ブルーベリー
ブルーベリーがずっと好きだ。
小学生の頃の話をしよう。朝目覚めて食卓へ降りると、トーストと目玉焼き、レタスサラダと共に、純白のヨーグルトが出されるのだ。その上にはブルーベリーが乗せられ、吸い込まれるような紫が明るい朝食群のアクセントとなっていた。もちろんジャムではないので、味はヨーグルトと合わせても至って淡白である。少年心には甘いものこそ至上と思われたため、当初は好かなかった。しかし、バターやソース、シーザードレッシングを味わっていると、その淡白さこそが楽譜の最後に添えられた終止線のように思えた。なければ朝が締まらないのだ。
それでも、以上で話したことはあくまで相対的な理由である。周りの皿たちがなければブルーベリーの一長短を語ることができないわけじゃないし、これをもって「ブルーベリーが好きだ」と言うのは不誠実であろう。私は別に朝食の場でなくともブルーベリーを好んで食べる。その習慣は小学生の頃からずっと続いている。
ここで大事なのが洗面所である。急に何を言っているのか分からないだろうが、少し下品な──性的・暴力的指向ではないものの、嫌悪感を呼びかねない話が要るのだ。
食事をした後には歯磨きという行為が自然とついてくる。私の育ちゆえかもしれないが、そうした方が良いのは確かだろう。この流れについて、私は小学生の頃から決まったルーティンがあり、食事を食べ終わる→皿を運ぶ→水を飲む→コップを運ぶ→洗面所へ歯磨きに、という非効率的な習慣を持っていた。余分にコップ一個分の洗い物が出るものだから、母親には何度小言を言われたか知れない。しかし、いつからか彼女の中でも習慣と化したのか、特段口を挟まれることは無くなった。
洗面所に着くと、初めにうがいをして口内にへばりついたブルーベリーの皮を洗い流す。この工程が比較的長いのである。何度すすいでもどこかしらに皮が潜んでいるらしく、五、六度目でやっと見切りをつける。それから歯ブラシにミント色のペーストを絞り、右目側上部の犬歯から磨いていく。犬歯の前側、奥歯の前側、表面、裏、再び犬歯の裏へ……流れるように磨いていき、最後に前歯を入念に磨く。なぜこのような順序になったかは知らない。後付けの理由にも価値はないだろう。
そうして、うがいの前に口内に溜まった雑多な液体類を吐き出す。この場面のために私は「下品だ」と注意書きさせてもらった。液体の中には歯磨き粉のみならず、唾、歯垢、嚥下しきれなかった食事カス等、生々しい物質が数多く含まれている。こんな下品な話をするのも躊躇われるが、私は吐き出したものの色がほんのりと好きだった。
鮮やかな青紫のブルーベリーを食べたはずが、吐き出されるものは暗い灰色なのだ。子供心には魔法のように思われた。まるで自分の中にある黒い何かを彼が吸ってくれて、それを抱き抱えながら出て行くのだと思った。私が受け取るのは鮮やかな青紫だけだ。いわゆるプラシーボ効果だろうが、自分の中にある澱を持ち去ってくれると思うと、ブルーベリーを食べるだけで心が軽くなった。
もちろんそれはきっかけであり、いい年になった今でもそんな理由でブルーベリーを好んでいるわけじゃない。今は味しかり、見た目しかり、そういう点で個人的な好みと一致している。フルーツはどれも明るすぎる。甘さ・華やかさを求めすぎている。そんな中、ブルーベリーというのはわずかな救いになっているのだ。
あとは「目に良いから」という理由を書こうと思ったが、やめておくことにする。ちょっと前まではブルーベリーを食べて視界が明瞭になったような気がしていたが、どうやら直接的に視力回復の効果はないらしい。これもプラシーボ効果ならば、私はあの頃から変わっていないようだ。ブルーベリーもそうかもしれない。別に私を助けてくれるわけではなく、ただ、ヨーグルトの上にひっそりと座っている。




