アルフレッド王子行状記
「……そりゃあ、いくら模擬戦でもさ。相手は第一王子だぞ? 本気で叩きのめせるわけねえだろ」
その夜、お忍びで城下を歩いていた王子アルフレッドは、居酒屋の裏口から漏れ聞こえてきた近衛騎士たちの会話に、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「だよな。アルフレッド様は『建国以来の天才』なんてチヤホヤされてるが、俺たちが手加減して立ててやってるお陰って、気づかないもんなのかなあ」
「まさに。おめでたい」
下卑た笑い声が夜の闇に消えていく。
「でも、最近は少しはマシになられたようで、負けた振りも随分楽になった」
「だよな」
「「ガッハッハ!」」
アルフレッドは自らの拳を見つめ、激しい屈辱と自己嫌悪に震えた。
自分には並外れて強いという自負があった。それが十年以上続く自惚れと知り足下が崩れていく思いだった。
でもよく考えてみれば、自分も王や王弟には、気に入られたくておべっかを使うではないか。家臣がおべっかを使うのも無理はない話だ。
(しかしピエロというのは悲しい、本気で打ち合える友や、いさめてくれる師匠が欲しい……)
彼は「本当の自分の実力」を知りたくてたまらなくなった。
人間、命が惜しければ、身分など忘れて本気を出すはずだ。
追い詰められれば、剥き出しの牙を剥いて余を叩きのめしてくれるに違いない。
翌朝、アルフレッドの狂行が始まった。
【一日目:木刀】
訓練場に現れたアルフレッドは、昨日陰口を叩いていた近衛騎士を指名し、重い樫の木刀を握った。
「本気で来い。さもなくば死ぬぞ」
「はは、またまた仰せを――」
次の瞬間、アルフレッドの容赦のない一撃が、騎士の胴を直撃した。骨の砕ける鈍い音が響き、騎士はあばらが折れ運ばれていった。
(なぜ本気の一撃を防がない! 命が惜しくないのか!)
アルフレッドは怒り狂い、居酒屋にいた他の騎士たちにも次々と襲いかかった。手加減なしの木刀は、防具ごと肉体を叩き潰す凶器と化し、その日だけで数人の騎士が重傷者として医務室に運ばれた。
【二日目・三日目:高位貴族への襲撃】
「王子が乱心された」と城内が騒然とする中、アルフレッドは止まらなかった。
二日目、彼は「一番の手加減している張本人」と睨んだ、王国屈指の武芸名門たる貴族の騎士たちを呼び出した。
今度は真剣だった。
「本気で余を殺しに来い。身分など忘れて、全力で抗え!」
神速の踏み込みから放たれる刃は、貴族の騎士たちの防御を紙のように切り裂き、もう少しで出血多量で死ぬほどの大怪我を負わせた。
三日目になっても凶行は続いた。
「お止めください王子!」といさめる高名な老騎士を「ならば止めてみよ」とアルフレッドは容赦なく兜ごと首をはね飛ばした。
【四日目:包囲網と皆殺し】
ついに、これ以上の暴挙を黙認できないと、数十人の重装騎士団がアルフレッドを完全に取り囲んだ。
「アルフレッド殿下! 剣を捨ててください! さもなくば、力ずくで捕らえます!」
騎士団長が叫ぶ。その目は、明らかに王子の命を奪うことも辞さない、本物の殺意に満ちていた。
「そうだ! それだ! その殺意を待っていた!!」
アルフレッドは歓喜に震え、群がる騎士たちの真ん中へと飛び込んだ。
凄惨な死闘――いや、一方的な虐殺が始まった。
騎士たちは刃先を潰した槍を突き出し、なまくらの大剣を振り下ろしたが、アルフレッドの身体に大したダメージを与えることはできなかった。
アルフレッドが死線を感じるたび、その剣はますます研ぎ澄まされていく。全力で振るうたび、鋼鉄の鎧を着た騎士たちが、まるで熟したトマトのように一撃で両断され、四散した。
ものの数分経過したとき、訓練場は血の海と化し、数十人の包囲網は全滅した。
息絶えた騎士団長の死体を見下ろし、アルフレッドは激しく絶望した。
「なぜだ……これほどの数で囲んでおいて、まだ忖度するのか! 余はどこまで蚊帳の外なんだ!!」
この凄まじい大量虐殺により、アルフレッドは完全に「狂王」として廃嫡され、王都の最果てにある古塔に厳重に軟禁されることとなった。
重い鉄格子の向こうで、彼はただ虚空を見つめ、呟き続けた。
「誰も彼も、最後まで忖度ばかりだ。太鼓持ちなどもうたくさんだ……。命を捨ててまで、余に嘘をつき通した。それが宮廷の処世術なのか?余の強さなど、すべては偽り、しょせん張り子の虎……」
――数年後。
世界は一変した。突如として復活した「魔王」の軍勢により、王国は滅亡の危機に瀕していた。
残された騎士団は全滅し、王都の結界は破られ、魔王自らが玉座の間にまで攻め込んできた。
死を覚悟した老王の前に、一人の男が姿を現した。
引きずり出された古塔のマントを羽織り、錆びついた鉄の剣を握ったアルフレッドだった。
「アルフレッド……狂ったお前が、今更何をしにきた!!」
老王が忌々しそうに憎しみの声をあげる。
魔王は嘲笑を浮かべ、世界を滅ぼす暗黒の魔力をその手に集めた。
アルフレッドは、冷めた目で魔王を見つめた。
(こいつが魔王か。世界を滅ぼす絶対の悪。……ならば、忖度などあるわけもないよな)
アルフレッドはニヤリと笑う。
(王子の身分も、王国の法律も関係ないお前なら、余を「本気」で叩きのめし、本当の絶望、敗北の味を教え。余が殺した騎士たちのもとに送り届けてくれるだろう)
「来い、魔王。余を殺してみせろ」
魔王が吼え、大地を揺るがす暗黒の波動が放たれた。
直撃すれば、城ごと跡形もなく消し飛ぶほどの絶大の一撃。
アルフレッドは歓喜に震えながら、錆びた剣を構え、全力で迎え撃った。
――ズガアアアン!!
凄まじい光と衝撃が、謁見の間を包む。
光が収まったとき、魔王の放った究極の魔法は、アルフレッドが「ただ全力で振るっただけ」の剣圧によって霧散していた。
それどころか、その剣圧の余波だけで、魔王の身体の半分が消し飛んでいた。
「が、はっ……馬鹿な……人間の分際で、これほどの……」
魔王は恐怖に目を見開き、血を吐きながら床に崩れ落ちた。息絶える寸前、魔王はアルフレッドを凝視し、震える声で遺した。
「貴様、その力……まさか、伝説の、本物の、勇者……」
ガクリと頭を垂れて、そのまま塵となって消滅した。
その光景を見たアルフレッドの脳裏に、かつて居酒屋の裏で聞いた、あの騎士たちの言葉がフラッシュバックした。
『アルフレッド様は建国以来の天才なんてチヤホヤされてるが、俺たちが手加減して立ててやってるお陰って、気づいてないのかなあ』
アルフレッドの顔が、絶望と怒りで紅潮し激しく歪んだ。
「お前もかァァァーーーーーッ!!!!」
アルフレッドは頭を抱え絶叫した。
「勇者!? 本物の勇者だと!? ふざけるな! お前、死に際にまで余の身分を気にして、そんなお世辞を言ったのか! 魔王のくせに! 敵の親玉のくせに! なんで余に忖度してわざと半分吹き飛んで死んだんだよ!!」
「ああそうか、そういうことか!魔王の芝居がかったセリフおかしいと思ったんだ。これは全部茶番なんだ。後継者の第二王子を英雄に祭り上げるための……。魔王があんなに簡単に死ぬわけがない。役者を雇い、民衆を騙す。一芝居打つはずを俺が邪魔して台無しにしただけ……フッ、ハハハハ……」
重度の「忖度ノイローゼ」に陥っているアルフレッドには、もう何が何だかわからなくなった。
「どいつもこいつも……どいつもこいつも、余をバカにして……どうして本気でぶつかって来ない。どうしていつも余だけを仲間外れにするんだ!」
アルフレッドはボロボロと大粒の涙を流し、大声をあげて泣き出した。
「もういい! みんな大嫌いだ! 嘘つきのバカばっかりだーーーッ!!」
錆びた剣を放り投げ、マントを振り乱しながら、アルフレッドは謁見の間から脱兎のごとく走り去った。
そのまま王城を飛び出し、地平線の彼方へと泣きながら走って消えていった。
静まり返った玉座の間には、塵となった魔王の跡と、呆然と立ち尽くす老王、そして「今のは一体……?」と顔を見合わせる騎士たちだけが残された。
世界は救われた。しかし、誰もその英雄を理解できる者はいなかった。
そして天才もまた、世の中に負け惜しみというものがあることを理解できなかった。
(了)




