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『最後の肖像』第6話

タクシーは、見慣れた街並みを抜け、郊外へと向かっていく。

の外の景色が、次第に、緑の多い、のどかなものへと変わっていく。

それは、朔郎が、母・千代乃を施設に入れるために、何度も通った道だった。

この道を通るたびに、彼は、あの日のことを、昨日のことのように、思い出す。


それは、二年前の、冬の始まりの日だった。

千代乃の認知症は、日に日に、悪化していた。

鍋を火にかけたまま忘れる。

夜中に、突然、大声で叫び出す。

ささいなことで、子供のように、癇癪を起すようになった。


朔郎の心は、日に日に、すり減っていった。

愛情や、責任感よりも先に、恐怖と、そして、自分の人生が、このまま終わってしまう、という、耐えがたい絶望が、彼を支配し始めた。


(もう、無理だ)


彼は、文学を、夢を、諦めたくなかった。

いや、本当は、ただ、逃げ出したかったのだ。

日に日に、自分という存在が、その重みで、押し潰されていく、残酷な現実から。


ケアマネージャーに相談し、施設への入所を決めた。

そのことを、千代乃に伝えた時の、彼女の顔を、朔郎は、一生、忘れることができないだろう。

彼女は、何も言わなかった。


ただ、一瞬だけ、その目に、深い、深い悲しみの色が浮かび、そして、すぐに、また、何も映さない、空虚な表情に戻った。

彼女は、抵抗しなかった。


まるで、全てを諦めたかのように、朔-郎の言う通り、自分の荷物を、小さな鞄に詰め始めた。

その、あまりにも従順な姿が、朔郎の罪悪感を、ナイフのように、えぐった。

施設へ向かう、タクシーの中。


千代乃は、後部座席で、窓の外を、ただ、じっと見つめていた。

朔郎は、彼女に、何か、言葉をかけなければ、と思った。

「ごめんな」でも、「すぐに迎えに来るから」でも、何でもよかった。


しかし、彼の喉からは、何の言葉も、出てこなかった。

沈黙が、鉛のように、重く、車内に沈んでいた。

と、その時、千代乃が、不意に、呟いたのだ。


「……さくちゃん。……お腹、すいてない?」


それは、彼女が、幼い朔郎に対して、幾度となく、繰り返してきた、愛情の言葉だった。

彼女は、もう、自分がどこへ連れて行かれるのかも、目の前の息子が、自分を捨てようとしていることさえも、理解できていなかったのかもしれない。


しかし、その魂の、一番深いところに、刻み込まれた、息子への愛情だけは、まだ、残っていた。

その一言を聞いた瞬間、朔郎の中で、何かが、完全に、壊れた。

彼は、返事ができなかった。


ただ、運転手に気づかれないように、唇を固く噛みしめ、流れ落ちる涙を、ジャケットの袖で、何度も、何度も、拭った。

あれが、彼が、母親の息子であることを、やめた日だった。


「……お客さん、着きましたよ」

運転手の声で、朔郎は、暗い記憶の海の底から、引きずり上げられた。

目の前には、「介護老人保健施設 〇〇苑」という、大きな看板が見える。

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