2 脱出
【ヤゴー】「天使様……!!!」
アマンダの頭上で輝く天使の輪を目撃して、ヤゴーは思わず平伏した。アイルも思わず片膝を着いた。ゲイルだけは、直立不動で王の命令を待っていた。
【ロアン】「この子が一体何者であるのか、今は何も訊いてくれるな……」
王はそう言い、続けた。
【ロアン】「君たちもさっき見たように、このローラントはもはや国家の中枢でさえ国賊に蝕まれている。今や、王である私にすら、完全に信用できる者は少ない。クラウザーでさえ裏切ったのなら、尚の事だ……」
彼はそう言い、一旦言葉を切った。
【ロアン】「この小人の侍女はペトラだ。君たちは二人を連れてブリスコーへ向かへ。民を置いて王族を逃がすことは、心苦しい。しかし今は、君たちは事情を理解してくれ」
【ゲイル】「その任務、承りました。必ずや果たしてご覧に入れます」
ゲイルは大きな声で応えた。
ロアンはそれを聞き、うなずいた。そしてアマンダに言った。
【ロアン】「少しここで待ちなさい」
王は部屋の奥へ入った。そして、自ら長銃を手に持ち戻ってきた。そして、アマンダにそれを手渡した。
【ロアン】「これを持っていきなさい。お前が積んだ鍛錬の成果は、決して裏切らないだろう」
王はそういった。アマンダは、こくりとうなずいた。
ーーーーー
アイルたちは、館を出た。
彼らは、御者が彼らの馬を連れてくるまで、中庭で待つことになった。
西の上空を見ると、大きな煙が上がっていた。
人々は、通りに出て煙を眺めていた。中には野次馬のように、火元に向かっていく人間もいた。このローゼンハイムは、千年もの間敵の侵入を許したことはなかった。だから、都市の人間が平和ボケしているのも、無理からぬことだった。
先程城門を守っていた兵士たちは、今はそこにはいなかった。火の対処に向かったのだろうか。これでは城の防護が手薄になると思ったが、そもそも声をかけるべき兵士がどこにも見当たらなかった。
【アイル】「ヤゴーは冒険者だったのですね。初耳です」
アイルが言った。
【ヤゴー】「おうよ、今のお前ぐらいの歳に一度だけ試してみたんだ。一月で家に帰ってきたがな」
【ゲイル】「こいつはお前の母親を追っかけて冒険者に成ったんだよ」
【ヤゴー】「ちっ。よせよせ。あんまりこっぱずかしいことばらすなよ」
【ペトラ】「……でもたった一ヶ月冒険者やっただけじゃ、素人さんと何も変わりないんじゃないですか?」
ペトラが横から口を挟んだ。ヤゴーは頭にカチンと来たが、それでも子供相手に怒鳴るわけにもいかず、あえて鷹揚な口調で言った。
【ヤゴー】「へへへ、おちびちゃん……いってくれるじゃねえか」
【ペトラ】「おちびじゃありません。私はこれでもれっきとした護衛侍女です」
【ヤゴー】「へえそう。ただのおちびのメイドちゃんにしかみえねえがなあ」
【ペトラ】「あなたみたいな、人を見かけで判断する人を油断させるためにあえてこういう格好をしてるんです。油断した狼藉者は、ナイフでお腹をぶっすりです」
【ヤゴー】「お~うこわいこわい」
彼らがそう話していると、城の従者たちが外の様子を見に中庭に出てきた。おそらく朝食の支度をしていたのであろう給仕や侍女などが、庭の芝生の上に立ち、西の空の煙を呆然と見つめていた。
そのうちのひとりの女が、アマンダの姿を見つけて、声をかけた。
【侍女】「アマンダ様……?」
侍女が言った。アマンダは、フードを深く被り直し、顔を背けた。
【ペトラ】「この方は、アマンダ様ではありません」
【侍女】「でもあなたはペトラじゃない。あなたがペトラなのだから、その方はアマンダ様ではなくて?」
侍女は茶化してそう言った。考えてみると、小人の従者というのはそれなりに目立った。アマンダのことを知っている人間なら、フードで顔を隠していても、彼女がアマンダだと察するのは容易なのだろう。
しかし今は、王に言われたとおりに、この城から脱出することがなによりの先決事項だ。
【ヤゴー】「悪ぃけど、急いでこの人を連れてかなきゃならねえんだ。話はまた今度にしてくれな」
【侍女】「……あなた、どこの殿方ですか。身分卑しからぬ人間というわけでもないようですけども」
侍女は不躾にヤゴーの風体を上から下までじろじろと見た。そして、近くに立っていた年かさの執事の袖を引っ張り、アイル達を指さした。
【侍女】「この怪しい方たちがアマンダ様をどこかにお連れすると言っているのですが、止めていただけますか?」
【ヤゴー】「……あのなあ」
【アマンダ】「この方たちのことなら、なにも心配はありません」
アマンダがフードから顔を見せ、侍女を正面に見据えながら言った。
【アマンダ】「これは王命に従ってのことです。皆様も今すぐ身支度を整えて、この城から離れる準備をなさってください。さあ、早く」
アマンダは言った。しかし、従者たちは呆然とアマンダを見つめた。彼女たちは立場上、勝手に城を離れるわけにはいかなかった。そうであるから、王女にそう言われてもどうすべきなのかわからなかった。
【ヤゴー】「それにしてもこいつらといい、通りの奴らといい、街が襲われてるのにこんな呑気なんだ?」
【ゲイル】「……警鐘が鳴ってないな……」
ゲイルが言った。アイルは、そう言われて始めてそのことに気づいた。
【ヤゴー】「たしかにそうだな。こういう場合って、普通は鐘をいやというほど鳴らすよな。俺たちの村でも魔物なんかが降りてくると、がんがんに打ち鳴らすが……」
【ゲイル】「普通はな。普通はそうする」
【アイル】「それは、普通じゃない事態が起きているということでしょうか」
【ゲイル】「さあな……馬が来た。もう出るぞ」
御者が厩から馬を連れてきた。アマンダはヤゴーの後ろに、ペトラはゲイルの後ろにそれぞれまたがり、馬に乗った。そうして、五人は街道を馬で駆けた。
ーーーーー
彼らは、坂を下り、城の南門へ向かった。
通りはまだ人通りが少なく、彼らは下り坂を全速力で駆けた。
アマンダが、ヤゴーの背中から声をかけた。
【アマンダ】「リネットたちは、大丈夫でしょうか」
【ヤゴー】「リネットって?あの侍女のことか?」
【アマンダ】「そうです」
【ヤゴー】「仲いいのか」
【アマンダ】「……はい」
【ヤゴー】「まあ、下手に動くより、城に留まる方が安全だろう」
アマンダは、従者たちが心配なのか、ヤゴーの大きな背中をギュッと掴んだ。
アイルたち走り続け、やがて南の城門にたどり着いた。
城門はすでに閉じられていた。前後に二つある鉄の落とし格子は双方ともに落とされ、その奥に見える跳ね上げ橋も上げられていた。
門の前には、脱出しようとした住民達が集まり、大声で騒いでいた。しかし、門の上に立ち並ぶ弓兵たちは、それを無視して彼らの頭上を睥睨していた。
ヤゴーは人だかりの最後尾にいる男に声をかけた。
【ヤゴー】「一体どうなってる」
【男】「わからねえ。街から出ようと思ったら、急に門が閉じられたんだ。あいつらに何を言っても開けてくんねえから、他の衛兵さんを呼んでるところなんだ」
数人の市民が、落とし格子に掴みかかり、その十字に交わされた鉄の柵を大きな音を立てて叩いた。兵士が門の中から手を突き出し、その市民を突き飛ばした。そして、門に触るなと大声で怒鳴りつけていた。
アイルたちの背後から、馬の走ってくる音と警笛の笛が聞こえてきた。騒ぎを聞きつけた衛兵たちが、ここにやってきたのだ。彼らは馬を降り、城壁に続く階段を走りながら、今すぐ門を開けろと門兵たちに向かって叫んでいた。
ヤゴーも他の市民に混じって、ひときわ大声で怒鳴った。
【ヤゴー】「おーいおまえら何やってるんだ!早く門を開け!」
衛兵たちは、ヤゴーを見た。そして、なにかに気づき、ヤゴーのことを指さした。
彼らは寄り集まり、なにかを話していた。
ヤゴーは自分の声が届いたのかと思い、もう一度叫んだ。
【ヤゴー】「早く門を開けてくれ!」
突然、ひとりの衛兵が弓を構え、矢を放った。
それは、ヤゴーの乗っている馬の首にどすりと突き刺さった。馬の茶色く太い首から鮮血が吹き出し、石畳の上に降り注いだ。
馬はいななき、倒れた。ヤゴーとアマンダは馬の背中から放り出され、石畳の上に叩きつけられた。
【ヤゴー】「なっ!?」
突然の出来事に、ヤゴーは尻餅をついたまま呆然と城門を見上げた。住人たちも驚きの声を上げ、一体何事だと振り返った。
そこへ、間髪入れず別の弓兵がもう一本の矢を放った。
矢は、今度はアマンダの頬をかすめ、石畳の地面に突き刺さった。アマンダの頬が裂け、その傷口から血が流れた。
【兵士】「おい貴様ら、何やってる!」
ようやく胸壁にたどり着いた衛兵たちが、矢を放った弓兵を突き飛ばした。弓兵は弓を取り落とし、尻餅をついた。しかし彼はすぐに立ち上がり、腰の剣を抜き放つと、衛兵の顔面に向かって突き刺した。
兜に包まれた兵士の顔から、血が吹き出した。彼は口を開け、目を見開いたまま、地面に膝を付き、そして石畳の上に崩れ伏した。
一瞬の静寂の後、広場に女の叫び声が響いた。
【女】「いやああああああああああああ!!」
そして、大混乱がはじまった。
ーーーーー
【ペトラ】「あいつらは敵です!今すぐここを離れましょう!」
ペトラが叫んだ。ゲイルはアマンダの襟首をつかみ上げると、彼女を脇に抱え込んだ。そして馬を反転させると、すぐに駆け出した。
彼は背を向けたままアイル達に叫んだ。
【ゲイル】「ヤゴー、アイル、走れ!!!」
ヤゴーは急いで立ち上がった。そしてアイルと並んで走り出した。彼らの背中に向かって、矢が次々と降り注いだ。
アイルたちは、広場を突っ切り、通りを曲がって建物の影に隠れた。アイルは馬を降りると、壁から顔を出し城門を覗いた。城壁の上では、兵同士が斬り合いを始めていた。
アイルがその様子に目を凝らしていると、矢が彼の顔をかすめ、地面に突き刺さった。矢羽が彼の前髪に触り、数本の髪が宙に舞った。
アイルはあわてて顔を引っ込めた。
【アイル】「どうしますか」
【ゲイル】「他の場所から出よう。馬はここで乗り捨てる。港から脱出するぞ」
彼らは馬を降り、港へ向けて走り出した。
ーーーーー
(絵2.1)
アイルたちは、なるべく人通りのない路地を選びながら、小走りで港に向かった。アマンダはフードを深く被り、顔を隠しながら走った。
ローゼンハイムは、おおよそ三十万人もの人間が暮らす巨大都市だった。その輸送拠点だけあって、港は広大だった。合計20本にも上る埠頭が河口に向かって突き出しており、そこに並ぶ船の数は5百を越えた。普段は、ここには猟師の漁船と商人たちの荷揚げ船とが混じり合い、競りの掛け声で賑わっていたが、今日は様子が違っていた。
慌ただしく動いているのは商人たちだった。彼らは、乗せられるだけの積荷を船に満載し、港から脱出を始めていた
商人たちとは対象的に、漁師たちは手持ち無沙汰でうろついてるものが多かった。彼らの中には、その手に得物を握っているものもいた。
まさか、戦うつもりなのだろうか。
アマンダたちは、港の奥の建物へと進んだ。そこは、商業組合の荷揚げ場と併設されて、魚の荷揚げ場があった。
【ヤゴー】「おいローエン!」
【ローエン】「おう、ヤゴーか!」
ヤゴーに声をかけられて、ローエンと呼ばれた漁師は顔を上げた。彼はこの荷揚げ場の頭領で、アイルたちとは古い知己だった。彼の後ろの壁には、黒鉄の棍棒が立てかけられていた。
【ヤゴー】「お前、まさか戦う気なのか?」
【ローエン】「おおもちろんよ。俺はここの頭なんだぜ?仲間の船を見捨てて、自分だけ逃げるなんて半端な真似はできねえ」
ローエンはそこまで言い終わると、ヤゴーの隣に立っている女に目を留めた。ローエンはなにかに気づき、首を傾げて、そのフードの中の顔を覗き込んだ。そして、それが誰だか気づいた。
【ローエン】「……おい……その人まさか……!」
【ゲイル】「すまねえが、なにも見なかったことにしてくれるか?いますぐお前の船を借りたい。頼めるか」
【ローエン】「……ああわかった。付いて来い」
そう言い、ローエンは自分の船までアイルたちを案内した。彼は船に乗り込むと、甲板を埋めていた魚網や錨を堤防に放り投げた。場所が空くと、アイルたちは甲板に乗り込んだ。ローエンは、全員が乗り込むのを確認すると、船の係留索を外した。
彼がちょうど櫂で堤防を突いたとき、港の出口が騒がしくなった。アイルたちは、顔を上げた。
突然現れたザクセンの黒船が、滑るように港の内部に侵入してきた。
ーーーーー
その船は、およそ全長15メートルほどの中型の船だった。
それは、スホルトで見た船とは逆に、メインセイルに一枚の龍の羽が取り付けられ、船尾のスパンカーは真っ白なキャンバスの帆が張ってあった。
その中型船は、引波を建てながら、港の内部に侵入した。
【ローエン】「どうなってる!?もう防鎖は破られたのか!」
ローエンが叫んだ。防鎖とは、敵の侵入を防ぐために、川の両岸にかけらた鉄の鎖のことだ。その両端は、城塞の中でも特に強固に造られた城塔の中に嵌入されていた。その防御を崩すのは、軍隊といえども容易なことではなかった。
中型船は海面を滑り、さらに港の内部へと進んだ。その甲板の上には、四門のむきだしの大砲が敷かれていた。その大砲の後ろには兵士達が立ち、火縄で導火線に火を点けた。
大砲の黒い大口が黄色い閃光を放った。一瞬の間を置いて、耳をつんざく大砲の轟が響いた。
次の瞬間、アイルたちの真横に停泊していた商船が、大砲の弾に砕かれ、粉々に砕け散った。
顔を背けるアイルたちの上に、木片が雨のように降り注いだ。何本かの木片が、アイルの皮膚に突き刺さった。
【ヤゴー】「全員、船をおりろ!」
ヤゴーは叫んだ。アイルたちは船を降りた。
次いで放たれた砲撃は、レンガ造りの商業ギルドの会館を粉々にぶち壊した。
船は港の堤防に横付けし、板を渡した。その甲板から、黒い甲冑に身を包んだ兵士たちが、港に乗り込んできた。
兵士は、腰を抜かして倒れ込んでいる商人の足元まで近づくと、腰に下げた直剣を抜いた。
そして剣をふるい、商人を真っ二つに斬り殺した。
それが住むと兵士はアイル達に向かってきた。
アイル達は、後ずさった。
そこへ、武器を持ったローエンが彼らと兵士たちとの間に立ちはだかった。
【ローエン】 「おいお前ら!武器は持ったか!」
ローエンが、鉄の棍棒を天に掲げて叫んだ。武器を握った屈強な漁師たちが、ローエンの元へ続々と集まってきた。ローエンは、アイル達を振り向いて言った。
【ローエン】「ここは俺達に任せな!お前達は早く逃げろ!」
【ヤゴー】「すまねえ!」
ヤゴーはそう答えると、皆踵を返した。
アイルたちは、来た道を走り、港を脱出した。
ーーーーー
アイルたちは、路地裏をしばらく走ると、人気のない場所で立ち止まった。
ヤゴーが口を開いた。
【ヤゴー】「港が駄目なら、どこから脱出すればいいんだ」
【アマンダ】「教会の地下に、王族のための隠し通路があると聞いたことがあります」
【ヤゴー】「隠し通路?」
【アマンダ】「ええ。そこから城の外に出られると」
【ゲイル】「お前は、そこを実際に通ったことはあるのか?」
【アマンダ】「いいえ」
【ゲイル】「……わかった、そこに向かおう」
彼らは、遠く東に見える教会の尖塔に向かって走り出した。
路地裏は、すでに人影がまばらだった。ゲイルは、道行く先でアマンダに気づくものがいないかと心配したが、その心配は不要のようだった。
閑散とした道路に、石畳を打ち付けて走る五人の足音が響いた。
彼らは道をいくつか曲がり、さらに細い路地に入った。そこは城壁の際の貧困街で、日当たりは悪く、石畳は割れ、むき出しになった地面から緑の草が生えていた。路地裏はさらに人影がなかった。おそらく人々が急いで避難したためであろう、いくつかの家の扉は鍵も閉めず開け放たれたままだった。
彼らは、その細い身をさらに何度かの曲がった。
その時、道の先から女の叫び声が聞こえてきた。
アイルたちは、急いで角を曲がった。
通りの先には、男の死体が横たわっていた。死体は首を剣で切られており、地面は流れた血で赤く染まっていた。
死体のそばで,女が口に手を当てて悲鳴を上げていた。
女に向かって、兵士がじりじりとにじり寄っていた。兵士は、その無防備な背中を、アイルたちに向けていた。
ヤゴーは背中から音もなく剣を抜いた。その反射的な動作は、彼が森の獲物を見つけた瞬間に矢を射掛ける所作に似ていた。
ヤゴーは路地の細道を突進した。彼は狩人が常にそうするように、音を消して走った。そのため、兵士の反応は遅れた。彼は剣を握る手を腰に引き絞り、全体重をかけて剣ごと兵士に横から体当りした。
二人は地面を転がり、壁にたたきつけられた。
ヤゴーは急いで体を起こした。
彼の剣は、甲冑ごと腹を貫き、鍔まで丸ごと突き刺さっていた。
兵士は茫然とその剣を眺めていた。その傷口から血が噴き出した。兵士は手甲を脱ぎ傷口を押さえた。その血は、黒い手甲とは対照的な、その白い手を、赤く染めた。
死を悟った兵士は、動かなかった。ヤゴーと兵士、二人の間に沈黙が流れた。
【ゲイル】「ヤゴー、なにやってる!はやくとどめを刺せ!」
ゲイルが叫んだ。ゲイルは抜き身の剣とともに、全速力で走ってきた。
彼は兵士に漸近すると、剣を頭上に振りかぶり、全体重を剣に込め兵士の兜にたたきつけた。彼はそれでは終わらず、何度も何度も剣を振りかぶり、その頭部を滅多打ちにした。
【ゲイル】「アイルもやれ!百回たたきつけるんだ!」
アイルは兵士の落とした幅広の剣を拾うと、その血まみれの頭に剣を振り下ろした。兜はボコボコになり、中の頭蓋骨が砕け、歯がその口から吹き飛んだ。その白い犬歯は石畳の上にカツンカツンと跳ねた。
アイルは夢中になって、何度も何度も剣をふるった。
【ゲイル】「もういい!もういい!」
ゲイルが叫んだ。アイルは剣をふるうのをやめた。彼は、いつの間にか肩で息をしていた。
兵士の頭はすでにずたぼろのミンチと化し、ぴくりとも動かなかった。
アマンダは、口を手で抑え、兵士の死に様にふるえていた。
【ヤゴー】「ここまでやる必要、あるか?」
ヤゴーが兵士を顎で指し示しながら、言った。
【ゲイル】「馬鹿。仲間を呼ばれたらどうする」
ゲイルが反論した。彼の言は、理にかなっていた。
ヤゴーはゲイルから目をそらし、兵士から剣を引き抜いた。
ーーーーー
彼らは再び走り出した。
道行く途中、路地からちらちらと覗く明るい大通りでは、激しい戦闘が行われていた。その剣戟は、冷たく暗い路地裏の奥まで響いてきた。彼らは兵士とかち合わないことを祈りながら走った。
彼らは、やがて高い尖塔を持つ教会にたどり着いた。
教会は墓地の只中にあった。その樫の巨大な扉は、閂が掛けられ閉ざされていた。ゲイルは教会の扉を叩いた。
【ゲイル】「おい、誰かいるか!」
ゲイルは叫び、扉をたたき続けた。やがて扉の奥で、何かが動く物音がした。
閂が抜かれ、扉が開いた。扉から差し込む光が、暗い教会の中にひとり佇む僧侶の顔を照らし出した。
僧は、細く開かれた扉の隙間から、目を走らせた。そして、アマンダに気づくと、すぐに事態を悟った。
【僧】「少しお待ち下さい」
僧はそういうと、扉の奥に引っ込んだ。そして、カンテラを持って戻ってきた。彼は、アイルたちを墓地の奥へと案内した。
墓地の一番奥には、花崗岩で作られた黒い祭壇があった。
僧はカンテラをアイルたちに渡すと、祭壇の上部を両手で押した。
祭壇の蓋が大きな音を発てて動いた。やがて、祭壇の中に、地下へと続く暗い階段が現れた。
【僧】「先へお急ぎください。私はこの穴を塞ぎます」
僧はそう言った。五人は階段を降りた。
【僧】「アマンダ様、どうかお気をつけて……」
階段の上から、僧が声をかけた。階段の蓋は閉じられた。階段は、暗い闇に包まれた。
ーーーーー
地下の階段は、その先で下水道へとつながっていた。
ゲイルがカンテラの炎で道を照らすと、水に浸かった暗渠が遠くまで続いていた。
彼らは水に入り歩き出した。水はくるぶしの高さまで浸かっていた。
下水道の水は臭く、ぬるかった。彼らが道を進むと、カンテラの光に驚いたネズミが、あちこちへ逃げていった。
アイルはあまりの臭さに思わず鼻をつまんだ。ヤゴーも思わずうめいた。
【ヤゴー】「うげえ、鼻がひん曲がりそうだぜ。貴族様が、こんな汚ねえところ通んのかよ」
【アマンダ】「なるべくそういう場所の方が、外部の人間に見つかりにくいと言われました」
【ゲイル】「誰がこの道を知ってるんだ?」
【アマンダ】「おそらく、わずかな人間のみです。父や母のほかには、高位の役人ぐらいでしょうか」
【ゲイル】「高位の役人ってのは?」
【アマンダ】「イーサン様、コルト様……それにクラウザー様です……」
【ゲイル】「何だと?」
ゲイルはアマンダの言葉に反応した。
【ゲイル】「クラウザーがこの道を知っているのか?」
彼がそう言ったちょうどそのとき、彼らは暗渠の曲がり角を曲がっていた。
曲がり角の向こうに、クラウザーが立っていた。
カンテラの明かりが彼を照らした。カンテラの光は、彼の邪悪な笑みを映し出した。
アイルは驚き、おもわずその場に立ちすくんだ。
しかしヤゴーは、瞬間的に動いた。ヤゴーはアイルを後ろから突き飛ばし、剣を抜きクラウザーに突進した。
クラウザーは杖を覆っていた布を取り去り、頭上に掲げた。杖の先にはめ込まれた石は、すでに真っ赤な輝きを放っていた。
クラウザーはカンテラの火を見て角で待ち構えていたのだ。
【クラウザー】「開放せよ」
クラウザーは短い言葉で呪文の詠唱を終えた。そして、魔術を放った。
眩しい光とともに、炎が杖の先端から吹き出した。
炎の明かりが暗渠を明るく照らした。その灼熱の炎は、暗渠の左右を端から端までを覆い尽くした。その炎から逃げるすべはなかった。
しかし、ヤゴーは怯まず突進した。
ヤゴーは炎の壁を突き破った。麻で編んだ粗末な上着は、火がつき燃え上がった。それでもやゴーは構わず突進した。
【ヤゴー】「らぁあああっっ!!!」
ヤゴーは叫びながら、上段にクラウザーを切りつけた。
この突進は、クラウザーにとっては予想外だった。剣はクラウザーの黒い外套を切り裂き、肩を穿った。
【クラウザー】「くっ」
クラウザーは、後ろに飛び退った。それと同時に、魔術の炎も消えた。そして、異変に気づいた。
カンテラの明かりが、見えない。暗渠の先は真っ暗闇だった。
ヤゴーは、暗渠の床に倒れ、転がっていた。体に点いた炎を、暗渠の底の下水で消したのだろう。彼が、地面を転がり水が跳ねる音が響いた。
自らの炎に目がくらみ、クラウザーの視界は完全に奪われていた。
ヤゴーはなおも、床を転がり続けていた。水の跳ねる音が狭い暗渠に幾度となく反響した。
クラウザーは、ヤゴーのしつこい動作に不審を感じた。
しかし、彼の思考が結論に達する前に、クラウザーの左腕が、何かの衝撃に貫かれた。
「ぐあっ!」
クラウザーは思わず叫び、腕を庇った。彼の右手の指が冷たく硬い何かに触れた。
それは、矢じりの先端の鉄だった。ヤゴーが床に倒れているのを見越して、奥の男が当てずっぽうに矢を放ったのだろう。
すぐに二本目の矢が放たれた。今度は、矢を引き絞る舷の軋む音を、クラウザーの耳は捉えた。
しかし、クラウザーの老いた体は、それに反応することが出来なかった。矢が、今度は彼の右肩を貫いた。
クラウザーは身をひるがえし、逃げ出した。暗渠の暗闇に、水しぶきを上げながら走る足音を残しながら。
【ヤゴー】「待て!」
ヤゴーは叫び、クラウザーを追い走り出した。
【ゲイル】「ヤゴー、追うな!」
ゲイルが叫んだ。しかし、ヤゴーはそれを無視し、暗渠の奥へと向かった。
ーーーーー
彼はクラウザーの足音を頼りに、暗渠を奥へ奥へと進んだ。やがて彼は、開けた空間に出た。
そこは、大きな四角い部屋だった。彼は、足音の反響音から、そう推察した。
いま、ヤゴーからクラウザーは見えない。しかし、それはクラウザーも同じであるはずだ。
クラウザーは矢を二本も体に受けた。そして、やつが魔法使いである以上、呪文の詠唱には時間がかかる。やつが呪文を唱えている間に、自分なら懐に飛び込める。彼は、闘いの素人ではあるが、勝算はあると思った。
いま、クラウザーはこの部屋のどこかに息を潜めている。
彼は、懐から火打ち石を取り出した。
一瞬の光があればいい。一瞬これで火花を散らし、クラウザーの姿を確認すれば、あとは一気に接近してかたをつけるだけだ。
彼は部屋の入口の壁に、火打ち石をそっと押し当てた。そして呼吸を整えた。
彼は火打ち石を擦った。
大きな火花が散り、その光は部屋を一瞬照らし出した。
彼の目はクラザーの姿を捉えた。しかし、そこにいたのはクラウザーだけではなかった。
そこにはネズミがいた。
五十……いや百を超えるネズミが、壁一面にひしめいていた。その小さな対の目は、火花の光を反射して、強い瞬きを残した。
一瞬の後、部屋は再び闇に包まれた。
【ネズミ】「キィィィィィイイ!!!」
しかしすぐに、ネズミは金切り声を上げた。そしてヤゴーに飛びかかってきた。ヤゴーはがむしゃらに剣を振るった。しかし、百を超えるネズミたちが、彼の全身の新湯つ場所からに噛み付いた。
【ヤゴー】「ぐわぁぁぁぁあああ!」
ヤゴーは叫び声を上げて、倒れた。彼は腕で顔をかばい、体を丸めてうずくまった。
崩れ落ちるヤゴーの元に、クラウザーがゆっくりと歩いてきた。
彼の黒く長いローブの袖から、とごめの短刀が覗いていた。
クラウザーはヤゴーを見下ろし、歯を見せ、笑った。そして短剣を振り上げた。
【アマンダ】「邪悪なるものよ、去れ!」
突如、アマンダの叫び声が闇の中に響いた。
眼の前の空間に、天使の光輪が現れた。それは強く白い光で、輝いた。
光は暗渠の空間を照らした。
ネズミたちは、光を見て逃げ出した。ネズミは暗渠の四隅に開いた壁の穴に殺到した。そして、その部屋から逃げ出した。
光はまた、クラウザーも照らした。クラウザーの顔は、明確に怯んでいた。その顔は、それは眩しい光に怯んだのでも、アマンダの姿に怯んだのでもない。
突如彼の心に立ち現れた、罪の意識に怯んでいたのだ。
【クラウザー】「うう……」
クラウザーは嗚咽を漏らした。彼は一歩、また一歩と下がり、そして踵を返すと、暗渠の奥の暗がりへと逃げていった。
ヤゴーは全身から血を流しながら、よろよろと立ち上がった。彼は肩で息をしていた。
【アマンダ】「ヤゴー様、動かないで下さい」
アマンダはそう言うと、彼女は目を閉じ、両手を胸の前で組み、祈った。すると、彼女の頭上の光輪はその輝きを増した。
ヤゴーの全身が白い光に包まれた。すると、すぐに全身の痛みは引き、気づくとすべての傷口は塞がっていた。
ヤゴーは、さっきまで傷だらけだった自分の腕を見て、次いでアマンダのことをまじまじと見た。
【ゲイル】「おい、こっちに出口があったぞ!」
部屋の入口からゲイルが叫んだ。彼の指さす先を見ると、暗渠の先に、白い光が見えた。
ーーーーー