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21 ーファビアンー

 部屋に響くノックの音に耳を澄まし、ヴィオレットは扉の間で立ち尽くす。


 返事があり扉が開かれると、ヴィオレットはソファの前までゆっくりと歩いた。


「お加減はいかがですか」

「調子は問題ない」

「それは良かったです」


 ファビアンは王宮に戻っていた。ベッドから出てソファに座っていたファビアンは、もう何の問題もないようだ。

 立ったまま動かないヴィオレットに座るよう促す。


 長居をするつもりはない。首を振ると、ファビアンは分かっていたかのように唇を噛んだ。


「……俺たちの婚約は正式に破棄された」

「伺っております。本日はファビアン様の容体を確認できればと参った次第です。お元気そうで安心しました」


 ファビアンは顔を歪めてヴィオレットを見遣る。様付けの呼び方と仰々しい話し方に嫌悪でも抱いたか、もう一度唇をきつく噛み締めた。


「ポアンカレ令嬢ですが、ファビアン様暗殺に直接関わりはなかったとしても、ファビアン様を傷付ける計画を容認していたため、罪に問われることになりました」

「知っている」


 マリエルは死刑を免れたものの重罪となり、寒さの厳しい遠い孤島へ流刑となる。戻ってくる可能性はないだろう。関与はしていなくともファビアンの暗殺に関わったのだ。恩赦はない。


 ジルとクロエは死罪が決まった。まだ他に協力者がいないか調査中のため、いつ刑が行われるかは決まっていないが、刑の重さに変更はないだろう。


 デキュジ族の中でも魔法や剣に長けていたジルの将来の損失を残念がった者はいないが、ヴィオレットはいつかジルがファビアンの側に付けば良いのではと思っていた。


 残念だ。それを口にはできないが、ジルがデキュジ族の呪いに掛かっていなければそれは実現できただろう。


 愚かにも、自分の首を絞めてしまった。


「……呪いを掛けられていたというのは、事実なのか?」


 ファビアンはためらうように問うてくる。

 ヴィオレットの性格が変わったことに何かしらの原因があったとは思いも寄らなかったと言いたげだ。


「事実です。正確には古の魔法をいじったものだそうですが、問題なく解けましたので」

「ホーネリア王国の王子のおかげでか?」

「呪いに気付いてくださったのはエティエンヌ様でした。エティエンヌ様より王妃様へお伝えいただき、王宮専任の魔導士を使わしてくださった次第です」


 王妃は少々様子を見ていたようにも思えるが、治してもらったので文句は言えない。


 ジョナタンを殺した者たちを確実に捕らえるため、学院で起きる事件も黙過していたところがある。いつからジルに目星を付けていたのか知らないが、ファビアンが騙されていると分かりながらジルたちを泳がせていたかもしれない。と口にするのは控えておこう。


 ファビアンは両手を組んだまま、その手に力を入れた。


「あの男と、婚約するのか……?」


 誰から聞いたのだろう。王だろうか。

 だが、それを聞いてどうするのか。自分たちはもう他人だ。


 普段の不遜な態度は消え、昔の、ぬいぐるみを持って後ろをついてきていた頃のように、どこか訴えるような、何かを求めるような顔を向けてそんなことを聞いてくる。


「答える必要がありますか?」


 素っ気なく答えれば、ファビアンは傷付いたような顔をして、閉じた口元を歪めた。


 なぜ今さら、そんな顔を見せるのだろう。


 後悔でもしているのだろうか。呪いが掛かっていることを知っていれば、マリエルと親しくしなかったとでも言いたそうな顔をしてくる。


「声が聞こえた……。ジルが俺を刺した後、お前の声が。何度も、俺の名を呼んで……」


 意識はなかったように思えたが、ヴィオレットが駆け寄り何度も声を掛けたことを覚えていたようだ。

 癒しを施していた間に聞こえていたのかもしれない。


「ジルに刺されて、俺は助からないと思った。あのような、誰も来ることのない場所で刺され、一人死ぬのかと」


 ジルは怒りに任せるように、ファビアンを刺したそうだ。見たことのない恨みの形相に、ファビアンは戦意すら持てなかった。


 裏切りが重くのしかかり、どうしてという思いしか持てず、意識を失いかけていた。

 答える声はなく、ジルの後ろ姿を目にして、そのまま何も分からずに死ぬのかと。


「そう思っていたのに、ヴィオレットの声が聞こえた。————俺の名を呼び、泣きそうな顔で、すがりつくように————」

「————なぜ、あの場所に呼び出されたんですか? 手紙はファビアン様の筆跡でした。脅されて書かれたわけではないはずです」


 命を救われたからと、おかしな勘違いで回顧されても困る。


 まるでヴィオレットに未練があるかのように聞こえて、ヴィオレットは言葉をかぶせるように忘れていた疑問を問うた。あまり興味はなかったが、ファビアンが変に煮え切らない態度をしてくるので居心地が悪い。


 急かしたような問いに、ファビアンはハッと顔を上げて、一度俯く。


「……言いたくなければ結構です。それでは、私はそろそろ失礼させていただきます」


 何だか早くこの部屋から去りたい。そう思って答えを聞かず踵を返そうとした。


「話したかったからだ!! ……ちゃんと、お前と話したかった。ポアンカレがしつこく俺の側にやってきて、お前との婚約を破棄した方が良いと言ってくるのがわずらわしく、しばらく近付かぬよう伝えていた。けれど、ポアンカレはお前があの男と会っていると」

「会ってはいましたが、ファビアン様とポアンカレ令嬢のように親しい間柄ではありません」


 つい嫌味を言うと、ファビアンは羞恥で顔を真っ赤に染めた。反論などできまい。悔恨の色を見せたが唇をかみしめて続きを話し始める。


「あの男は、時折俺の前に姿を現しては、話すこともなく挨拶を交わしてくる。わざと俺の前に現れ煽っているのだと」

「エティエンヌ様は王妃様に協力し、私に呪いを掛けた主犯を探していました。ファビアン様の周囲にいる者にも注視していたのですから、お会いになる機会が多いのは当たり前でしょう」


「それは、お前が知らないからだ」

「何をですか」

「あの男は初めから俺に挑発的だった。お前には分からなくとも、俺には……」

「そうだとして、それが何だと言われるのですか?」

「だから、ジルに相談をした。冷静に話す時間がほしいと……」


 よりによってそれをジルに話し、ジルはならばと提案したのが、手紙で呼び寄せることだった。


 ジルを信頼していたファビアンは何も疑うことなく手紙を書き、その手紙をジルに渡した。ジルがその手紙をクロエに渡し、マリエルに届けさせるとは思わず。

 素直すぎるファビアンの行為を、ジルはほくそ笑んだだろうか。


 そうしてジルは護衛騎士のコームをファビアンから離すために、先に旧校舎へ向かったファビアンを追うと、教室前で待機していたコームを薬で眠らせた。

 講堂のように坂になった広い教室の壇上で待っていたファビアンはそれに気付かず、階段を降りてきたジルに刺されて倒れたのだ。


 時間は少なかったため、ジルはファビアンを刺してからコームを別の教室に連れて行き毒を刺したのだろう。その間にヴィオレットが現れてクロエが鍵を閉めた。

 マリエルはヴィオレットの後を付いて教室前にやってきて、クロエが鍵を閉めたのを見て警備騎士に嘘を伝えに走った。


「手紙は、読まなかったのか?」

「……読みました。私が教室に訪れた時にはファビアン様が倒れており、急いでエティエンヌ様からいただいた治癒の宝石を使用したんです」


「癒しを施したのは、お前なのか……? あの場所には来なかったのではなかったのか? 医師は、治療は警備騎士が行ったのではと言っていたのに……?」


 あの騒ぎで既に治癒されていた傷について、誰が治したなど聞く必要もなかっただろう。だからヴィオレットもエティエンヌもその話はしていない。勘違いをしても仕方がなかった。


「私が再び狙われることもあったので、エティエンヌ様がいくつかの特別な宝石をくださいました。ファビアン様が助かったのはエティエンヌ様のおかげでもあります」


 実はあの場所にいたというのは、もう既に時効だろう。犯人にされるのを恐れて逃げたとはさすがに糾弾すまい。ファビアンなら伝えてもいいだろう。


 気楽に思っていたが、ファビアンはショックを受けたかのように、絶望したような表情を浮かべてうなだれた。

 逃げたことを糾弾する気か。ファビアンは口をはくはくさせて何か言いたげにしたが、結局口を閉じて首を下げたまま、黙りこくってしまった。


 捨てられたとでも思っただろうか。治療をしたのだから文句を言わないでほしい。あの時は九死に一生を得たと言っても良いくらいだったのだから。

 宝石がなければ全てが終わっていた。


 ファビアンはそれきり黙り、沈黙が訪れた。ヴィオレットと話したかったこととは何なのだろう。しかしもう話すことはないか口を閉じたままだ。


「では、私はこれで。どうぞお身体お気を付けください」


 二人きりで話す機会はこれで終わりだ。ヴィオレットは頭を下げて今度こそ踵を返そうとした。


「あ、待って! お前は……、あなたは、婚約者として俺を愛したことはあるのだろうか」


 ぬいぐるみを持った幼い頃を彷彿とさせる、耳を垂らしたうさぎのような表情をしてファビアンはそんな突飛な質問を口にした。


 婚約破棄を終えた相手に、そんなことを聞いて何の意味があるのだろう。

 質問の答えを待つために立ち上がってこちらを見つめる。小さな子供ではなくなったのに、まだ同じような視線を向けてくるとは思わなかった。


「あるかないかと問われれば、ありません」


 はっきりきっぱり言いやれば、予想していたと泣きそうな顔をして肩を下ろす。


 あるかないか。そう問われれば、ファビアンも同じように答えるだろうに。

 ショックを受けるようなことではない。幼い頃から決まった婚約は、否応なしに決まった。友人でもなく恋人でもなく共にいることになっただけだ。


「私にとってファビアン様は弟のようなものです」

「そ、そうか……」


「かといって本当の弟ではありません。私たちは対等な立場でお互いを補う者という認識でした。私たちの得手不得手ははっきりしていましたから、何を補えるか分かるほど癖や性格も分かっていたつもりです。それを愛と呼ぶとは思いませんが、ファビアン様の不得手を補うための努力はしてきました」


 泣きながらついてくるファビアンを守る姉のつもりもあった。だから周囲を見回す癖が付き、状況の判断が早くなった。剣や魔法の腕はファビアンの方がある。ならば学びを増やすことを望んだ。


 ヴィオレットは大人びていたがそれだけだ。秀才であるわけでも天才であるわけでもない。


「ファビアン様は周囲を悟らせる正直さがありました。言葉少ない私と違い、周りを巻き込むことを厭わず話をされるファビアン様は、大人でも聞き入らせる言葉の力を持っていました。私は周囲の反応を分析し、注視すべき者は遠ざけてきたつもりです。私はお互いの長所と短所を補える相手であれば良いと思っておりました。————ファビアン様は違ったようですが」


「お、俺は————っ」

「ジルについては気付きませんでしたから、私が呪われたのは良い転機だったのでしょう。今後、私がファビアン様を補うことはありません。ですから、私の前で卑屈になることもありません。自分に自信を持ち、そのままお進みください。王になるためにはその心を保つのはとても難しいことでしょう。正直すぎて馬鹿を見ることもあるでしょうから、多くの意見を取り入れ思慮深くなるよう努力なさってください」


 愛するとか、愛さないとか、そんなことは考えたことはない。

 ファビアンはいつも側にいて、それが当たり前だったからだ。


 だが、それから態度を変えてきたのはファビアンで、ヴィオレットはそれに付いていけなかった。


 ただ、それだけだ。

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