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『最後の肖像』第1話

アスファルトの焼ける匂いが、むわりと立ち上ってくる。

八月の太陽は容赦がなく、ヘルメットの中で汗が滝のように流れ、顎を伝って地面に黒い染みを作った。朔郎さくろうは、工事現場の誘導棒を機械的に振りながら、遠ざかっていくミキサー車の、重たいエンジン音をぼんやりと聞いていた。


これが、自分の現実だった。

三十を過ぎ、同級生たちが家庭や地位を築き上げる中で、自分は日雇いの肉体労働で日銭を稼ぎ、夜は古い文化住宅の、カビ臭い一室で、誰にも読まれることのない物語を書き続ける。

壁の向こうからは、大家の老婆が観る時代劇の、わざとらしい斬り合いの音が聞こえてくる。

その全てが、朔郎の神経を、やすりのように少しずつ削っていた。


相羽あいばー、休憩!」

現場監督の野太い声に、朔郎は我に返り、誘導棒を脇に抱えて喫煙所代わりのブロック塀の日陰へと向かった。

汗で湿った作業着のポケットから、安物の煙草と、画面の端がひび割れたスマートフォンを取り出す。


着信履歴が、赤い数字で埋め尽くされていた。


『小林(編集者)』


その三文字が、十数件。心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

(……なんだ?何か、問題でもあったか?ボツか?ついに、見限られたか?)

悪い予感しかしない。震える指で、発信ボタンを押す。コール音は、一回も鳴らなかった。


「もしもし、先生!相羽先生ですか!?」


受話器の向こうから、スピーカーが割れんばかりの、編集者・小林の甲高い声が突き刺さってきた。

いつもは気だるげな彼の、異常なまでの興奮ぶりに、朔郎は言葉を失う。


「あ、ああ……相羽だが……」


「やりましたよ!先生、やりました!新世界文学賞、受賞です!あなたの、『最後の肖像』が、取りました!」


……じゅしょう?

その言葉が、脳に届くまでに、数秒かかった。

隣では、同僚たちが、缶コーヒーを飲みながら、昨日のナイターの結果について下品な冗談を言い合っている。

削岩機の甲高い金属音が、遠くで響いている。

蝉が、狂ったように鳴いている。

世界の全てが、いつも通りだ。

いつも通りの、うんざりするような夏の一日だ。

それなのに、受話arの向こうの小林だけが、まるで別の世界の祝祭を、自分に伝えようと必死になっている。


「……もしもし?先生?聞いてますか?」


「……ああ」


朔郎は、それだけを言うのが、精一杯だった。

汗なのか、涙なのか、わからない液体が、頬を伝っていく。

アスファルトの匂いが、なぜか、遠い昔の、母親が作った卵焼きの匂いのように感じられた。

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