたことのない部活動の各部室が並ぶその廊下に、ひとり。

その廊下の戸口に木板に縦書きで ”陸上部 ”と書いてあるそれを確認した。

丁寧に2回ノックしてドアを開けると、そこは中学の陸上部と然程変わらない

乱雑で少し汗くさくて、でもどこか居心地がいい空間があった。

 

 

先輩女子マネージャーに入部希望を伝え、机に向かい入部届を記入する。

すると、後方でドアが開き

『入部したいんですけど。』 という男子の低い声が聴こえた。


『じゃぁ、君もここに座って書いて。』 

先輩マネージャーに促され、わたしのすぐ右隣りの机で入部届を

書きはじめた、その気配。


すると、わたしの右肘と隣の左肘が数回ぶつかる。

 

 

『ん?』 不思議に思って少しだけ目線をその肘に向けると、

その彼は左利きのようで入部届を記入する左肘が左隣のわたしに

ぶつかっていた。

記入し終わったわたしが席を立ち、届を先輩マネージャーに渡すと、

左利きの彼ももう書き終わったようで立ち上がり同じようにそれを渡す。

 

 

 

 『マネージャー希望の、サノ ミサキさんと・・・


  ・・・イセヤ・・・ コウタ君、ね?』

 

 

 

耳に聴こえたその名前に、一切の動きが止まった。

そして、それは隣に立つ左利きの彼も、同じで。

 

 

ふたり、ゆっくり顔をあげて互いを見た。


あの日、わたしに新しい住所のメモ紙をくれたイセヤ君が立っていた。

中学2年のあの頃より背が伸びて、痩せて、少し大人びて。

 

 

彼も驚いて目を見張りわたしを見て、そして慌てて目を逸らされた。

わたし達は、たった一言の、例えば『久しぶり』だとか『元気だった?』とか、

『手紙・・・書いたんだよ』とか、そんな会話も交わさず目を逸らした。

 

 

完全にイセヤ君に嫌われているんだと、その時改めて痛感した。

 

 

 

その後も1年部員とマネージャーとして、

必要最低限の会話しかわたし達は交わさなかった。


今更なにを話すでもないという思いとは裏腹に、

どうして返事をくれなかったのか、

返事をしないつもりならどうして住所なんて教えたのか、

訊きたいことは山ほどあった。


でも、わたしはただ無言でイセヤ君の背中を見ていた。

あの日と同じイセヤ君がグラウンドで駆ける背中を、ただ黙って見ていた。

 

 

直接会話はしないけれど、彼が他の部員と愉しそうに話している笑い声には

敏感に反応する自分がいた。


中学の時は、ふたりでよく話して笑い合った。

あの声。当時より少しだけ低くなった彼の声は、相変わらず耳にやさしくて、

わたしの胸を今でも少しだけ熱くする。

 

 

まっすぐ見つめられるのは彼の走る背中だけだった。

正面を向いた途端に、わたしは慌てて目を逸らして決して気持ちを

悟られないようにした。

 

 

 

とある夕暮れ。


片付けを終え戸締りをして部室を出ると、廊下の先にイセヤ君の姿があった。

互いに遠くからでもその姿には気付いていた。

でも、彼は途端に俯いてあからさまにわたしを避けようとしている。


すれ違いざま勇気を出して

『お疲れ。』 わたしは彼に、か細く一言声をかけた。

それに驚いたように一拍遅れて、彼からも『お疲れ。』と小さく返って来た。

 

 

静まり返った夕暮れの廊下で立ち止まって、わたしは振り返る。


美しく背筋がスっと伸びた長身のその背中が、どんどん小さくなってゆく。

相変わらず彼の背中しか見つめることが出来ないわたし。

挨拶ひとつまともに、ただの旧友としても気軽に交わせない事が情けなくて、

自分でも無意識のうちにみるみる視界が震え滲んでゆく。

 

 

 

 

  どうしてわたしは嫌われてしまったのだろう。


  わたしは何をしてしまったのだろう。

 

 

 

 

嫌われた理由を知りたかった。

この2年間、なにもかも納得いかなった。


でも、臆病者のわたしは結局なにも出来ず、

彼の背中しか見つめられず、

時間ばかりが呆気なく過ぎていった。

 

 

 


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