花、散りゆくように【6】
一方その頃。
エニスが感じた気配の正体である、リクィドが、森の中を歩いていた。
リクィドはエニスとは別ルートを通って来ており、今まで顔を合わせる事がなかったのだ。
(地理的にも、さっきの滝はこの先だ。滝の頂上まで来たのか…?それともまだ上か?)
ずっと水の香りが鼻腔を擽っており、この先に滝がある事は間違いないが、まだ中腹なのか、それとも頂上付近まで来たのか、想像がつかない。
(それにしても……)
リクィドは足を止めると、腕を組んで辺りを見回した。
(さっきから人の気配がするな。まだ先みたいだが、オレを警戒しているようだ……)
先に来ていた幻花の探索者だろうか。
(それほどの実力者じゃなさそうだが、そこそこ腕はたつみたいだな。一応警戒しながら進むか)
先にこの場に来ていたなら、地の理は向こうにあるだろう。
余程の事がなければ、隙をつかれる事などないだろうが、警戒するに越した事はない。
それより気になるのは、気配の方だ。
どこか懐かしい感じがする。
何処かで会った事があるのかも知れない。
それでも何ヵ月も何年も前なら、覚えていない可能性の方が高いのだが。
(ま、行ってみるか。…相手が誰だろうと、幻花を渡すわけにはいかねぇしな)
幻花を入手する為、こんな危険な場所に来ているのだとすれば、相手も必死だろうが、こっちとしてもイールイの命が懸かっている。
出来る事なら、皆が助かる様に分け合いたいが、イールイの命を天秤に掛ける相手など、この世にいやしない。
普段なら違うだろうが、今のリクィドには、他の誰かを気遣う余裕などなかった。
他人の命は、イールイが助かって…イールイが傍にいてこそ価値がある。
他人を気遣うのは、まずイールイを救ってからだ。
(オレも大切なヤツを助ける為に来たんだ…。相手が誰だろうと、幻花は譲れねぇ……)
そう自分に言い聞かせながら歩みを進めると、目の前に見事としか言い様のない光景が飛び込んできた。
微かな月明かりに照らされ、幻想的に輝く湖。
そして湖を囲うかの様に、辺り一面に咲き乱れる花々。
さながら夢の様な景色だった。
広すぎて一望出来ない湖の先は、おそらくここに来る前に見た巨大な滝に繋がっているのだろう。
「こりゃスゲェな……。夜中だってのに、この景色…」
昼間に見たら、一体どれほど美しいのだろうか。
まるでお伽噺の世界に迷い込んだ様だ。
(イールイが見たら喜びそうだな)
幻想的な景色に見惚れながら湖に近付くと、花の優雅な香りが強くなる。
目的が目的なだけに、ゆっくり楽しむ事は出来ないが、それでもイールイを心配しすぎて、ギスギスしていた気持ちが解れていく様だ。
「一緒に来たかったな、イールイ……」
この綺麗な風景をイールイと一緒に見たかった…と思うが、来た目的を思い出して苦笑してしまう。
(この辺りはモンスターはいなそうだな、とにかく平和な場所だ)
本来この湖は、森の守護者と呼ばれる高レベルのモンスターを倒さなければ、辿り着けない場所だった。
だからこそ、他にモンスターがいないのだ。
だが実は、森の守護者を避けて通るルートが一つだけあり、そのルートを探す事が幻花を探す一番の難関だったりする。
下手をすれば、森の守護者に遭遇し、命を落としていたはずだ。
今回リクィドが、例え偶然でも森の守護者を避けてやって来れたのは、ほぼ奇跡である。
そう考えると、別ルートを通って来ているエニスは幸運だった。
そして何より奇跡と言えるのは、この湖のほとりこそ、幻花が花咲く、唯一の場所である事だ。
リクィドは意識せず、幻花の咲く場所へやって来ていたのだ。
(さて…、夜明けはまだか?)
今夜はここで夜を明かそう、そう思いながら夜空を見上げた時。
すぐ背後に人の気配を感じ、リクィドはゆっくりと後ろを振り向いた。
そこには、フード付きの真っ黒なロングコートを着た人間が立っている。
目深にフードを被り、口元すら見えない為、人相が分からない。
しかも、嫌な匂いがする。
腐りかけた死体、または汚泥の様な、何とも言えない悪臭だ。
その強烈な匂いのせいで、性別すら分からない。
(なんだ?この匂いは…)
不快な匂いに顔を歪めながら、コートの人物を眺める。
どうやらこちらに対する敵意はなさそうが、リクィドは何が起きても、即座に対応出来る様に身構えた。