帰宅 -きたくー
夜に深い霧の中にいると、何か気配を感じてもそれが何かを目で見ることが出来ず、不安が募ることがあります。
そんな時、この世のものではないものが姿を隠して紛れているのかもしれません。
僕達はもうずいぶんと長い間、この湖の畔を歩き続けていた。
夜と呼べる位の時刻にはなっているのだが、辺りを包む深い霧のせいで時刻以上に薄暗くなっているようだ。
「ねえ、ちょっと寒い」
手を繋いで歩いている恭子が体を震わせながら、寄り添ってきた。
雨ほどではないが、すぐ前も見えない位の深い霧に包まれているせいで、夏なのにかなり冷えてしまっている。
早くどこかの建物に入り、雨宿りではないが霧宿りをしたいところだ。
しかし山奥の湖の周囲には全く家もなく、明かりも見当たらず、通り過ぎる車もいない。
ただひたすら歩き続けて、この霧を避けられる場所を探している。
恭子の長い髪は霧で濡れそぼり、雫が落ちているようだ。何とか早く霧を避けられる場所に行き、温めてあげたい。どこかのカフェにでも入り温かい飲み物でも飲むことが出来れば体を温めることもできるだろう。
あまりにも長く霧の中を歩いている所為か、頭の中を整理することが出来ない。とにかく少し先も分からなくなる様な霧の中、唯一の頼りは足元の舗装路だけで、ひたすらに歩き続ける事しか術が無いのだ。
「もう少し行けば何かお店とかがあるかもしれないから、そうしたら体を温める物でも飲もうか」
この先に何が有るのかも分からないが、恭子の腰に手を回して抱き寄せ、気休めではあるが少しでも温め合おうと体を近づける。
恭子は僕の顔を覗き込み、少し微笑みながら、
「そうだね………」
と呟くように言った。
もう何時位になるのだろうか。いつも欠かさずに付けていたはずの腕時計を今日は忘れてしまったのか、左手にはその感触も無い。
欠かさずに持っていたスマホもポケットには無く、何故かバッグの類も持っていないので時刻を確認することも出来ずにいる。
少し前までは霧の中でも明るさを確認することが出来ていたので、まだ深夜といった時刻ではないだろう、と思う位だ。
足は疲れ、周りの景色も近づいてみないと確認をすることも出来ない。しかも、この湖には「出る」という噂があったことも思い出していた。こんな暗く深い霧の中で、何かがいるとしたら、それはこの世のものでは無いのかもしれない。早くこんなところは抜け出してしまいたい。
とにかく歩くことしか術が無いのなら、今は歩き続けるしかない。
何故歩いているのかも分からないまま、僕達はひたすらに歩き続けた。
やがて暫く行くと、霧の先に薄ぼんやりと明かりのようなものが見えてきた。
まさに希望の光だ。
僕達は歩みを速め、明かりの方に進んで行こうとした。
しかし良く考えると、こんな霧の日の夜、こんな山奥に明かりが点いた場所があるのだろうか。
宿泊施設や飲食店にしても、こんな山奥の霧の深い夜に、普通に訪れることができるのだろうか。
だが、僕達はもう疲れ切っていた。もう、この世ならざるものが自分の領域に引き込もうとしているのだとしても、霧を避けて休むことが出来るならば、建物の中に入りたい。
明かりに近づいていくと、それは古いホテルの様だった。駐車場には車は一台も停まっていなかったが、一階はカフェになっている様で、ガラス越しに見えるカウンターの中では女性が動き回っている。
良かった。
お店はもう終わってしまっているのかもしれないが、中に入れてもらえればタクシーを呼んでもらうようなことも出来るかもしれない。
流石に深い霧の中を彷徨って来た僕達を追い出すようなこともしないだろう。
入り口をノックして、ドアを開ける。
「いやああああ」
中にいた女性は僕達を見て大声で叫ぶと、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
ガラスに映った僕達の姿を見て思い出した。
僕達二人は今日の様な深い霧の日にこの湖にドライブに来て路肩を見失い、車ごと湖に落ちて死んでしまったのだった。
頭が半分潰れてしまった僕と、左腕が千切れてしまった恭子が半透明になってガラスに映っている。
ついこの前まではそちら側にいたのだから、そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。
僕達の体はどこに行ってしまったのだろう。
いつまでここを彷徨い続けなくてはいけないのだろうか。
ああ、早く僕達二人の家に帰りたい。
お読みいただきましてありがとうございました。
夏のホラー2025として投稿をさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
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