第1章 出会い
夏の暑さがまだ残る九月の平日の午前中。大手リユースショップの店内は、まばらに客がいた。
その中で一際大きな体をした店員が、フィギュアを棚に並べていた。
「よし、これで出品は終わったな。後は何やるか聞いてくるか」
その男は松橋謙二。
彼は仕事中もどこか心あらず、といった様子だった。
(……昨日、ホームで勝ったんだよな。いいな、ゴール裏は。俺はもう、あそこには戻れないのか? またあの興奮を掴めないのか?)
ケンジは地元プロクラブのサポーターとして、大旗を九年半振っていた。
大旗隊のリーダーでもあった。
しかし、クラブが強くなるにつれ、古参派と新参派の派閥争いが起こった。
その中で古参派だった彼は、新参派の圧力に押され、自由を失い、かつての「聖域」だったゴール裏を奪われた。
そして逃げるように大旗をやめてしまった。
以来、彼の心には大きな穴が空いてしまっていた。
「次はとりあえず出しですね」
「了解です」
上司である中年女性の指示に従い、加工した雑誌を売り場に補充しに向かった。
(えーと? 工業雑誌は……おっと。お客さんいるな)
(結構可愛いな、あの子)
小柄で、黒に近い焦げ茶の髪。肩に届くボブでマスクとヘッドホン。
肩には古びたトートバッグをかけた女性が、風景画の資料が置かれたコーナーに立っていた。
(えーと、これとこれは必要で……これはどうしようかな)
迷いながら女性が雑誌に手を伸ばした瞬間——
「失礼します」
ケンジが声を掛けると、女性はビクッと体を震わせてしまった。
その表紙に手を取っていた雑誌を、床に落としてしまう。
「あっ……お客様、申し訳ありません。拾います」
彼が慌てて雑誌を拾い、彼女に渡すと、ふっとこんな言葉が出てしまった。
「……こういう風景、お好きなんですか?」
言葉を発してしまったあと、彼はバツの悪そうな顔で続けた。
「も、申し訳ありませんお客様……」
普段、仕事中に余計な話をしない性格だった。
スタッフとも少し距離を置いていた。
しかし、この時だけは違った。
彼女は小さな声で語り出した。
「ぼく、好きなんです。こんな感じの風景。なんだか、ぼくが生きているって感じがして」
“生きているって感じ”
ケンジはハッとした。
かつて大旗を振っていた時期。
チームは弱かったけど、仲間と、相棒と、喜んで・笑って・泣いて・怒って・そして感動していた。
「……そうなんですね。よければ、レジまでご案内いたします」
「お願いします」
レジまで案内して会計を終えた後、彼はぼーっとしていた。
(なんで、俺あの子に話しかけたんだろう?)
ケンジは不器用で、女性と話す時は緊張して黙ってしまう癖があった。
しかしこの時はなぜか話せた。
そんな自分を不思議に思いながら、同僚に心配されつつ仕事へ戻った。
夜。静かな田舎町の体育館施設の一角にあるプレハブ小屋のような施設に、彼は入っていった。
「こんばんは!」
「おう、お疲れ」
熊のような見た目をした中年男が声を掛けた。彼が通うボクシングジムの会長だった。
ケンジはストレッチをしながら、昼間のことを思い出していた。
(あの子、なんだか不思議な感じだったな……。なんというか、波長が合うというか。……また会えるかな? 会えたらいいな)
そんなことを思いながら、気持ちを切り替えた。
「よっしゃ! やるぞ! やるぞ!」
そう言って、練習へ向かっていった。
***
その後、その女性は度々店に来るようになった。
俺を見かけなくとも、「あの大きな男性店員さんいますか?」と他のスタッフに聞き、わざわざ顔を見せてくれた。
他のスタッフからは「可愛い子に会いに来てもらえていいね」とからかわれたが、俺自身は嬉しかった。
映画のこと、音楽のこと、彼女が絵を描くこと。
そんな話を少しずつ交わすようになっていた。
ある日、外は大雨が降っていて客も少なかった。
(雨か……客も少ないし、あの子も来てないなあ)
「松橋くん、ひょっとして最近来てくれる子のこと考えてたでしょ?」
「萱野店長? いや、仕事中にはそんなことは」
「いいんだよ、暇だし。もうすぐ上がりでしょ」
時刻は午後5時を回っていた。
「ああ、すみません。お先に失礼します。お疲れ様でした」
「おつかれー」
タイムカードを切り、事務所に戻りながら思う。
(今日は練習ないし、ジムで筋トレしてから帰るか)
そう思いながら車へ向かうと、見覚えのある小柄な姿が目に入った。
(……あれ? あの子? なんでこんな雨の中に)
「お客様、最近来てくれる人ですよね? どうされたんですか?」
「ううん、いいんだよ。ぼくはこうやっていると、自然の流れに身を任せていると、生きているって感じがするんだ」
彼女の声は震えていた。
「ですがお客様、そんなことをしていたら体調を崩してしまいます。今日は何で来られたんですか?」
「いいんです、ぼくなんか」
「そんなことを言わないでください!」
ケンジは思わず声を荒げていた。
「何かあったんですか? 俺でよければ、話に付き合いますよ」
言ってから、(やべえ、下手したら事案物だぞ?)と焦る。
「……いいんですか?」
「もちろん。さぁ、早く車の中に」
そうして二人は、狭い軽自動車の中に入った。
「とりあえず、その服をなんとかしましょう。えっと、ここから近いコインランドリーは……」
スマホで検索していると、彼女は小さく呟いた。
「マツバシさんの家でもいいですか? 今、ちょっと住むところなくて」
一瞬フリーズしたが、ケンジは頷いた。
***
アパートで彼女がシャワーを浴びている間、ケンジの頭はぐるぐるしていた。
(やべえよ……家まで来ちゃったよ。美人局? 家出少女? ヤリモク? なんなんだあの子は……)
そんなことを考えていると、彼女が出てきた。
ポケモンのプリントが入ったケンジのTシャツを着ていて、サイズが合わずワンピースのようになっていた。
「ありがとうございます、温まりました」
「そ、そうでごさるましゅか……それはよ、よかったでゅね……」
「マツバシさん、普段の喋り方でいいですよ。ぼくとあなたは今、店員さんとお客さんじゃないんですし」
「……そうか。じゃあ改めて。俺は松橋謙二。ケンジって呼んで」
「うん。ぼくは四ノ宮天音。あまねって呼んで。苗字は、きらいなんだ」
「そっか、あまねさん。なんであんなことしてたの? 女の子だから体は大事にしないと」
「……実はね、色々あってずっと一人ぼっちでいたんだ。そんな中、ネカフェの近くのブックオフに資料を買いに行ったらケンジに会って。話してるうちに波長が合って落ち着いてた。でも、なんだかどうでもいいって思って……自然の流れに身を任せて、雨に打たれてたんだ」
「そうだったんだ。話していいよ、あまねさんの気持ちが楽になるまで」
ケンジはそんなふうに話しながら、あまねに対する違和感を感じていた。
人と目を合わせない。ずぶ濡れでもマスクとヘッドホンを外さない。
今も首からヘッドホンをかけ、口元は見せないままだ。
(店で感じてたけど……なんだろうな、この違和感。でも……)
彼女と一緒にいると、波の音を聞くような安心感があった。
気づけば夜になっていた。
「そんなことがあったんだ。……おっと、もうこんな時間か。どこに送ればいい?」
「……泊まってもいい? 実は荷物はネカフェにあるんだけど、取りに行きたい。でも……ダメかな」
驚きながらも、ケンジは「いいよ」と答えた。
服が乾いた後、あまねを車に乗せてネットカフェまで行き、荷物を取って帰った。
***
その帰り道、ファミレスで食事を取ることになった。
どこにでもあるロードサイドのチェーン店だ。
「俺が出すよ」
ケンジが言い、あまねはピザを、ケンジはサラダを頼んだ。
「あんまり食べないんですか?」
「ああ、今週は減量がうまくいってないから少なめでね」
「減量? なにかやってるんですか?」
「ああ、ボクシングを。……アマチュア以下の親父ボクシングだけど」
「どうりで目が腫れてた時があったんだね。ぼくはずっと絵を描いてた。人は苦手だけど、景色は好きで、あのお店に資料を買いに行ってたんだ」
「人、苦手なのか。俺もだよ。最近、特に」
そう言いながらケンジはタバコを吹かし、静かに続けた。
「だけどね、俺、いろんな人に助けられてきたんだ。だから俺は誰かに裏切られたとしても、誰かを裏切りたくない。でもいろんな人に裏切られて、少し人間不信になってた。……そんな中であまねさんと出会って、また人を信じようって思ったんだ。だからあまねさんも、“自分なんか”って思わないでほしい」
「……そうだったんだ。ぼくたち、同じだね」
「同じ?」
「うん。ぼくもずっと一人だったけど、信じた人を裏切りたくなかった。でも仕事でそんなことがあって……あんなふうにしてた。でもケンジが話しかけてくれて、“ぼくのことを見てくれる人がいたんだな”って思った。ぼく、時々思うんだ。世界は優しいけど、人間がちょっと不器用すぎるって」
ケンジは思った。
こんなにも傷ついている子が、なぜ自分のような不器用な男のもとに来たのか。
(あぁ……この子と俺は同じなんだ。人を信じたくても、信じきれない気持ち。裏切られた時の痛み。人を見る目の冷たさ……)
あまねの気持ちを思うと、涙が滲んだ。
「ケンジ? どうしたの?」
「……あぁ、ごめん。あまねさんと俺、同じ匂いのする人間なんだ。そんな人、いないと思ってたから……ごめん、いきなり」
涙を拭うと、あまねは不器用な笑顔を見せた。
あぁ、落ち着いていられる。
そう思いながら、静かな時間が流れていった。
初めまして、的場次郎と申します。
このたびは『灯火 第1章 出会い』をお読みいただき、ありがとうございます。
今回、執筆しようと思った理由を簡単にですが書かせていただきます。
私自身、ケンジのような出来事を経験し、心に大きな穴が空いた時期がありました。その気持ちを物語に昇華させたいと思ったのが、執筆のきっかけです。
また、物語を形にして読者の方に届けたいという思いから、今回投稿することにしました。
初めての挑戦ではありますが、あまねとケンジの物語が動き出す様子を、どうぞ最後まで見守っていただければ幸いです。




