19① ー礼ー
「ファビアン様の容態は落ち着いています。誰かがすぐに癒しの魔法を掛けたのでしょう。そのおかげで命を取り留めました。急激に治療したため体がまだ落ち着かないでしょうが、すぐに良くなられます」
王宮から来た医師の説明を聞いて、ヴィオレットはとりあえずファビアンが無事だったことに安堵した。
部屋に入って話が聞けるかと思ったが、隣で控えていた世話係のニコラが首を振る。
「意識はありますが、疲れているためお会いするのは難しいとのこと。申し訳ありませんが、本日はお部屋にお戻りください」
目は覚ましているが、ヴィオレットには会いたくないようだ。
仕方なくヴィオレットは自分の部屋に戻るために踵を返した。
精神的なショックもあるのだろう。
護衛騎士のコームは旧校舎の教室の一室で倒れていた。コームはジルを警戒していたはずだ。しかし隙を突かれたか、薬物を嗅がされ意識朦朧となると、毒物を注入されたそうだ。護衛騎士を女性が殺すのは難しいため、毒物でコームを殺したように見せかけたかったのだろう。
コームは毒物に馴らしていたおかげで運良く命は失わず、今は治療中である。
犯人はジルで間違いなく、ジルはファビアンを殺そうと横腹を刺した。止めを刺さなかったのは苦しんで死なせたかったのではないかという話だ。大量出血に内臓損傷。放っておけば死に至るが、意識が残ったままヴィオレットが教室に着いていたら、犯人を口にする可能性があったのに、止めは刺さなかった。
(そこまで憎んでいたのかしら?)
最後にヴィオレットを狙ったのも、ファビアンの婚約者だったからだろう。
結局、この事件はジルが計画したもので、協力していたのはクロエであり、騙されていたマリエルだった。
マリエル・ポアンカレはそこまで身分が高いわけでもなく低いわけでもない。しかし父親が事業で借金をしていた。マリエルは持ち前の愛嬌と口のうまさで財産のある長男を結婚相手に探していた。
それをどこで知ったのか、ジルに目を付けられて学院でクロエが接触する。
クロエはデキュジ族であるため最初は警戒されただろう。そこでファビアンを狙うよう仕向けられたのは、ジルが計画したからだ。
マリエルとファビアンが出会えるきっかけを作り、マリエルの顔を覚えさせた。偶然を装い、ファビアンが好印象を持てるように計らった。
(ジルはよく人を見ているのよね。ファビアンの性格をよく知り、マリエルの行動も予想ができて、二人は分かりやすいほど簡単に近付いた)
ファビアンに気に入られるような方法。ヴィオレットだって分かっている。ただそれをするとヴィオレットだと嫌がられるのだ。マリエルはジルの言う通りにファビアンのちょっとした行動を褒め、その行動に少しだけ難癖を付けた。
ファビアンは注意されれば直そうとは心掛ける。ヴィオレットの注意はともかく、他の者たちの話は聞くからだ。とはいえいい大人になったファビアンに注意する者などいない。
学院に入り他人から注意されることのないファビアンはマリエルに好印象を持っただろう。
「ヴィオレット嬢、ファビアン王子の様子はいかがですか?」
声を掛けてきたのはエティエンヌだ。もう皆が彼の素性を知ったか、近くを通る者たちが道をあける。長い前髪で隠していたエメラルドグリーンの瞳は美しく、上げられた前髪のおかげで整った顔がはっきりとあらわになっていた。
目立ちすぎる素顔。顔を前髪で隠していたわけだ。猫背だった姿勢も今では見られず、髪色までもが違った。雰囲気まで暗くさせていた黒髪は元は白金で、王妃と同じ髪色だった。
魔法で髪色を変えていたのだ。この白金の髪色を見れば、すぐに王妃を思い浮かべる。同じ髪色。ホーネリア王国の王族の髪色だ。
「ファビアンの体調はすぐに良くなるそうです。エティエンヌ王子にはお礼申し上げます。あなたのくださった宝石のおかげでファビアンは助かり、私も無実の罪で捕らえられることもありませんでした」
王子と分かっては気軽な話し方はできない。ヴィオレットは恭しく頭を下げる。エティエンヌも周囲に人がいて気安く話せないか、丁寧な物言いだ。
「私は宝石を渡しただけです。使用されたのはあなたですから。英断でした」
「ですが、貴重な魔法石をいくつも使用してしまいました」
「あなたに贈ったものです。それをどう使用しようと私が口出すことではありません」
「……感謝いたします」
エティエンヌは礼に対し困ったような顔をすると、そろりと手を差し出す。
「よろしければ少し歩きませんか」
人がいる中で話す話ではない。エティエンヌの誘いにヴィオレットは手を乗せてその誘いに応じた。
エティエンヌからもらった宝石がなければ、ファビアンもヴィオレットも終わりだった。
部屋の防御以外にもらった宝石は三つ。癒しの力を持つ宝石のついたブレスレット。何かあった時に連絡が取れる通信用の宝石。それから、瞬時に移動を可能にするネックレスだ。
ファビアンから手紙が届き、ヴィオレットはすぐにエティエンヌに連絡した。通信用の宝石はエティエンヌも持つ宝石で会話ができ、古い校舎に呼び出されたことを伝えた。
それが罠であることは間違いなく、何かあった場合のためにネックレスとブレスレットを着けていくように言われた。
座り込んで死にそうだったファビアンにブレスレットの癒しを与え、ヴィオレットは首にかけていたネックレスの青色の宝石を握り、エティエンヌを思い浮かべた。
瞬時、移動したのは待機していたエティエンヌの元。どさりとぶつかった胸には驚いたが、それに照れている間などなかった。
「あの時、エティエンヌ様が機転を利かして下さらなければ、ジルを捕らえることはできなかったでしょう」
「こちらには味方が大勢いますからね。王妃の手柄でもあります」
そう。王妃の手柄でもある。
第一王子ジョナタンの死について、事故と判断されたが王妃ジュリアンヌはどうしても信じることができなかったそうだ。
ファビアンやファビアンの母親フロランスは権力に興味がない。カミーユやカミーユの母親も同じだ。カミーユの母親に至ってはデキュジ族なうえ元侍女である。王妃は後継者やその母親が関わっていないことを疑わなかった。
そのため、もし次に狙われるならばファビアンではないかと目星を付け、王に許可を得て学院で使える者たちを集めたのである。
ファビアンの護衛騎士のコーム。そして世話係のニコラ。他にも何人が王妃の手として動いていたのだろう。
ファビアンが刺され、ヴィオレットがエティエンヌの元へ移動し、焦りながらも状況を説明すると、エティエンヌはすぐにファビアンの部屋に行くことを提案した。
理由を話す暇なくエティエンヌは宝石を使いヴィオレットを連れてファビアンの部屋に移動する。ニコラを前に半ば諦めたが、まさかニコラがエティエンヌの仲間だとは思いもしない。
脱力しかけそうになりながら、ニコラにアリバイ作りを頼みすぐに旧校舎へ向かったのだ。
「コームもニコラもエティエンヌ様のことを知っていたとは」
「ダレルノ王から、何かあれば頼ることも許されていましたので」
隣国の王子を警備もなく学院に通わせているのだ。王もその辺りは気にしていたのだろう。
エティエンヌはただ単純な気持ちで留学をするのではなく、身分を隠すことで貴族たちの動きを学びたかったそうだ。第二王子であるエティエンヌは王にはならない。王のために働くのならば貴族の心情を学んでおきたい。学院内とはいえ良い教材になる。
王族に対する貴族たちの心理は傍から見てどのようにうつったのか。王族からは見えない貴族たちの裏の顔を垣間見たことだろう。
そしておもねられることなく自由に学べる機会は他では体験できない。正しい評価を得られ学業に集中できることは、エティエンヌにとって良い機会だったのだ。
目立たぬよう試験などは手を抜いていたようだが、しかし、まさかこんな事件に巻き込まれるとは思わなかっただろう。




