③受け取れない恩返し
〝動物報恩譚〟というものがある。小難しい言い方をしたが、要するに〝動物の恩返し〟のことである。日本に伝わるもので最もよく知られたものといえば、やはり「鶴の恩返し」ではないだろうか。
とある翁が罠にかかった鶴を助けたその夜、雪に困った美しい娘が宿を求めて家に現れる。翁とその妻は快く泊めてやり、行く当てがないという娘をそのまま家に住まわせた。娘は機織り部屋にこもるたびに美しい反物を作りあげ、これが大層高い値段で売れる。翁たちは喜んだが、一つ気になることがあった。娘に「機織り中は決して部屋を覗かないで」と頼まれたけれど、こんな美しいものをどうやって作っているのか。堪えきれずに意を決して部屋を覗いたところ、そこにいたのは娘ではなくかつて助けた鶴であり、自らの羽を使って反物を作っていたものの、正体を知られたからには去らねばならないと告げて空へ飛び立っていく。
鶴を助けるのが翁ではなく若い男であったり、己の羽ではなく買ってきた糸で反物を作っていたりと、収録されている文献によって細々とした違いはあれど、大まかな話の流れは以上の通りだ。他にも「カエルの恩返し」「狐の恩返し」「猿の恩返し」と登場する動物は様々で、鶴の恩返しのように少々悲しい別れ方で終わる結末もあれば、結婚して幸せに暮らす展開のものもある。なんとバリエーション豊かなことか。
さて。
前置きが長くなったが、僕は先日、前述したような動物報恩譚の一種らしきものを体験した。正確に言えば体験したのは僕というより友人なのだが、彼から「意見を聞かせてほしい」と呼びだされ、結果、目撃したのである。
その友人――今回は仮にAとする――とは大学生の頃に知り合った。僕は民俗学、Aは歴史学と研究対象に違いはあったが、飲み会をきっかけに親しくなって以来、かれこれ十年以上は交流が続いている。
Aから連絡があったのは、日付も変わりそうな深夜のことだった。季節はようやく夏が終わって秋に移り変わった頃合いで、虫の声を聴きながら本を読んでいると、不意にスマホの着信音が響いた。画面にはAの名前が表示され、こんな夜中になにごとかと首を傾げながら電話に出れば、やけに困った風な声音でAが口を開く。
「あのさ、お前って魚好きだっけ」
種類と調理法による、と僕は答えた。赤身よりは白身派だし、煮たり焼いたりよりは刺身の方が好きである。
突然電話してきたのは食の好みを聞くためか。訝る僕に、Aは「いや、まあ」と歯切れが悪い。
「なんていうのかな、とりあえず今からこっち来られないか。見てもらった方が早いっていうか。わけ分からなくて俺一人じゃ処理しきれないんだ。お前の意見が聞きたい」
Aは僕の返事を聞くことなく電話を切ってしまった。
幸いAの暮らすアパートは、僕の自宅から自転車で二十分ほどの距離にある。僕は田畑を根城にする虫の合唱を突っ切るように自転車をこぎ、Aのアパートに向かった。
その道中、自転車のライトを受けてきらりと光るものがいくつかあった。決して明るいとは言えない街灯がぽつぽつと並ぶ中でそれを見た時、少々不気味でひやりとしたものである。
近づいて分かったことだが、光の正体は猫の瞳だった。このあたりを縄張りとする野良猫だろう。三毛や縞柄、黒に白と、通り過ぎざまにざっくり数えただけでも四匹いた。猫たちの警戒の眼差しが痛い。極力刺激しないようにしながら、僕は距離を取って猫たちのそばを通り抜け、Aのアパートに到着した。
アパートは築数十年らしく、元は白かったであろう壁も全体的に黒ずんで苔も生えている。Aの部屋がある二階に続く階段も手すりが錆びており、触れた場所から崩れてしまいそうな雰囲気を醸していた。なぜこんな古びた建物を選んだのかとAに聞いたことがあるが、「家賃が安いから」という単純明快な答えを返された。
違和感を覚えたのは、階段を上りきった時だ。
妙に生臭いにおいが漂っている。何度かここに来たことはあるが、嗅いだことのない悪臭が通路に満ちていた。
においは奥に行くにつれて強くなる。奥に――Aの部屋がある、一番端に。
耐えかねて鼻を摘まみながらインターホンを鳴らす。Aは待っていましたとばかりにすぐに扉を開けてくれたが、その容貌に息をのんだ。
学生時代のAは風邪一つ引いたことが無く、常に気力が漲っていた。
しかし今の彼は、目元には睡眠不足を物語る隈が色濃く刻まれ、心なしか頬もこけているように見える。血色の良かったはずの肌は青白く、見たことが無いくらいに弱々しい。
「来てもらって悪いな。ああ、うん。分かる、くさいだろ。俺も出来る限りのことをしようとしたんだけど、なかなか追いつかなくて。嫌かもしれないけど、とりあえず入れよ。外で喋ってると他の部屋に迷惑だからさ」
足を踏み入れることにいささか躊躇はあったが、Aの言うことももっともだ。服ににおいがついてしまうのを覚悟の上で、僕はAの部屋に入った。
室内に特におかしなところはない。玄関を入ってすぐ左手にトイレと風呂、その向かいにコンパクトなキッチンがあり、そこを通り抜ければ本棚に圧迫された洋室がある。床には本棚からあふれた書籍が所狭しと積み上げられ、アパートの古さを考えればいつ床が抜けてもおかしくなさそうだ。窓に近い一画には布団が敷かれているが、脇に折り畳み式の小さな丸い机があるあたり、食事もあそこで済ませているらしい。
本のタワーを崩さないよう慎重に、僕はAのあとに続いて布団に到達した。まともに腰を下ろせるのがここしかないのである。布団に近づくにつれて悪臭が多少和らいでいったのは、換気のために窓を開けてあるからか。
なにか飲むかと聞かれたが、丁重に断った。こんなにおいの中で茶など口にしようものなら、気持ち悪くて飲んだ先から吐きかねない。「だよなあ」とAは笑いながら僕の向かいで胡坐をかき、困ったように頭をかいていた。
「ヤバいにおいしてるだろ。可能な限り防臭の努力はしてるんだけど、どうにもならなくて。他の部屋の人とか大家から毎日苦情の嵐だよ。けど別に、ごみを溜めてるとかそういうわけじゃないんだぞ」
それは見れば分かる。
本の山が築かれていることを除けば、Aの部屋は綺麗だった。シンクに洗い物は放置されていなかったし、ごみ箱も溢れていない。ごみ袋が何個も溜まっている様子もなく、どちらかといえば悪臭とは無縁そうだ。
ではこの悪臭はどこからもたらされているのか。僕の問いに、Aはがっくりと肩を落とす。
「二、三週間くらい前かな。出勤がてらごみ出そうと思ってごみ捨て場行ったら、ニャーって鳴き声が聞こえたんだよ」
急になんの話だ。僕が怪訝な顔をしたからか、Aは「いったん聞いてくれ」と顔の前で手を振る。
「聞き間違いかと思ったけどずっと鳴いてるし、なんか変だなと思って積み上げられてたごみ袋をどかしたんだ。そうしたら、隅っこの方でもぞもぞ動いてるビニール袋があってさ。なんだこれって開けてみてびっくり。子猫が突っ込まれてたわけ」
Aの見立てでは捨て猫だという。子猫は合計五匹おり、慌てて救出して動物病院に駆けこんだが、息苦しさとごみ袋の重みに限界を迎えていたようで、五匹のうち四匹はそれまでに息絶えてしまった。残った一匹は辛うじて息があり、処置のおかげでなんとか死なずに済んだ。
いったん子猫を連れ帰ってきたAだが、問題が一つあった。彼のもとで子猫を育てるのは無理だったのだ。
「ここのアパート、ペット禁止でさ。いつだったか他の部屋の住人がこっそりウサギだかカメだか飼ってたら、大家にバレて大目玉食らってるのを見たことあって。だから猫は実家の両親に預けることにしたんだけど」
ほら、とAがスマホに写真を表示する。彼の父親が子猫と戯れている一枚だ。ころころとした丸い瞳と、小さな体で猫じゃらしと格闘する姿がなんとも愛らしい。全体的に白い毛並みだが、足先だけ黒いのが手袋や靴下を履いているように見える。
「変なことが起きたのは次の日の夜だ」
Aは腕を組んで背中を丸める。まるでなにかを恐れるような姿勢だった。
「玄関の方からカリカリって擦れる音がしたんだ。木の枝でも飛んできたのかなと思って確認しに行ったら、鳴き声がして」
ニャー、と。
出勤前にごみ捨て場で聞いた、あの鳴き声だったという。
「慌ててドア開けたら、通路に猫がいたんだよ。四匹。……多分、動物病院に行くまでに死んだ猫だった」
ビニール袋から救出した時に比べて大きくなってはいたが、模様から察するに間違いないという。四匹の毛色はそれぞれ三毛、縞柄、黒、白――僕がここに来るまでに見かけた猫かも知れない。
猫たちは現れたAを見上げ、より強く鳴いた。
「めちゃくちゃ慌てたよ。大家に『猫連れ込んだのか』って怒鳴られるんじゃないかってのが一番怖かった。けど全然、大家は出てこないし、なんか変なにおいするなって思ったら猫の足元に魚が転がってるし」
Aがのちに調べたところ、魚はコイやフナだったそうだ。
猫たちは計四匹の魚をAの前に並べ、まるで「受け取れ」と促すように前脚でそれを押してきたという。
ひとまず受け取れば猫たちは満足してくれるかもしれない。Aは恐る恐る魚を持ち上げようとして驚いた。
「掴めないんだよ。目の前にあるのに、全然。トリックアートとかホログラムみたいに、なにもないところを手がスカッて通り過ぎるんだ」
何度も試したが結果は変わらず、Aが魚を持ち上げることは叶わなかった。
いつしか猫たちの姿は消え、魚も通路から消えていた。
「なんだったんだアレ、もしかして夢だったのかもーって思いながらその日は寝て、次の日も普通に出勤して、親父から送られてくる猫の写真に癒されてたんだけど。帰って飯食ってたら、また昨日と同じカリカリって音がしたんだ」
まさか、と思いながらドアを開ければ、昨日と同じ、しかし明らかに成長した猫が四匹、通路で横並びになって座っていた。
異なる点は他にもあった。猫たちの足元に転がるのは魚ではなく、ぐったりと口を半開きにした鼠に変わっていた。
「それをまた『受け取れ』ってこっちに押し出されたけど、どうせ昨日と同じで掴めない気はしたんだ。けどもし本物だったらそれはそれで怖いし、汚そうだし、一応軍手つけて持ち上げようとしたけど、案の定空振りした」
困惑しているうちに猫も鼠も消え、残されたのは困惑と疲弊感だけ。
三日目も同様の出来事が起き、Aはさすがに察したようだ。
「毎晩来るあの猫たちって、幽霊なんじゃねえのかな」
僕もそんな感じがする、と同意すれば、Aは「やっぱそう思うよなあ」と唸る。
助けようとしたが間に合わず、命を落としてしまった猫たち。それでもAになにかしらの恩を感じて、魚やら鼠やらといった品々を運んでくるのではないか。少なくともAはそう考えているようだった。
死んで幽霊と化してもなお礼を伝えたいらしいとは、ずいぶん義理堅く涙ぐましい猫ではないか。僕がほっこりしかけた前で、Aは「でもな」と首を横に振る。
「猫が置いていった魚とか鼠って、目に見えないけど部屋の前には残ってるっぽくて……その……」
Aが言葉を続けようとした時、不意にカリカリと音がした。同時に、ただでさえ青白かったAの顔からさらに血の気が引き、肩が大仰なほどに跳ねる。
――もしや、この音が。
目線で訊ねた僕に、Aがぎこちなくうなずく。
音は断続的に続き、やがて「ニャー」と鳴き声が混じり始めた。聞き間違いなどではない。しっかり存在を感じられる鳴き方だった。
Aは立ち上がる気力すら無いようで、両手で耳を塞いだ姿勢のまま動かない。音と鳴き声はいっこうに止まず、それどころか「早く出てこい」と急かすような速さになっていった。
このまま放置しても埒が明かないのではないか。僕はAに許可を得て、一人で玄関を開けに行った。
ふう、と呼吸を整えようにも、悪臭が鼻をついてあまり深く息を吸えない。浅く短い呼吸をくり返したところで、僕はゆっくりドアを開けた。
そこには――なにもいなかったし、なにも置かれていなかった。
おや、と僕は玄関から顔を突き出して左右を確認した。その際、ひょろりと長いなにかが階段を下って行ったように見えたが、一瞬で夜の暗さに紛れてしまったためいまいち断言できない。
音と鳴き声はしたのだから、恐らく猫たちは今日もAの部屋の前に来ていたのだろう。しかし現れたのがAではなく僕だったから、驚いて姿を消したのかも知れない。僕は布団の上で固まっていたAを呼び、通路になにか置かれていないか確認させた。
「あー……今日も魚が置いてある。四匹」
ほらこのへん、とAがひび割れが目立つ通路を指さしたあと、僕の反応の薄さにぎょっとしていた。
「え、なに。お前には見えてねえの?」
Aの問いに、僕は素直にうなずいた。
触れないまま消えると聞いた時から予想はついていたけれど、魚と鼠も実体がない――猫同様に幽霊の一種なのだろう。あいにく僕は幽霊が視える性質ではないから、本当にそうかは知らないが。
再び布団に戻って腰を下ろしたところで、Aがまた頭を抱える。
「けどさ、さっき言いかけたけど、目に見えないけど魚も鼠も、俺の部屋の前に残されたままになってんだよ。分かるか、死んだ肉が冷蔵も冷凍も無しにそのまま外に放置されてるんだ」
Aの言わんとしていることに見当がついた。
つまり、部屋の付近に漂っている悪臭は、実体のない魚や鼠が腐ったことによって発されているのだ。
他の部屋の住人から苦情が挙がっていることや、僕の鼻も現在進行形で刺激されていることから考えるに、においだけが実体を持っているのだろう。果たしてそんなことが起こりうるのか分からないが、実際に起きているのだから信じざるを得ない。
しかも見えない、触れないのだから処分のしようがない。
魚と鼠は一日ごとに四匹ずつ増えていく。ごみ捨て場で猫を助けたのが二、三週間前と言っていたから、仮に三週間前からこの事象が発生していたと仮定すると、Aの部屋の前には今、単純計算で八十四匹の魚および鼠が積み上がっていることになる。正直に言って、あまり想像したくない光景である。
それが全て日に日に腐っていくとなれば、当然、悪臭も日増しにひどくなるだろう。
ふと疑問が首をもたげて、僕はAに一つ、問いかけた。
仮に魚や鼠に実体があって、それを受け取っていたら、どうするつもりだったのか。
「いや、ううん……お礼に置いていかれたものを捨てるのは、ちょっと申し訳ないだろ。もったいないし。だから……鼠はともかく、魚なら……」
まさか、食べるかもしれなかったのか。
僕があからさまに呆れた顔をしていたのだろう。Aは「だってさあ!」と、玄関を開けた時の弱々しさが嘘のように勢いよく立ち上がる。
「食費浮くんだからありがたいじゃん! それに俺、魚大好きだし! 鼠だって食べたことあるし、気合入れれば食えそうな気がしなくもなくて!」
そういえばAは研究目的で世界各地に出かけることがある。鼠食にもそこで触れたことがあって抵抗も薄いのか。
だとしても、猫が咥えてきた鼠と、食用に育てられた鼠とでは味も質も変わらないか。衛生的にも絶対によろしくない。もし食べて腹を壊していたらどうするつもりだったのかと追及したところ「テヘッ」と舌を出されたが、なにも可愛くない。
とはいえ実体がなかったおかげで、Aが幽霊の猫から贈られた魚を食べずに済んだのは少々安心できる。
猫が運んできた魚が仮にあの世から運んできたものだった場合、それを口にするのは〝ヨモツヘグイ〟になる恐れがある。あの世のものを食べてしまえば、この世のものではいられなくなってしまう、という説があるのだ。日本神話において、火傷を負って死んだ伊弉冉が黄泉の国のものを食べたがためにこの世に戻ってこられなかったように。
――いや、しかし、ヨモツヘグイは「あの世で煮炊きされたものを口にすること」とされているのだから、調理されていないただの魚であれば問題無いのだろうか。
興味は沸いたものの、Aに「試してくれ」とは口が裂けても提案できない。まあ、試してもらおうにも魚に触れられないのだから無理だが。
ともあれ、僕は霊能者ではない。僕の研究の過程で知り合った神社や寺の関係者を紹介するくらいは可能でも、僕自身が猫の幽霊はもちろん、猫たちが持ってくる魚や鼠をどうにかするのは無理だ。
期待していたのなら申し訳ない、と僕が謝れば、Aは深々とため息をついた。
「まあそうだよな、うん、そんな気はしてた。じゃあその、神社とかの関係者? そのへんのひと紹介してくれないか。別に祟られてるわけじゃないっぽいし、お祓いとかでいいのか分からないけど、とりあえず相談してみたいから」
Aは適当に床をまさぐって、本に埋もれていたチラシらしき紙片を渡してきた。そこに相談に乗ってくれそうな人の名前、電話番号や住所を書いて返してやる。問題が解決したわけでもないのに、Aは心の底から安心したように目に涙を浮かべていた。
「本当に助かったよ、ありがとう。誰に相談すればいいのかも分からなくて、あと何日か遅かったら頭おかしくなってたよ。お前が来てくれて助かった、本当に」
特になにをしたわけでもないが、感謝されて悪い気はしない。僕とお前の仲だろう、と笑いかけてやれば、Aは感極まったように涙を拭っていた。
「あ、それでさ。もう一個頼みがあって。というかこっちの方が大事かも」
ひとしきり喜んで涙も乾いたころ、Aはなにかを思い出したように手を叩いてキッチンへ歩いていく。こっちに来い、と手招きされて近寄れば、彼は胸の高さほどの冷蔵庫の前でしゃがんだ。上半分が冷蔵庫、下半分が冷凍庫になっているらしい。
「俺って結構自炊するんだけどさ、そのために色んな食材とか買っておいてあったわけ。特に、魚介類」
そういえば数分前に魚が好きと宣言されたばかりだ。Aが苦笑しながら冷凍庫を開ければ、買ったものの使われなかった魚が何種類か冷凍保存されていた。
「悪いんだけど、いくつか貰ってくれない? ちょっと今、魚を見るのも食うのも嫌で」
電話で「魚は好きか」と聞かれたのはこのためか。確かにほぼ毎晩、受け取れもしない魚を見続けて悪臭を嗅いでいては、いくら好きなものでも精神的に限界は来るだろう。
僕はAから魚を詰めたクーラーボックスを受け取って部屋を辞した。時刻は丑三つ時を過ぎ、いくら男とはいえ一人で夜道を帰るのは危ないから泊まっていけとAには勧められたが、ろくなスペースもなく、悪臭が漂うあそこで過ごすのは――Aには悪いが――厳しい。
Aに紹介した人たちには、朝にでも連絡を入れておかなければ。荷物が落ちないよう慎重に自転車をこぎつつ考えていると、ニャー、と鳴き声が聞こえた。
ハッとして振り返ったが、なにもいない。しかし虫の声に重なって、確かに猫が四匹、なにかを訴えるように鳴いている。
毎晩Aの部屋を訪れる、あの猫たちなのだろうか。彼に贈り物を受け取ってもらえる日まで猫たちはあそこに通い続けるのか、それともお祓いなどを受けて無事に天へ昇っていけるのか。
なんにせよ、猫たちが真に安らげる日が訪れればいい。そんな日の訪れを願いながら、僕は鳴き声に背を向けて帰宅した。
数週間後、Aから再び連絡があった。
僕が紹介した伝手を頼ってお祓いをしたところ、猫たちは現れなくなり、悪臭も消えたという。見るのも食べるのも嫌になっていた魚も、一週間もしないうちに元通り食べられるようになったそうだ。もとがタフな性格ゆえ、回復も早かったらしい。
Aがごみ捨て場から救出し、唯一生き残った猫は、今も彼の実家で大切に愛情を注がれながら暮らしているという。




