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せかいていちばんだいきらいなひと

作者: 秋山糸

 ここからならどこにだって行けると思っていた。

 私は、空だって飛べるんだって。

 この足も、この腕も、どこまでも伸びるのだと、思っていた。

 私がそう思っていた景色は、実のところただの幻想で、壁に写った影なのだと気が付いたのはそう昔のことではない。


 私は、本当にどこにも行けないのだと知ったこの春。

 自分で解いたはずの楔は、雁字搦めに、あの子によって、とても奇麗な鎖でつながれていたのだとようやく気が付いた。



 翔はなんだってできる子だった。

 跳び箱も、縄跳びも、かけっこも、算数も、国語も、絵画教室も、ピアノも、体操も。

 私より後に始めたのに、私なんかよりずっと上手くできた。

 作り笑いが上手で、媚を売るのがだれより得意だった私を、天使のような笑顔で追い抜かいした。


 何がいけなかったんだろうか。

 私と翔は何が違うんだろう。

 私の方がずっと頑張ってきたのに。


 私は絶望を知った。

 本当は、ずっと前からわかっていた。

「ふうちゃんはすごいねぇ!僕もやってみたいな。」

 そんな風に笑う翔を、恨めしく思っていた。


 なんであんたなんかに。

 私の「すごい」なんか、全然「すごく」なくしちゃうくせに。


 悔しい悔しい悔しい!

 私は一つずつ、頑張ることをやめた。

「飽きちゃった。」

 本当は、頑張っても追いつかないとわかっていたから。


 翔と比べられないものなんかない。

 人と比べなくていいものなんてそんなになかった。

 この世の評価は相対的で、揺るがないものなんてそんなになかった。

 基準によって世界は変わった。


 私にとって揺るがないものは、太陽の光と、夜の長さだけだった。

 翔がやってくるまでは、自慢の娘でいられた。優秀な子だった。

 翔がやってきてからは、いつだって二番手になった。

 二番手なんて、みじめで意味ないもの。


 そして私は大きくなった。

 みじめな自尊心と、絶望と、羨望と、諦めだけを育んで、成長したのだ。


「ふうちゃん。」

 そう笑うあの子を何度殴ろうと思ったかわからない。

 天使のように微笑むあの子が、奇麗で、作り物みたいで、大嫌いだった。



「ふうこちゃんと、かけるくんってどんなかんけいなの?」



 明石風子。

 それが私の名前。

 人より少しばかり達観してて、中身はともかく見た目はごくごく平凡の、ただの女子高生。


 遠野翔。

 王子様みたいな外見で、運動もスポーツも家事だってなんでもできて、性格だっていい、天使みたいな私のお隣さん。

 そして私が。


「せかいでいちばんきらいなひとだよ」

 私は変わった。

 頑張ることをやめて、いい子でいることをやめて、笑顔を振りまくことをやめた。

 それでもその問いの答えは、今も昔も変わらずそれだ。




「結局のところ、それって風子の心にそのお隣さんは永住してるってことでしょ?」

 高校三年生。私が転校してきてから半年がたった春の日。


「どういうこと?」


「いやーさ、うちは中等部からこの女の園だから恋とか愛とかわかんないけど、好きの反対って、無関心じゃん。」


 衝撃だった。

 私が今まで嫌いだと何度も何度も恨んできたあの子を憎むことは、私がしたいこととは違ったんだ。


「ほんとに風子が自由になりたいんだったら、あんま考えない方がいいんじゃない?

 ここには幼馴染さんはいないんだし、風子の人生は風子のものなんだから。」


 そこから私は、結構頑張ったと思う。

 笑顔でいるのは、本当は嫌いじゃなかった。

 一番じゃなくても、絵をかくのは好きだった。

 運動だって、友達とわいわい遊ぶくらいなら、大好きになった。

 勉強の合間にみんなでばかやるのだって、ほんとは気に入ってた。


 私は本当に、平凡で、その平凡さをこよなく愛せるような、ごく普通の人間だった。



 卒業式。

 私は自分なりには頑張った、ぎりぎりの大学に進学することが決まっていた。

 頑張ったのだ。

 本当は、頑張ることだってそんなに嫌いじゃなかったのだ。


 だから、ここからもう一度踏み出そうと思った。

 翔がいない場所で、ただの風子を好きになってくれる人たちがいるこの場所から飛び出せば、

 私はなんにでもなれると、馬鹿正直に思っていたのだ。



 結構な子たちが泣いていたと思う。

 いつものメンバーで集合写真をとろう、と話になった。


「すみません!撮ってもらってもいいですか~?」

 友達が頼んで、ファインダーに「せーの」で微笑んで、お礼をいって顔をあげて、


 その先には




「ふうちゃん、ひさしぶり。」





 せかいでいちばんだいきらいなひと。




 そこから先はよく覚えていない。

 唖然とした私に、天使みたいなきれいな声で、むかえにきたよ、と言った。


 みんなきゃあきゃあ言っていたが、本当は気が付いていたと思う。

 私の泣きそうに怯えた顔で、すべてを悟っていたんだと思う。

 この人が、やばい人だって。


 久しぶりに会った翔は、さわやかで、モデルみたいにかっこよくて、

 でも視線だけはじめじめしてねっとりした、気持ち悪い男だった。

 そう、男になっていた。

 私が女になったのと同じように。



「ふうちゃん、会いたかった。

 あんな風に笑うようになったんだね。」


 綺麗になったね―。

 そっとささやく声はまるで媚薬。


「でも僕ね、むかしからふうちゃんだけだったんだよ?

 ふうちゃんの気付いてほしくて、僕に意識を向けてほしくて、頑張ってきたのに。

 恨まれたって憎まれたってふうちゃんの心に僕がいれば、それでよかったのに。


 ひどいよ。」


 だからこれからはね、僕だけ見てるようにね、ずっうーっと一緒にいるんだぁ。

 蕩けるような笑みで、甘い視線で。


 いやだ。いやだ。そんな顔してこっちをみないで。


「なんでそんなに、私が好きなの?」


 くすくすくす。

 子供のような、ひどく歪な笑い声。


「やだなぁ。僕、ふうちゃんのこと好きになったことなんて一度もないよ。

 ふうちゃんだってそうでしょ?」


 いやだ。いやだ。私のこと嫌いなら、私のことが嫌いなら。


 私、いったい。なんで


「じゃ、なんで、私に、そんなに。」


 ガタガタと震える。

 私は何も持ってない。

 翔が欲しがるようなもの、何も持ってないよ。




 それはね、ふうちゃん。


 君が僕を、世界で一番嫌ってるところを、とってもとっても愛してるからだよ。

もう少し、病んでる感じにしたかったです。


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