18③ ー罠ー
「あの、私がご一緒しました」
手を上げたのは学生ではなく、ヒョロリとした体で色白の顔にそばかすのある二十代後半くらいの男だった。
その男に一斉に視線が集まるが、男は動じずに生徒たちを掻き分けて前に出てくる。
「ファビアン様のお世話係をしております。ニコラと申します」
ヴィオレットがアメリーを連れるように、ファビアンは部屋に一人世話係を置いている。
そのニコラが部屋を出ることはほとんどない。いつもファビアンにはコームが同行するからだ。
ニコラは警備騎士に視線を合わせるとにこりと笑んだ。
「ファビアン様は護衛騎士と共に部屋を出ましたが、その後すぐにヴィオレット様がいらっしゃいました。ファビアン様は行く先をおっしゃっていなかったので、お部屋にお入れしてお二方にお茶をお出しして待っておりました」
「うそ、何でそんな嘘を言うんですか! そんなはずありません!!」
ニコラの発言にマリエルが発狂するように叫び始める。クロエは呆気にとられていた。
それは当然だろう。ヴィオレットがお茶をするためにファビアンの部屋にいるなどあり得ない。ヴィオレットは確かに教室の中に入り、鍵を閉められて刺されたファビアンと共に教室に閉じ込められたのだから。
間違いないのに証言者が二人も現れる。しかも一人はファビアンの世話係だ。
皆がマリエルとクロエへ冷えた視線を向ける。疑いようのない証言にマリエルは震えながら脱力した。
「ですが、マリエル嬢とクロエ嬢二人でも、ファビアンを刺すのは難しいのではないかしら。ファビアンは剣の腕もありますし、いくら突然襲われたとしても深手を負わせることは難しいでしょう。護衛騎士の姿は見えないのだし、護衛騎士はどこかで倒され、ファビアンも別の誰かに襲われたのでは? 最後にファビアンと一緒にいた者は誰だったのかしら」
ヴィオレットは呟くように囁いた。その言葉にマリエルがハッと顔を上げる。
「そ、そうよ! 私じゃありません! だって、最後にファビアン様と一緒にいたのは、ジル・キュッテルだもの!!」
とうとうマリエルが白状した。真っ青になったのはその隣にいたクロエだ。この騒ぎに集まる生徒たちの中で静かに話を聞いていたジルが大きく眉根を上げる。
ずっと聞いていたのだろう。柱に隠れるようにしていたが、クロエはジルに気付いていた。何度も目配せしてどうすべきか見ていたのだから。
ジル・キュッテルはおとなしめで静かな男だが、総合一位の成績を持つため目立つ存在だ。見た目では分かりづらいが、デキュジ族の出身であることを知っている者もいる。
名を呼ばれて周囲の生徒が弾けるように側を離れた。
「話を聞く必要があるようね。ジル・キュッテル」
「私は存じ上げません。その令嬢は随分と妄想癖があるようです。私がファビアン王子を狙う必要などないでしょう。私はファビアン王子と親しいですから」
「そうね。私もその印象だわ。ファビアンはあなたを気に入っていたし、差別をされる方ではないから」
ヴィオレットの言葉にジルは微かに反応したが、すぐに小さく笑む。
「ありがとうございます。私がファビアン王子を狙おうなどと、ひどい誤解です」
「でも、ファビアンは王子であり、次期王と言われる方。デキュジ族のあなたからすれば憎き相手ではないの?」
「それこそひどい誤解です」
ジルは動じることなく返答する。デキュジ族の中には王族を恨む者は多い。カミーユが王宮でどう対応されているか、見れば悔しさが込み上げるだろう。同族の血を継ぐ者がひどい仕打ちを受けている。
それを知っていれば他の王族に何を思うだろうか。
だからといってジルがそうとは限らないと言いたいが、キュッテル家は周囲から迫害を受けてきた一族だ。
「あなたの祖父が領土を得たことは皆が知っているでしょうけれど、近衛騎士兼専任魔導士を辞したのは理由があると聞いているわ」
ヴィオレットの言葉にジルが少しだけ眉を寄せた。何が言いたいか。ジルは分かっているだろう。
「貴族たちの邪魔は少なくなかったでしょう。影響は大きかったはずだわ。周囲の反応は未だ変わらず、あなたにも影響が続いている」
「何の話をされているのですか?」
「ここで詳しく話す必要があるなら話すわよ?」
皆が聞いている場所でキュッテル家が虐げられた話はされたくないだろう。ジルは屈辱を表に出すことはしなかった。学院では静かでデキュジ族であることを卑屈に思っているような姿は見せていない。
ジルは拳を強く握った。それを話されては王族に恨みがあると分かってしまうからだ。
「ファビアンを殺して得をする者は誰かしらね。残念ながらカミーユ様はそのようなこと望まないわ。あの方はお優しい方だから。けれど、デキュジ族はどう思うのかしら」
「デキュジ族を愚弄されるのですか?」
「デキュジ族の血を継ごうとも、カミーユ様が王になると決まったのならば、私はカミーユ様を支持するわ。デキュジ族もそうでしょう。けれど、一部のデキュジ族はどう喜ぶのかしらね。王族を罵るように喜ぶのかしら。この国はデキュジ族のものだと」
「ラグランジュ令嬢はデキュジ族に恨みでもあるのでしょうか。先ほどから失礼な発言が目立ちます」
「あなたのことを言っているのよ。ジル。私はファビアンが差別をする方ではないと知っている。けれど、カミーユ様に対しては弟であると同時に、デキュジ族の血を引いているため王になるのは難しいと考えていたわ。あなたはそれを知っているのではないの?」
ファビアンはジルに似たような話をしただろう。話すつもりがなくともそんなことを無神経に口にしたかもしれない。
キュッテル家に起こったことをファビアンは知らない。ジルは幼い頃から祖父に起きたことを知っていた。
全てを知っているジルと何も知らないファビアン。ファビアンがジルの逆鱗に触れてもおかしくない。
「何の話か、分かりませんね」
軽く口角を上げたジルの笑い方は凍てつく氷のように冷めていて、ジルには見たことのない笑みだ。
話を黙って聞いていたマリエルをちらりと横目で見て、ヴィオレットは小さく息を吐く。
「あなたの過去を追求するのは私の役目ではないからここでやめておきましょう。マリエル嬢を唆して私を呼び出しファビアン刺殺の犯人にしたてるのは簡単だと思ったようだけれど、どうやってマリエル嬢を納得させたのかしら。ファビアンを傷付けても魔法で何とかするとでも伝えたの? 私が襲い掛かったように幻想を見せるとでも? 傷も軽いもので警備騎士を呼べば問題ない。ファビアンを助けたマリエル嬢をファビアンは感謝し婚約話も進む。そんな文句でも口にしたのかしら?」
ジルは黙ったままだ。マリエルはジルとヴィオレットを交互に見遣り、クロエは蒼白なまま今にもここから逃げ出したそうな顔をしている。
「そんな必要ないわよね。ファビアンを殺し、私に罪を着せればそれで終わり。犯人を見たファビアンが死ねばあなたの仕業であることは知られることがない」
「くだらない妄想ですね」
「そうかしら? あなたはそこのクロエ嬢を使い、マリエル嬢を唆した。私がファビアンを殺した犯人に疑われようが、それが失敗しマリエル嬢が犯人に疑われようが、あなたはどちらでもいいのよ。後でマリエル嬢が何を言っても、証拠など何もないもの。護衛騎士のコームをどうにかし、ファビアンを殺せば、あなたはマリエル嬢に追及されようと逃れられるでしょう。あなたはファビアンと仲が良いものね」
「……、どういうこと……?」
マリエルが震えながら呟いた。




