7 ー原因ー
「きゃっ!」
カラスの群れが近くにいたのか、大きな鳥が何羽も空へ羽ばたいていく。その光景が視界に入り、ヴィオレットは急激に頭痛を覚えて地面に膝をついた。
「ヴィオレット嬢!?」
「お姉様!? どうかされましたか!?」
耳の中でキーンという音が鳴り響く。目が回るとどこかの景色が揺れながら垣間見え、視界がチカチカと点滅した。
「大丈夫か!?」
エディが体を支え、ヴィオレットはその胸にしがみついた。
前にも、同じような光景を見た覚えがある。
「学院に戻ろう。ヴィオレット嬢は僕と馬に乗って。ヴィオレット嬢の乗った馬は引いて帰ります」
「お姉様。すぐに学院に戻って医師に診てもらいましょう!」
「……いえ、少し、めまいがしただけです」
ヴィオレットは大きく息を吐くと、ちらりとエディに視線を向けた。
「カミーユ様、馬に乗ってください。ヴィオレット嬢は僕が運びます」
エディはカミーユに指示すると、軽々とヴィオレットを抱き上げて馬に乗せた。そのまま後ろに乗り、馬をゆっくりと走らせる。
「何か、思い出したことがあるのか?」
「カラスが……。あの時も、カラスが近くを羽ばたいていたの……。ファビアンと遠乗りに行った時に……」
「カラスを使役にする魔導士はいる。その時に呪われた可能性が?」
「あの日、私は落馬して、それから馬に乗らなくなったわ。乗ろうと思うこともなかった」
ヴィオレットは自分が乗馬好きだったことを忘れていた。
あれからずっと乗っていない。呪われてファビアンを追い掛けていたせいもあるが、馬に近寄ろうと考えたこともない。
「思い出すきっかけを作らないようにされていたのかもしれない。馬に乗りたいと思わないように」
「そんな事までできるのね……」
「だが、そこまでできる魔導士は数が知れているから、これで絞れるかもしれない」
見遣った先、エディは何かを睨み付けるように鋭い視線を向けていた。
「お姉様、お部屋までお連れします」
学院に戻ると、カミーユが部屋までのエスコートを率先してくれた。エディは馬を片付けてくれると言ってヴィオレットに目配せする。
エディはすぐに調べてくれるようだ。それに頷いて、心配してくれるカミーユと寮へ戻った。
カミーユを驚かせてしまっただろう。真剣に憂えてくれて、歩けるのに腕に掴ませるとゆっくり歩いてくれた。
身長はヴィオレットより少し高いくらいだが、触れると小柄なわりに筋肉がある。
剣も一人で練習しながら鍛えてきたのだ。相当な努力がいっただろう。
「お姉様は、彼の方と仲が良いのですか?」
「色々、相談に乗ってもらっていることがあるので」
「では、今回はその息抜きのために誘ってくださったんですね」
カミーユはエディとの仲を妙な目で見ることはないようで、感心したように納得している。そうでもないのだが、ヴィオレットは笑みで軽くごまかした。
「彼は地方の貴族の一人息子ですよね。確か、商売を行っていらっしゃるのでは?」
「よく、ご存知ですね。ホーネリア王国から輸入品を売買されているそうです」
「やっぱり。人の顔や身分などは覚えるようにしているんです。そうではないかと思っていて」
照れるでもなくさらりと言いのけるのは、それが当然だと思っているからだ。
学年も違う関わりのない生徒を覚えているとは、簡単にはできないことである。カミーユに教える者はいない。カミーユのために動く者は少ないのだ。それでもその情報を得て覚えている。
(気概が違うわね……)
学院を出れば王のために働くことになるだろうか。そのために多くの情報を得ていれば王の信頼も厚くなるだろう。それは武器になり、早い判断にも利用できる。
「お姉様とお知り合いとは思いませんでしたが、気軽にお話しできる方ですね」
「彼とは神殿でお話しする機会があったんですよ。今日は私のせいで早く帰ることになりましたが、彼もまたカミーユ様とご一緒できることを楽しみにされると思います」
思ったより強引なところがあって行動的なことは分かった。きっとまた何かしら誘いをしてくるような気がする。
婚約者がいることは理解しているが、不仲であることも分かっている。
(案外、あからさまに態度を出してくるから、少しびっくりするけれど)
その気がないように見せていながら、あるようにも見せる。わざと呟いたりするのは、こちらの反応を見るためだろうか。
しかし、悪い気はしないし、目的が何なのかも気になる。
商売について協力してくれ、などと言ってきそうでもあるが、それはそれで良かった。会ってから間もないが、話をしていて不快さはない。
「あ、」
カミーユが小さな声を出して、すぐに頭を下げる。それに倣ってヴィオレットも頭を下げたが、向こうからやってくるファビアンは明らかに驚きの顔を見せた。
「兄上。散歩ですか?」
「ああ、まあな。そっちは。何をしている」
「お姉様とご友人と馬に触れていたのですが、お姉様の体調があまり良くないようなので、お部屋にお連れするところです。それでは、これで」
さっさと答えてカミーユはファビアンを通りすぎる。一緒にいたヴィオレットも足並み早くすぎようとした。
当たり前のように隣にいるマリエルを無視し通りすぎる。
「え、待て! ヴィオレット!」
後ろからの大声にヴィオレットとカミーユは足を止めた。またどうして声を掛けてくるのか。ヴィオレットはため息をつきたくなる。
「はあ。」
ついたつもりはなかったのだが。隣で息を吐く音が聞こえた。
「兄上、お姉様は体調が悪いのですが、何か急用がございますか?」
「お前を呼んではいないだろう。ヴィオレットを呼んだのだ」
「お姉様は体調が悪いのです。どうか、急用でなければ後でお願いできればと存じます」
「カミーユ様。私は大丈夫です」
「ですが、お姉様。倒れられたのですから、早めにお部屋に戻りましょう」
カミーユは心配してくれるが、今はもう体調は問題ない。どうせファビアンの用は、なぜ何も言わないのか? の一点に限るだろう。他に声を掛ける理由がない。
案の定、ファビアンは眉を傾げてこちらを見つめていた。
「ずっと体調が悪いな」
「申し訳ありません」
「……、ならいい。静かで助かる」
「兄上!?」
「カミーユ様。参りましょう」
食ってかかろうとしたカミーユの腕をきつく握って、ヴィオレットはそれを止めた。
代わりに怒ってくれるカミーユには申し訳ないが、こちらも関わりたくない。
引きずるように促してその場を去ると、ファビアンの姿が遠のいてもカミーユは怒りを封じきれないように奥歯を噛み締めていた。
「気になさらずに。大したことではないですから。前々からあのような態度でしたし」
「正直な話、がっかりしています。兄上があのように浅慮な方だったとは」
浅慮も浅慮。アホの極みである。
それは護衛に付いているコームも同じで、ファビアンをたしなめようともしない。王からの命令で付いているだろうに、ファビアンの命令に従うよう命じられているからだろうか。
王はファビアンをあのままにしておくのか。学院で堂々と婚約者以外の女性を連れ、あまつ腕を組んでいたのだ。
ヴィオレットを見るなりファビアンが嫌がりマリエルは腕を離したが、普段から当たり前のようにそうしているのだろう。
馬に乗ってきたヴィオレットたちがいた方向に歩いているのだから、これから森にでも行く気だろうか。それとも側にある図書館へ行くのだろうか。どちらにしても人気のない場所だ。
「お姉様はとても優秀な方です。もっと良い方がお似合いかと」
絞り出すような声が届いてヴィオレットは眉を下げた。力の入っている背をなでたくなる。
そこまで怒ってくれなくていいのに。カミーユは悔しそうに鼻の上に皺を寄せた。
「お姉様に似合う、年の近い身分のある方が少ないのも事実。せめて、ジョナタン兄上が生きてらしたら……。はっ。す、すみません」
予想外の言葉に、それを口にしたカミーユが急いで撤回する。誤って言うにしても、問題のある発言だ。
「こんなところで、不用意な発言はいけませんよ」
「はい……」
誰が聞いているかも分からない。
カミーユはしょんぼりとして、部屋に着くまでに何度も謝ってきた。