22② ー婚約破棄ー
「ファビアン王子は、ポアンカレについて何か伝えただろうか?」
「マリエルのことは、わずらわしくなり遠ざけるようになったと聞きましたが」
「……他には?」
「それだけですが」
「ファビアン王子は不器用だな」
何の話だろうか。エティエンヌは小さく息をつくと困ったように頭をかいた。
「あまり伝えたくないが、ポアンカレが話していた、婚約云々について覚えているかい?」
「覚えておりますが」
婚約の約束をしたとか、口付けたとか。まだ婚約破棄をしていないのにぺらぺらと、黙っていれば良かったことを話してしまった。婚約者がいながらそんなことを皆に知らせれば、非難を浴びることが想像できていなかったようだ。
「何もなかったそうだ。婚約の話すら出していなかった。あれはポアンカレの暴走で、焦った彼女が見栄を張った結果だったようだよ」
「……それは、気付いていました。窮地に立たされることは予定していなかったでしょうけれど、ファビアンを刺したことを私が否定した時には、そのようなことを言えと指示されていたのでしょう」
言い訳が思い付かない時はしどろもどろだが、ファビアンとの話についてはすらすらと言葉が出ているようだった。だから、あれは嘘だと分かっていた。
エティエンヌは少しだけキョトンとした顔を見せた。知っていたことが意外だったようだ。
「あれに、ショックを受けているのかと思っていた。信じて、苦しんだのではと」
「別に婚約の約束をしようが、口付けようがどうでもいいです。あそこまであからさまに演技者であったのに、それに気付けないファビアンに呆れただけです」
次に近付いてくる婚約者候補に気を付けろと苦言すべきだっただろうか。
そんなこと余計なお世話だろうが、この国の王妃となる者は見極めてほしい。
「ファビアン王子は成績のあまり良くないポアンカレの勉強を見ていたそうだ。コームの証言では、学びを教えることを好んでいる様子だったと。ポアンカレがわきまえなくなったため、それもやめたそうだが。勉強の本を買いに付き合わせるほどだったらしい」
街に買い物に行っていたのは本屋に行くためだったのか。王子を足に使うとは、マリエルは相当である。それに付き合うファビアンも相当だ。
王子としてもう少し威厳を持ったらどうなのだろうか。
「ファビアン王子は、君に関しては、あまり感情をうまく表現できないのだろう。君はファビアン王子を助けることが当たり前で、ファビアン王子はそれが不満だった。けれどファビアン王子はなぜそれが不満なのか分かっていなかった」
「どういう意味でしょうか?」
「ただ頼られたいというだけだ。単純な話だよ。ファビアン王子はポアンカレに君を重ね、自分も頼られる存在だと思いたかった。ポアンカレは君でも何でもないのに」
「従順な子が良かっただけではないでしょうか?」
エティエンヌはファビアンの痛々しい行為をどう説明したいのだろうか。
ヴィオレットの一言にエティエンヌは眉を下げて複雑そうな表情を見せる。
「ジル・キュッテルが選んだポアンカレは確かに丁度いい人選だったのだろう。本人も餌をやった男は必ず釣れるという自負があったようだから、ファビアン王子も簡単に釣れたと思ったはずだ。やけに触れるような真似をしていたようだからな」
腕を組んだりしていたことを言っているのだろうか。
ファビアンは面倒そうに振り払っていたらしい。毅然と断るべきことを放っておいたので同じだと思うが。
「確かにファビアン王子の態度は悪く、そこは擁護し難い。王子としての矜持が足りないのも間違いない。けれど、ファビアン王子が第一継承権を得てから、呪いのせいで君の性格が変わり、ファビアン王子は嫌悪するようになった。王になる男に興味があると知って怒るのは分かるだろう?」
「分かりますが……」
「本当に分かっているか? 私はライバルを蹴落としたいが、君が分かってくれなければ話している意味がない。君には綺麗さっぱりファビアン王子のことを過去にしてほしいのだ」
「もう、婚約破棄をしました」
「謁見から戻り、浮かない顔をしていたのは誰だろうか……?」
「それは、ファビアンがおかしな質問をするからで……」
「どんな質問を?」
問われて口籠る。ファビアンの話を切り上げたのはヴィオレットだ。どうにも聞いていられなくて、さっさと飛び出してきた。聞いてはいけない話だと思ったからだ。
「まだ学院はあるし、顔も合わせる機会は多い。ファビアン王子は幼い心のまま、君に素直な気持ちを口にすることができずに拗らせた。婚約破棄になって初めて後悔し、今までの行いを恥じているだろう。これから未練のある真似をしてくるかもしれない。君がファビアン王子に心を揺らすのは見たくないんだ」
「……そんなことは、ありません」
「君たちが共にいた時間が長いことは知っている。幼い頃会った時に、側にいたのを見ているから」
ヴィオレットはあの時のことをほとんど覚えていないが、エティエンヌはよく覚えているらしい。数人で分かれて好きなことをしていたが、ヴィオレットとファビアンはもちろん一緒にいた。ファビアンが離れることはなかったからだ。
「いつも手を繋いで、仲が良い姉弟だと思っていた。後で婚約者同士だと聞いて、羨ましくも思った。お互いを必要としているように、二人だけが同じ空気をまとっているようだったから」
何とも言えない曖昧な表現だが、何となくそれは理解できた。
ヴィオレットがファビアンを見遣ればファビアンはヴィオレットを見上げるし、ファビアンが見ていればヴィオレットはすぐに気付く。いつも手を握り一緒にいて、同じ物を食べて昼寝をしては、勉強をした。
まるで姉弟のようで、それが自然だった。
ジョナタンやファビアンの母親のフロレンスにも言われた。
『あなたたちは二人で一人のようね』
「もう……、昔の話です。ファビアンは、私の守りはいらないそうなので」
どこか込み上げる熱を感じながら顔を上げると、頬に一筋の滴が流れた。
エティエンヌがそれをすくうように拭いとる。
「二人は、口にせずとも通じ合える仲だった。こんなことになって、何も思わぬはずがない。あれほど仲が良かったのだから。それに気付いた上で、私の話をもう一度聞いていただきたい」
そろりとヴィオレットの手を取りながら、エティエンヌが地面に膝を付いた。
「今の話をして、そのように膝を付いてくれるのですか?」
「真っ向から勝負するのが趣味なんだ」
随分脳筋なことを言ってくれる。二度も他国の王子を跪かせているが、不敬罪にならないだろうか。
太陽の光を受けて白金の髪がキラキラして天使のようだが、エメラルドグリ―ンの瞳には熱情を見せた。
「私は君と対等な立場でありたい。お互いを助け合い共に成長し合え、必要とし合える立場に。即座に婚約は無理だと分かっている。けれど、せめて答えは聞かせてほしい」
「……私は婚約破棄をしたばかりの身ですが」
「縁がなくて安心した」
エティエンヌは軽く笑いながらも、緊張した面持ちで、真剣な顔をヴィオレットに向けた。
ヴィオレットの沈黙に、エティエンヌは握った手に力を入れる。指に集まる温もりが、そのままヴィオレットの心臓まで届きそうだ。
「私と共に歩む道を、選んでくれないだろうか」
身体中が熱くなり、顔がほてる気がした。
「……謹んで、お受けいたします」
ヴィオレットの頷きに、エティエンヌは弾けんばかりの笑顔を見せた。
 




