第4話:不可避な変化
悲劇のない朝が訪れた。
星野家の家の中には、もはや湿気と絶望の入り混じったあの不快な臭いは漂っていなかった。今の空気には、微かなラベンダーの残香と、淹れたての茶の香りが絶えず混じり合っている。
新調されたカーテンが柔らかな陽光を遮り、古びたソファにはふかふかのクッションがいくつか並んでいる。凛が持ち込んできた小さなラジオからは、佳衣のために穏やかな音楽が流れていた。
ひび割れた床の一部は新しいカーペットで覆われ、窓辺にはリサイクルされた缶を鉢にした植物が並んでいる。台所には即席の棚が作られ、蓮の記憶にあるよりもずっと多くの食器が並べられていた。
蓮は浴室の鏡に映る自分を見つめた。
かつて顔に刻み込まれたかのように色濃かった紫色の隈は、今やほとんど消えかけている。少しだけ体重も増え、歯ブラシを持つ手も、もう以前のように震えることはなかった。
台所での朝食は、もはや急いでかじる乾いたパンではない。
蓮はそこに立ち、急ぐこともなく静かに朝食の準備を整えていた。
「お兄ちゃん、ジュース取ってくれる?」
ケイの声は柔らかかったが、それでも彼女の笑顔はレンの心を温めた。
レンは彼女にカップを差し出したが、彼女の手がレンの目に留まり、彼女は一瞬立ち止まった。彼女の肌は青白く、まるで透き通っているようだった。目にはまだ光があったが、前よりも深い疲労感がにじみ出ていた。彼女の指の動きはあまりにも遅く、レンの心は沈んだ。
「ケイ…本当にご飯全部食べたの?ほとんど口にしなかったの?」
彼女は、まるで尋問のように聞こえないよう、声を和らげながら尋ねた。
「あまりお腹が空いていないわ。」
レンは少し眉をひそめた。
「せめてもう少し食べなさい。」
ケイは再びスプーンを手に取り、二口食べたが、すぐに置いた。
「今日はちょっと…体が痛いだけ。」
蓮の身体が強張った。
「どこが……どこが痛むんだ?」
「ここ……」
**圭**は自分の脇腹にそっと手を置いた。
「それから、頭も少しだけ……」
蓮は口元へ運ぼうとしていたカップを、机の途中で止めた。
「圭……」
「心配しないで、お兄ちゃん。私は大丈夫だから」
蓮がさらに問い詰めようとしたその時、インターホンの音が静かに鳴り響いた。それは決して不躾な音ではなく、むしろこの家に訪れる穏やかな日常の始まりを告げる合図のようだった。
橘 凛が、一点の乱れもない完璧な制服姿で現れる。しかし、その挨拶の仕方は、彼女の本来の居場所である上流階級の友人たちが聞けば腰を抜かすほど、あまりにも自然で、この場所に馴染んだものだった。
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学園内では、二人の間にあった見えない壁が静かに崩れ去っていた。もはや屋上の隅に隠れて言葉を交わす必要はない。蓮が図書室で机に向かえば、凛もまた、かつてのように友人たちに囲まれて過ごす時間は少なくなっていった。
彼女はもう、彼に札束を投げつけたりはしない。代わりに投げつけられるのは、物理の演習問題への容赦ない添削だ。彼もまた、彼女を憎しみの目で見つめることはなかった。その瞳に宿るのは静かな感謝であり、それはどんな言葉よりも多くのことを語っていた。二つの世界が衝突し、そして完璧な均衡を見出しつつあるのだ。
今、彼女の定位置は、蓮の隣にある空席となっていた。
「ねえ、星野」
「何だ?」
「今日は死人みたいな顔してないわね」
蓮は彼女を見つめた。
「……ありがとう、と言っておくよ」
彼女はふいと視線を逸らす。
「別に、褒めてるわけじゃないわ」
それでも、彼女の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
授業中、凛は騒ぎ立てることなく自然にペンを貸してくれた。
休み時間、蓮はもう一人で屋上へ向かうことはなかった。
中庭の木陰で、彼は彼女と共に過ごした。
多くを語るわけではないが、かといって距離を置くこともない。
その光景こそが、二人にとっての新しい日常だった。
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その週の金曜日の夜は、まさに「偽りの幸福」という名の山の頂上だった。
凛が食材を持ち込み、皆で簡単な料理を作った。**圭**は床に座り、楽しそうにその様子を眺めていた。
皆で笑い合い、トランプに興じた。
蓮は三回連続で負け続けた。
「最悪ね、星野。本当に才能がないわ」
「うるさい……」
圭はその夜、何を見てもずっと笑い転げていた。すべてがこれから良くなっていく、そんな錯覚さえ抱いてしまうほどに。
「なあ……」
蓮はカップの底を見つめながら、静かに呟いた。
「あんたが現れる前まで、俺はただ世界が終わる日を数えるだけの毎日だった。一瞬でも抗うのをやめたら、すべてが崩れ落ちてしまう……そう思っていたんだ」
凛は頬杖をつき、黙ってその言葉に耳を傾けていた。
「でも今は……数年ぶりに、時間が過ぎるのが早すぎるのが怖いと感じてる。ありがとう、凛。俺は一人じゃないんだって、そう思わせてくれて」
凛はすぐには答えなかった。
「……別に、慈善事業じゃないわ」
蓮はカップを握りしめる手に力を込めた。
「以前の俺なら……誰かに助けられたら、上から目線で見下されているような気がしていたはずだ」
静寂が流れる。
「でも、あんたに対しては……」
彼は顔を上げた。
「……そんな風には思わないんだ」
凛は呆気に取られたように固まった。彼女は手を伸ばし、そして初めて、乱暴ではない仕草でテーブルの上の蓮の指にそっと触れた。彼女の肌は温かく、いつもこの家を支配していた冷気とは対照的な、確かな生命の鼓動を感じさせた。
「……バカね」
だが、その声に棘はなかった。
それは……驚くほど優しく響いた。
その夜、凛は自分で買い揃えた新しいソファベッドで眠りについた。家の中は平穏に包まれていた。すべてが、完璧だった。
あの日――土曜日の午後が訪れるまでは。夜が更け、ようやく圭が眠りについた後、蓮と凛は小さな台所に残り、最後の一杯のお茶を分け合っていた。
蓮と凛は居間の床に座り込み、他愛のない話に興じていた。
**圭**は奥の部屋のベッドで休んでいる。
だが突然、その静寂は無残に引き裂かれた。それは悲鳴ですらなかった。喉を詰まらせるような、苦しげな音。圭の部屋から、絶望的な喘ぎ声が聞こえてきたのだ。
二人は弾かれたように部屋へ飛び込んだ。ベッドに座り込んだ圭は、胸をかきむしり、瞳を大きく見開いていた。その肌の色は、見るに堪えない恐ろしい灰色へと変色していく。彼女は何かを伝えようとしたが、唇の端から白い泡が漏れ、直後に激しく嘔吐した。
「お兄……ちゃん……」
蓮は、その場に釘付けになった。
「圭……圭!」
蓮は彼女のもとへ駆け寄り、その肩を強く掴んだ。彼の両手は再び震えだし、それは電気を帯びたかのような激しさだった。彼の中で、築き上げた世界が音を立てて崩壊していく。
「息をしろ、頼む! 俺を見ろ! 圭!」
少女の身体は後ろへとのけぞり、短い痙攣を起こした後、ぐったりと力なく崩れた。酸素を求めて必死にもがくその体は、焼けるような高熱を帯びている。
蓮は凍りついた。荒くれ者と渡り合い、十五時間連続で働き続けることができた少年が、今、粉々に砕け散った。彼の瞳には涙が溢れ、過呼吸に陥りながら叫ぶ。
「嫌だ……今じゃない……こんなの……! 圭、目を覚ませ!」
蓮は叫び続けていたが、その手はどう動けばいいのか分からなかった。パニックが、彼の理性を完全に塗り潰していた。
凛もまた、足元の地面が消えていくような感覚に襲われていたが、崩れ落ちることだけは許されなかった。
「蓮、どいて!」
凛の叫びは、平手打ちのような鋭さで彼を打った。
「場所を空けなさい!」
凛は震える手で、しかし確かな意志を持ってスマートフォンを掴んだ。父親が経営するクリニックの救急車へダイヤルし、同時に、窒息を防ぐために**圭**の体を横向きにする。
「橘です! 送った住所へ至急、コード・レッド! 救助が必要な少女がいるの……早くしなさい!」
通話を終えた彼女は、床で妹の手にしがみつき、嗚咽を漏らす蓮を見下ろした。
「蓮、聞きなさい!」
彼女は彼の顔を強く掴み、無理やり自分を向かせた。
「今ここで諦めるなんて許さない。この子には私たちが必要なのよ。救急車はすぐそこまで来てる。立ちなさい、このバカ!」
遠くからサイレンの音が響き始めた。そして、蓮は初めて……本当の恐怖を知った。
金を失うことでも、過酷な労働でもない。自分の手の中に残された、唯一の宝を失う恐怖。
三人は救急車に飛び乗った。蓮は、祈るような壊れかけの約束を囁きながら圭の手を離さず、凛は運転手にもっと急ぐよう怒鳴り散らしていた。
偽りの幻影は、もう消え去った。嵐はついに訪れた。そして今、彼らは「避けては通れない現実」と向き合わなければならなかった。
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救急車の中での記憶は、赤い回転灯の光と、酸素マスクが刻む規則的な音だけで塗り潰されていた。蓮は**圭**の手を放さなかった。その手は、大理石のように白く、凍りつくほどに冷たかった。
扉が開いた瞬間、橘総合病院の圧倒的な豪華さが二人を襲った。蓮が通い慣れていた公立病院とは何もかもが違っていた。そこには完璧な清潔感だけが漂い、床は目を射るほどに輝き、死者のような静寂が満ちていた。
数人の看護師たちが、圭のストレッチャーを連れて制限区域へと猛スピードで消えていく。
「圭! 待て、置いていかないでくれ……!」
蓮はその後を追おうとしたが、警備員に強く制止された。
「ここで待ちなさい、君!」
「嫌だ、離せ! 妹を見せてくれ!」
「落ち着いて、星野……落ち着きなさい!」
凛は彼の肩を掴み、無理やり救急外来の待合室まで引き戻した。
蓮は革張りの椅子に崩れ落ち、両手で顔を覆った。歯がガチガチと鳴るほど、彼の体は激しく震えていた。パラノイアが彼を内側から蝕み始める。
「違う……嫌だ、こんなの……」
彼は両手で髪を掻きむしった。
「俺のせいだ……気づくべきだったんだ……。あいつ、痛いって言ってたのに、俺は……。俺はバカだ、凛。救いようのない、無能なクズだ!」
彼は、溢れそうになる涙を堪え、震える声でささやいた。
「もし、あいつが死んだら……俺のせいで、あいつがいなくなったら、俺は……」
凛は彼の腕を強く掴んだ。
「よく聞きなさい、星野 蓮」
彼は答えない。
「私を見なさい、バカ!」
凛は無理やり、自分と視線を合わせさせた。彼女の瞳にもまた、底知れぬ恐怖が宿っていた。しかし、その決意は鋼のように鋭かった。
「あなたは一人じゃない。もう、一人じゃないのよ。私の父はこの道で最高の人。そしてこの病院には、あなたの想像もつかないような技術がある。あの子を諦めさせたりしない。あなたを絶望させたりもしない。……分かった?」
蓮は、溺れる者のように荒い呼吸を繰り返した。
「怖いんだ……」
かすれた声で、彼は漏らした。
「もし、死んだら……俺は……」
凛は彼を抱きしめた。
強くはない。
ドラマチックでもない。
ただ、彼が崩れ落ちないように。その重みを支えるためだけの、静かな抱擁。
「死なせないわ。……約束する」
蓮はその抱擁を全身で受け止め、同じように、彼女を抱きしめ返した。
それから、一世紀にも感じられる二時間が過ぎ去った。扉が開くたびに、蓮は電流を流されたかのように弾かれた。
ついに、一人の中年男性が手術区域から姿を現した。一点の汚れもない白衣を纏い、その表情は花崗岩に刻まれたかのように硬い。凛と同じ漆黒の髪を持ち、その眼光は人の内面までをも見通すかのようだ。
彼こそが、橘 昭彦。この病院の院長であった。
「お父様……?」
蓮は顔を上げた。
「え……?」
医師は娘を一時無視し、視線を蓮に固定した。その鋭い眼差しは、少年の安物の服、レストランでの労働で汚れたままの手、そしてショック状態にあるその姿を冷徹に評価していく。やがて彼は一つ溜息をつくと、手元のタブレットに目を落とした。
「私が橘だ」
その声は深く、一切の余計な感情が削ぎ落とされていた。
「君が、患者……星野 **圭**の兄か?」
蓮は弾かれたように立ち上がり、食い入るように問いかけた。
「は、はい、俺です! 妹は……**圭**はどうなったんですか!?」
医師は視線を落とした。
「患者、星野 圭は深刻な尿毒症の危機に陥っている。腎機能は完全に停止し、肺には水が溜まり始めていた」
蓮は、肺から空気がすべて吸い出されたような感覚に陥った。
「い……生きてるんですか?」
絞り出すような声で、かろうじてそれだけを口にした。
「今のところはな。緊急透析によって一命は取り留めたが、それはあくまで一時的な処置に過ぎない」
橘医師は腕を組み、臨床的な冷徹さで蓮を見つめた。
「君、妹さんには緊急の腎移植が必要だ。数ヶ月後でも、数週間後でもない。彼女の体は、長期の透析に耐えられるほど強くはないんだ。数日以内に適合するドナーが見つからなければ……彼女の心臓はいずれ停止する」
蓮の顔から血の気が失せた。傍らでその言葉を聞いていた凛もまた、自分の世界が音を立てて崩れ落ちていくのを感じていた。
「移植……? それは……一体いくらかかるんですか?」
橘医師は沈黙した。その一瞬の静寂は、病院の建物全体よりも重く蓮にのしかかった。
「お父様……どうにかして……」
凛が縋るように口を開いたが、父はそれを制して言葉を続けた。
「……娘の友人のためだ。この病院において、費用のことは今のところ問題ではない」
彼は凛に警告するような視線を向けた後、再び蓮を見た。
「問題なのは、国内の待機リストは何年待ちだということだ。そして彼女には、数日という時間さえない。今必要なのは生体ドナーだ。完璧な適合性を持ち、今すぐ手術室に入る覚悟のあるドナーがな」
凛は父を見つめ、次に蓮を、そして最後には自分の両手を見つめた。
蓮は言葉を失った。それが何を意味するのか、彼には痛いほど分かっていた。それは、希望という名の皮を被った「死刑宣告」だった。
凛が彼らのために築き上げたガラス細工の世界は粉々に砕け散り、その破片は蓮の胸の深くに突き刺さっていた。
嵐はただ訪れたのではない。すべてを奪い去ろうとしていた。
第4章の終わり
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またお会いしましたね。更新が遅れてしまってすみません(笑)。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
一時の幸福な時間の後、星野家はこれまでにない最大の試練に直面します。
圭の命、そして蓮と凛の決断……。物語はいま、まさにクライマックスを迎えています。
さて、今回のエピソードはいかがでしたか?
「良かった」「悪かった」「いや、もうアカウントを消せ!」などなど……(笑)。皆さんの率直な感想を教えていただけると嬉しいです。
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それでは、第5話も楽しみにしていてください。
また次回、お会いしましょう。
著者:零時卿




