2① ードレスー
男の名前はアベラルド。
栗毛の短髪にがっしりした体躯で、同じ栗色のパンツと黒のブーツ、白のはち切れそうなシャツを着ている。
三十代くらいでいかつい顔をしており、騎士か何かと勘違いしそうになる体型だが、ラグランジュ家が援助している情報屋である。貴族のことだけでなく街のことや裏社会にも詳しいため、重宝していた。
「従属の、呪い、ですか……」
「正確には従属の魔法ね。主人への忠誠を誓い主人の命令を遂行するための魔法だけれど、それをアレンジしたものだったようだわ。相手に従うというより、相手のことしか考えられなくなるとか」
「婚約者殿に盲目になっているという噂は耳にしていましたが、そんな魔法を掛けられていたのですか!?」
アベラルドはドン、と机を叩き壊す勢いで拳を振り下ろし、怒りをあらわにする。
ヴィオレットも同じように物に当たりたい気分だが、それをしても仕方がない。アベラルドは代わりに怒ってくれて、奥歯を噛み締めると歯軋りした。
「どおりで長くお会いできなかったわけです。学院が始まった頃は社交界の情勢を聞きに来られていたのに。その魔法はまだ残っているのですか!?」
「いいえ、それは解除できたの」
「では、それを掛けた者を調べればよろしいのですね!」
話が早い。ヴィオレットの頷きにアベラルドは指を鳴らして部下たちにすぐ動くよう合図をする。
「ただ、分かっていることは時期くらいしかないわ。あとは従属の魔法が古代の魔法というだけね」
「従属の魔法というのは、聞いたことがないです。その点で調べさせましょう。しかし、どうやって解かれたのですか?」
「学院にいる学生が教えてくれたのよ……」
「何者ですか?」
「それも調べてほしいの」
エディ・バダンテール。同学年でいくつか同じ授業を取っているが、顔を知っている程度で名は彼自身から聞いた。入学して早いうちに呪いに掛かっていたせいで、目立たない生徒を記憶していなかったのだ。
周囲に目を向けることを怠るとは、王子の婚約者として気が抜けすぎている。どこに敵がいるとも限らないのに。
「田舎の出身らしいけれど、知った名ではないわ。学院にある神殿に祈りに行ったら、彼から声を掛けてきたの。私におかしな気配がする。と」
「その言葉を素直に受け取られたのですか??」
「彼はおかしくなっていた私を、とてもうまく誘導したのよ」
エディは神殿で会った男だった。
ファビアンしか目に入らないような状態のヴィオレットは、神頼みをしに神殿へ足繁く通っていた。本来ヴィオレットは神に願うようなタイプではなかったが、呪いのせいで気が弱くなっていたようだ。
神殿に通うヴィオレットに近付くのは容易だっただろう。エディは、熱心に祈るのですね。と、ヴィオレットに声を掛けてきたのだ。
神殿に祈りにくる生徒はあまり多くない。だから目に付いたのかもしれないが、誘導の仕方はとてもうまかった。
神に祈りを捧げて自らの願いを叶えてもらう。そのために精進していることがあると、エディは口にした。
そうすればきっと神は声を聞いてくれるだろう。
呪いに掛かっているヴィオレットが耳を傾けたくなるような話だった。その言葉にヴィオレットは警戒を解いたのだ。
いや、警戒していたのかも疑問だが。
「それから彼は私に、何か妙な魔法が掛けられているのでは、と言ってきたの。婚約者と折りが合わないのは、その魔法のせいではないか? と」
「それは、普段のヴィオレット様なら完全に警戒する誘導の仕方ですね」
「それを私は素直に受け取ったのよ。そんな魔法が掛けられているから、私はファビアンと一緒にいられないのね。って」
「普段は冷静な方が、そのようなことを思われたとなれば、相当ですね……」
アベラルドは眉を寄せた。ヴィオレットの性格上あり得ない考え方だからだ。従属の魔法がどのような影響を及ぼすのか、事の重みを感じるだろう。
ヴィオレットも寒気がする。まともに頭が動いていない。そんな言葉でヴィオレットはエディを部屋に呼んだ。婚約者でもない男を部屋に呼びつける自体あり得ないのだが、ファビアンに関わることだとアメリーに止められても気にせずエディを迎えた。
そしてエディは、アメリーに部屋に入ることを止められると、何とか説得して入り込んだのである。
「ヴィオレットお嬢様がおかしいのは、従属の呪いが掛かっている可能性があって、魔術師にその魔法を消してもらわなければずっとこのままでしょう。と言われて、私も信じざるを得なかったんです。でも、先に旦那様にお伝えすべきだと思ったんですが、お嬢様はその時すぐにでも呪いを消してほしいって懇願していて……」
その時のことは覚えている。アメリーはせめて手紙で父親に確認し、ラグランジュ家の専任魔導士に頼むべきだと何度も言ったが、ヴィオレットは頑として受け付けず、とにかく早く消してくれとエディを頼ったのだ。
そうして魔法が解かれた後、それが呪いだったと知った。
「彼は私を入学当時から知っていて、急にファビアンに付きまとい始めた私を見て驚いたそうよ。それで不思議に思っていたけれど、神殿で会った時に魔法の痕跡に気付いたらしいわ。とても僅かだったようだけれど、あまりに私がおかしすぎるせいで気にしてくれたみたいね」
「気にしたくらいで、魔術師を呼んだのですか? しかも、従属の魔法なんて、聞いたこともない古の魔法を知っているような、力のある魔術師を」
「そうよ。だから、彼も調べてほしいの。私に何か思惑があって魔術師を寄越したのかもしれない。そんな魔術師を知っているのも珍しいでしょう?」
「魔導士かもしれないと言うことですか?」
「その可能性は高いわ」
魔導士とは魔法を使える者の中でもレベルの高い者たちを言う。一般的に魔法を扱える魔術師が国の魔法省の特別な試験を受け魔導士となるが、古の魔法を学べるのは一定のレベルを持っている者たちに限定されていた。
「もちろん、魔法省の試験を受けていない力のある魔術師はいるけれど、古の魔法については禁書になっている。だから、古の魔法を知っている魔術師なんてそうはいないはずよ。魔法省の登録は受けていると思う」
「裏家業としている魔術師は魔導士の登録をしていないでしょうが、禁書を手にできるかどうかは確かに分からないですね」
高位の貴族は専任の魔導士を持っていることが多い。しかし、その中でも古の魔法を知っている魔導士は少ないだろう。禁書は歴史のある貴族が国の許可を得て保管していたり、魔法省が封じていたりするからだ。
それなのに、田舎の出であるエディが古の魔法を知っている魔術師を連れてきた。
無視するには都合が良すぎる。エディの背景は調べる必要があるだろう。
「しかし、それを言ったら、呪いを掛けたのは高位の魔導士ってことになりますよ」
「そうよ。誰が私を狙うのか。少しは想像がつくでしょう?」
次期王の第一継承権を持ったファビアンの婚約者、ヴィオレットが呪われたのは意図的なものだ。
「婚約者殿はそれを嫌がっているのですから、ヴィオレットお嬢様を陥れたい者ですね」
さすが情報屋。ファビアンが王妃を狙うようになったヴィオレットを避けているのは知っているらしい。
そう考えれば、年頃の娘を持った親やファビアンとの婚約を夢見ている者、第一継承権のファビアンと結婚してほしくないと思っている者になる。
「ファビアンは弟のようなものだから、私をファビアンに従順にさせたい者ってのもあり得るかしらとも思ったのだけれど、ファビアンのあの否定っぷりからして、それはないと思うわ。それとは別に従順にさせたい者とか……」
「たとえば、旦那様が、とかですか?」
実の両親が第一継承権になったファビアンとの結婚を進めるために、娘に呪いを掛けた。何せヴィオレットはファビアンに対して塩対応だ。少しはファビアンを立ててほしいと思うだろうか。
「まあ、ないでしょうが」
問いながらアベラルドが否定する。両親の線はないだろうが、ファビアンの周囲の誰かがヴィオレットを従順にさせたいと思ってもおかしくない。
「一応、そちらの線も調べます。ヴィオレットお嬢様に王妃になってほしくない者たちを中心に、魔導士に関われそうな者を調べましょう」
ラグランジュ家は力のある家だ。ここでファビアンと結婚すれば盤石どころか抜きん出ていた権力がさらに増すことになる。警戒する者は多いだろう。
「逆に、ヴィオレットお嬢様をお慕いしてってのはないですよね~。そのエディって男が、ヴィオレットお嬢様に手を差し伸べているように見せかけて」
さすがにそれはないと言いたいが、田舎の出というエディが高位の魔導士を使っているのも気になる。
「それも含めて彼も調べてほしいわ」