真っ黒
―夕方「東北最大のアーケード街」先輩視点―
「ねえ……この噂を知ってる? ナナちゃんから聞いたんだけどさ……」
「知ってる知ってる! それでさ……」
傘を差しながら横断歩道で信号待ちをしていると隣にいた制服を着た女達が騒いでいる。傘に雨が当たった雨音がそこそこ大きな音を立てているのだが、何故かその2人の言葉が良く聞こえてしまう気がした。信号機が青になると、俺はその女達が何の話をしているのかを聞かないように、そそくさと横断歩道を歩き出す。
そのまま進んだ先にあるアーケード街に入ると、またどこからか「この話を知ってるか」とか「聞いたか?」とか……そんなのがやけに耳につく。
「噂、噂って何をそんなに騒いでいるのかね……」
老若男女問わず噂話で騒いでいるような気がしてしまう。普段なら何の話をしているのか気にすることなく横を通り抜けるのだが、今の俺にはそのような話がつい耳に入ってしまう。
俺はアーケード街から離れ『とある喫茶店』に入る。ある事件をキッカケに知った店であり、店の雰囲気と店主の気配りが気にいってしまって、しょっちゅう来店している。そして新たに加わった看板猫がいるのだが……今日は留守のようで店内のどこにも見当たらなかった。
「いらっしゃいませ……今日もいつものですか? 今日は暑いのでアイスもオススメしてますが」
「なら、アイスコーヒーで頼む」
俺は店主である三雲の勧めでアイスコーヒーを頼む。ここまで徒歩で来たのと梅雨時の独特な湿度、着ている衣服がスーツもあって蒸し暑かったので丁度良かった。
「お仕事中の休憩ですか?」
「いや。署に戻らないといけないんだが……少し静かな場所にいたくてな。要はサボりだ」
「珍しいですね……何かありましたか? よく見ると顔色もどこか悪い気が……何か別の物をご用意しましょうか?」
コーヒーを淹れながら俺の様子を伺う三雲。既にコーヒーを淹れているのに、ここで別の物を頼むのも失礼だしそもそも体調は悪くは無い。俺はそのままアイスコーヒーを頼む。
「そうですか……でも、何かはあったんですよね?」
「まあな……」
三雲の言う通りで『何か』はあった。そして、その『何か』はこのマスターの得意分野でもある。しかし、職務上これを話すのはいかがなものかと……。
「もしかしてですが……昨日の夜の廃墟での捜索じゃないですか?」
「え!? 何でお前が知ってるんだ……!?」
唐突に、その『何か』を当てられた俺はびっくりした拍子に素直に返答してしまった。その後、やってしまったと思い「あっ」と声が出てしまった。
「実は部長さんから少しだけ話を伺ってまして……「ここに来たら話でも聞いてやってくれ」と伝言を伺ってます。後……これはサービスです」
そう言って、三雲がアイスコーヒーを出す。どうやら、このアイスコーヒーは部長の奢りのようだ。そして、ここでスッキリして来いということなのだろう。
「……お前の好きな怪談話だよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―前日の夜「県内の某廃墟」先輩視点―
「全く……何でこんなことを」
「しょうがないじゃないですか! ここに強盗犯がいるかもしれないって通報があったんですから」
昨日の夜、宝石店にナイフを持った強盗が入ったという通報を受けて捜査していると、そこで遊んでいた若者達から、その廃墟にナイフらしき物を手に持ち、肩に鞄を背負った男らしき人物が入っていったという情報があったんだ。
「で……あそこで事情聴取を受けている奴らが通報者か。こんな夜中にここで何をしてたんだ?」
「それなんですけど……ここ出るらしいですよ?」
「肝試しか……」
通報してくれた若者達はその廃墟で肝試しをしようとした連中だった。その建物の中に入ろうとしたらしいんだが……その前に、廃墟に入るナイフを持った男を見て、中には入らずに警察に連絡をしたらしい。
「怒られる覚悟で通報とはな……なかなか芯のある連中だな」
「そうですね……って、とにかく私達も中に入りましょう」
「ああ」
俺は小見とそんなやり取りをしながら懐中電灯を片手に廃墟へと入っていった。その時は他の奴等もいたし、そんな怖い場所だとは思わなかった。だから……小見にこの場所で何があったのかを訊いたんだ。
「えーと……女性の霊が現れるそうですよ。浮気していた旦那にこのホテルの一室で殺されたそうです。死因は焼死。ガソリンを全身に撒かれた後に火を付けたそうです」
「馬鹿だろうその犯人……そんなことをしたらすぐに足が付く。まあ……よくある怪談だな。となると、あの連中はその幽霊が出るか見に来たのか」
「そのようです。それが原因でこのホテルは廃業し、夜な夜な殺された真っ黒な女性が徘徊するようになった……誰かがそんな噂を聞いたらしく、それが本当かどうか見に来たようです」
「なるほどな……」
その話を聞いた俺は……よくある心霊話だと思った。実際にあったのかどうかは知らないが、確かにそのような怖い話が1つ2つあってもおかしくない雰囲気ではあった。床に散らばる当時の品々、壁を見ると時間経過によってボロボロになっており、このような廃墟によくある落書きや外から持ち込まれたゴミなどが無いのも余計に不気味さがあった。
しかし、それはあくまで数人で肝試しをした場合であり、大勢の人数で捜索している今ではその怖さも微塵にも感じられなかった。
「お疲れ様です!」
「おう。お疲れ」
途中で同僚に出会ったので、今の捜索状況を確認すると1、2階を重点的に調べているようなので、俺達はその上の3階へと上がったんだ。そこも既に人がいて……やっぱり恐怖を感じることは無かった。俺達が3階を捜索していると、1階を調べていた連中が今度は4階を調べ始めて……犯人はすぐに見つかった。
が、そこで1つ奇妙なことがあった。見つかった犯人は気絶してたんだ。しかも見つかった場所を調べると、あっちこっちにナイフで傷を付けたような痕があってな。衣服も酷く乱れていたらしい。そこで、見つからないように隠れていると「何かしらの出来事」があってナイフを振り回してると、その際に転倒して頭を打った……という結論に至った。その証拠に頭にケガした後もあった。
「何があったんですかね?」
「想像してみろ。警察から逃げている犯人……ここに隠れた後、スマホなどの小さな灯りだけを頼りに息を潜めるはずだ。そこに捜索に来た俺達が建物で物音を立てたとしたら……もしくは隠れている間に起きた物音などに……」
「驚いてパニックになった?」
「そうだ。まあ、俺達警察だったらすぐに逃げるだろうから……隠れている間に物音を聞いて驚いたってところか」
「物音って?」
「小動物……ネズミなんかが建物内を走ったりだな。後は割れている窓から入って来た風か……こんな廃墟で起きる心霊話の原因とされているものだな。この隠れていた場所の状況を察するに……犯人はここの怪談を知っていたのかもしれない。が、それは噂でありそんなのはいないと信じていた。だが……警察に追われているという緊張感と、廃墟内に響く物音に驚いてパニック状態になって、暴れた拍子に転んで頭を打ったってところだな」
「本当にですか?」
「あくまで推測だ。真相は……強盗犯から聞けばいい」
実際に何があったのかは強盗犯から聞けばいい。それよりもここからさっさと撤収しようとしてそこで話を切った。小見も「それもそうか」と言って納得していた。だから、後は帰るだけだった……が、そこでふとあることに気付いたんだ。
「そういえば……誰か上は調べたか?」
俺はそこにいる全員にこの階の上……屋上を調べたのかを訊いたんだ。強盗犯は1人だと思っていたが、実は共犯者がいたという可能性もあるんじゃないかと思ってな。すると、「誰も調べていない」って言うんでな……俺が1人で調べに行ったんだよ。小見が付いて来ようとしたんだが、見通しのいい屋上を調べるのに2人もいらないと思って断ったんだ。
それで、俺は懐中電灯の明かりを頼りに階段で屋上に上がったんだ。屋上への扉は錠で鍵がされていたんだが……誰かが壊したみたいでな。そんなことをした奴に呆れつつ扉を開けたんだ。開けた先には……くたびれた数台の室外機と物干し竿……それと転落防止の柵があるだけだった。隠れる場所は室外機辺りしかなかった。
「やっぱりな」
予想通りの屋上の風景に俺はさっさと用事を済ませようとして、その室外機のところへ行ったんだ。隠れられそうな場所……室外機の裏を覗いたんだ。
「……大丈夫だな」
そこに怪しい物は何も無かった。念のために強盗犯がここで身を潜めていなかったか調べたんだが……それらしい痕跡も無かった。それで安心して後ろを振り返ったんだ……。
「誰だ!?」
転落防止の手すりの近くに人影があったんだ。室外機のある場所が屋上の隅で、その人影が立っていたのはその対角線上の隅だった。そのせいでライトの灯りを照らしてもハッキリと見えなかったんだ。俺は警戒しつつ、そいつをライトで照らした状態で近付いていったんだ。
「そこで何を……!! え?」
大体、屋上の中央辺りまで進んで……おかしなことに気付いたんだ。ライトを照らしたままだったんだが……そいつ真っ黒のままだったんだ。さっきより近くまで来ているのに一向に真っ黒だったんだ。全身真っ黒な衣服で身を包んでいるからと思ったんだが……顔も真っ黒だったんだ。それに気付いて俺が進むのを止めたら、あっちからゆっくりとこちらへと向かって来たんだ。その間もライトは照らしたままだった……けど真っ黒だった。俺が唖然としている間にも……アイツは近付いてきて……そこで気付いたんだ。
「え、え……あ……」
全身真っ黒だったんだ。人の形をした真っ黒な何か……例えるなら真っ黒なマネキン。けど……マネキンとは違ってその動きはスムーズで……瞳の無い白い両目があったんだ。
「うわああああーーーー!!!!」
俺は驚いて慌てて階段へと向かって走った。屋上の扉はすんなりと開いて、そのまま下の階へと下りて……そこで他の同僚達と会ったんだ。
「ど、どうしたんだ……そんな慌てて……」
俺の様子を見て心配した同僚達が何があったのか訊いてきたんだ。俺は見たことをそのまま伝えたんだ。そこで全員で再度屋上へと向かったんだ……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―再び時は戻って「喫茶ミクモ・店内」先輩視点―
「けど……それは見つからなかった」
「……ああ。ふっ……笑えるよな。よくある怪談のオチだ。アレが噂の焼死した女性の霊だったのかもな」
噂……俺がそれに敏感になっていたにはこれが原因である。これが原因で噂に関係する事を聞くとこの時のことを思い出してしまうのだ。
「そうですね……それは災難でした」
俺の話を聞いて、嘘だと思わず労ってくれた三雲。すると、ここでいつもの温かいコーヒーが出された。
「これは私の奢りです」
「払うよ。流石に店に入って金を払わないのは……」
「それでしたら……ここに行ってもらえばいいですよ」
三雲はそう言って、手書きの地図と住所を手渡してきた。そこには〇〇寺と書かれている。
「……お払いに行けってか? もしかして……怖かったか?」
「ええ……そこって〇〇ホテルですよね? ここの近くにある……」
「そうだが……」
「あそこ……小見さんが聞いたような事件は起きてません。廃業になった理由もそこのオーナーが心臓発作で急遽亡くなられたのが原因なんです」
「え? そうなのか……」
「はい。あのホテルのオーナーはここの常連でしたから。まだ祖父がここのマスターの頃ですが「ホテルの経営が上手くいって忙しいよ!」って言ってたのを子供ながらに覚えてますよ」
「そうか……あれ?」
そこで、俺はある事に気付く。「じゃあ……俺が見たのは一体何だったんだ」と……。
「じゃあ……アレはなんだ? あの連中が聞いた噂は……?」
「分かりません。だから……念のためにお祓いに行って下さい」
そこで三雲が俺の顔を見つめる。男同士が見つめ合うという行為に普段なら勘弁して欲しいと思うところだが、三雲の曇った表情を見てしまったらその気も失せてしまった。そして……最後に三雲がこうまとめる。
「全く所縁も縁も無い噂の怪異……だから怖かったんですよ」
その一言に、俺の背筋は一気に冷える。そして、何かに見られている感じがしてそちらへと振り返ると……ここの看板猫がテーブルの下で、俺をずっと威嚇し続けていたのであった。