11 ー王妃ー
「お久し振りです。本日はお誘いいただき、ありがとうございます」
ヴィオレットは緊張した面持ちでドレスを持ち上げ挨拶をした。王族の前で緊張するのは王かこの人だけだ。
目の前にいる女性、王妃ジュリアンヌ。第一王子ジョナタンの母親だ。
黙っていても威厳のある雰囲気。老いを感じさせない顔。シワも何もないのだから驚いてしまう。そろそろ四十代になるはずだが、美しさはそのままだった。
白金の髪をまとめ、鋭い眼光をこちらに向ける。碧眼の光はくすむことなく輝いていた。少しだけ痩せたか、頬や首が細いように見えた。
ジョナタンの死後、離宮からほとんど出なくなった王妃。悲しみに暮れているだろうと噂されていたが、そのような雰囲気は一切なかった。
「突然呼んで悪かったわね。どうぞ、お座りになって」
威厳があるとはこういうのを言うのだろう。独特の雰囲気、ただそこにいるだけで怖じ気付きそうになる。所作だろうか、座り方だろうか、話し方なのか。かといって嫌味な態度をするわけでもない。
ヴィオレットは静々と頷き席に座る。
突然の呼び出しに、ヴィオレットは少なからず警戒していた。ヴィオレットに近付いたエディと会っている王妃だ。何か思惑がなければ呼んだりしない。
王妃の馬車は学院に止まり、皆が驚いてその馬車を見ていた。王妃の馬車が誰を呼んだのか、興味を引いたことだろう。
「そんなに緊張しないで良いわ。時には話をしたいと思うことがあるのよ。前に会ったのはいつだったかしら。ジョナタンのお葬式かしらね」
あれを会ったと言って良いのだろうか。失意の王妃の前で挨拶をしただけだ。彼女の衝撃はいかほどだったのか、憔悴した顔を今でも覚えている。
「学院に入っていると会う機会が少ないわね。最近は元気にしているの?」
「充実した日々を送らせていただいております」
「もう少し気兼ねなく話して良いのよ。前に比べて随分元気になったのね」
含んだ言い方がヴィオレットに緊張を走らせた。王妃はカップに口を付けて素知らぬふりをする。
「……おかげさまで、元気に過ごしております」
「そう。良い薬が手に入ったのね」
王妃は知っている。ヴィオレットが呪いに掛かっていたことを。その情報をどこから得たと言えば、エディしかいない。
「よい助けを、得られました。今は問題なく過ごせております」
「そう。それは良かったわ。とても心配していたのよ。あなたはファビアン王子の婚約者。何かあっては困るでしょう。そうでなくとも、ラグランジュ家の長女。私もあなたのことは大切に思っているのよ。聡明な子だわ」
「ありがたいお言葉です」
「カミーユも元気で安心したわ」
ヴィオレットはびくりとした。ヴィオレットのことも知っていればカミーユのことももちろん知っている。
「おかしな物でも口にしたのかしらね。お腹を壊した程度で良かったわ。さあ、お茶でも飲んで。良い茶葉を選んだのよ」
「……ありがとうございます」
王妃の素知らぬふり。一体何を話したいのか冷や汗が流れそうだ。ヴィオレットとカミーユを狙った犯人を知っているのか、この流れで王妃はヴィオレットにお茶を飲むように進めた。
王妃が犯人でないと言いたいのだろうか。
口に含んだ紅茶におかしな味はない。カミーユのお茶には苦味があった。無味であれば意味はないのだが、警戒しつつ少しだけ飲み込む。
王妃を疑う理由などないが、突然呼び出して狙われたことを当然知っているという素振りをされれば、ヴィオレットも警戒するしかない。
「カミーユには何もなくて良かったわ。そろそろ学院に戻るそうよ」
「そうですか。それは良かったです」
体調は戻ったのだろうが、今後どうする気なのか。ファビアンのように護衛騎士を付けて歩くようになると、カミーユも複雑な気持ちになることだろう。
「短い期間で戻れて良かったわ。そうでしょう、あなたはとても重かったのにね」
どくん、と心臓が跳ね上がるような気がした。
その言い方は何だ?
ヴィオレットは重かった。魔導士の力がなければ消えない古の魔法。しかも特別な変形魔法だ。
しかし、カミーユは軽い毒。口に含めば味がおかしいと思う程度の、吐き出せる毒だった。
(軽い、軽すぎるの……?)
「ファビアンとは仲良くしているのかしら? 彼の母親はおとなしい人でしょう。王になることを憂えていたわ。ファビアンは器ではないと言って。私は、あなたが妃になれば問題ないと伝えていたのだけれど」
「もったいないお言葉です」
ファビアンとの直近の状態は口にせず、ヴィオレットは礼だけ口にする。
王妃の意図が分からない。一体何が言いたいのか。
王妃とファビアンの母親フロランスは、仲は悪くなかった。フロランスは少し気が弱い人で、ファビアンと同じくファビアンが王になることに驚いていた人だ。ジョナタンが死んで心を病みそうになるほどだった。
ファビアンの母親だけあって、権力に興味がない。王妃によく相談し、王妃はそれをよく助けたという。カミーユの母親についても二人は罵る真似はしなかった。
カミーユの母親は王宮で冷遇されているが、三人でお茶をする姿を時折見ていた。珍しいほどに妃と側室の仲が悪くない。
「あの子が死んでしまった今、ファビアンが王になることを憂えている者は少なくないわ。彼は少し、のんびりしているところがあるから。あなたが一緒ならばとても心強いと思っているのよ。もう少し年が上ならば、息子の相手にと思ったことがあるくらい」
「恐れ多いです」
「時が経ったら、少し実家に戻ろうと思っているの。あなたも一度行ったことがあるでしょう?」
「子供の頃でしたが」
王国同士友好を祈念するパーティに同行したことがある。既にファビアンとの婚約が決まっていたため婚約者として出席した。
「覚えているかしら。私の妹やその子供たちも大勢いて、賑やかで楽しかったわ」
「子供たちで集まりお菓子をかけてカードゲームをしたり、本の読み聞かせなどをした覚えがあります」
王妃には兄姉妹がおり、結婚し子供も多かったため、子供たちで集まって時間を過ごした。まだ歩き始めたばかりの子までいたので、年の近い者とはカードゲームを、小さい子供たちには絵本を読みと、忙しかったのを覚えている。
王妃の妹はホーネリア王の妃で、その子供たちもまぜこぜの大人数だった。
その時にはジョナタンもおり、ホーネリア王国の王子たちが一緒になって剣術もしていた。ファビアンは気後れしてヴィオレットの背に隠れていたが、ジョナタンは優しい面持ちながらもホーネリア王国の王子たちに剣術を教えられる腕前で、王子たちがジョナタンにとても懐いていた。
幸せな時間。懐かしい、戻ることのない思い出だ。
「観光などはできなかったでしょう? 良い国なのよ。良かったらあなたも一緒に行けるといいわね」
「機会がございましたら、ぜひ……」
どっと疲れを感じて、ヴィオレットは茶会を終えると学院へ馬車を走らせた。
「一体、何だったのかしら……。気を付けろとも何とも言われなくて、ただ知っていると言われただけのような」
「犯人について助言をされたとかはないのですか?」
「ないわね。むしろファビアンの側にいろと言われたような気も……」
「王妃様は、ファビアン王子の所業をご存じないのでは!?」
「エディと会っていたら知っているはずだけれど」
アメリーと馬車に乗りながら、王妃の会話を思い出す。
(カミーユ様の毒は軽すぎると言うのならば……)
カミーユを狙ったのは、狙われているように見せただけで、そうではなかったということなのか?
ヴィオレットを狙った者とカミーユを狙った者が同じだと思いがちだが、狙われたのではなくそのための工作だとしたら。
「カミーユ様を狙ったことにより、私を狙った犯人はカミーユ様ではないと印象付けたかったとでも?」
「カミーユ様がヴィオレットお嬢様を狙ったということですか!?」
「そう思ってしまうわよね。でも、それは絶対にないわ」
「私もそう思います。カミーユ様はヴィオレットお嬢様を大切にされている方です! ヴィオレットお嬢様を狙うくらいならファビアン王子を狙うでしょう!」
それはそれでどうかと思うが、とにかく犯人はカミーユではない。
カミーユの周囲にいる者の仕業だろうか。
「カミーユ様を推している貴族は表立っていないから、お父様に聞いてみないと分からないわ」
「カミーユ様を王にするために、ヴィオレット様を狙ったということでしょうか? それならファビアン王子を狙わなければ意味はないのでは?」
「そうなのよね。ラグランジュ家の後ろ盾が邪魔だというのは理解できるのだけれど、それでファビアンが継承権から外れるわけではないもの」
だったら先にファビアンを狙った方がいい。わざわざ危険を冒してヴィオレットが死ねば、さすがのファビアンも警戒するだろう。
「あとは、ホーネリア王国に行くって何かの警告かしら。私に対して危険を知らせているとか?」
「外国に逃げろってことでしょうか? 危険が迫っている理由をご存知なのでは?」
「王妃からの警告であれば、ジョナタン王子の死が事故ではなく暗殺ということになるのよ。でも私を狙う理由が分からないわ。確かに王妃は私がファビアンの側にいれば問題ないと仰っていたけれど」
犯人が、ヴィオレットがファビアンの補佐になることを嫌がっているのならば、やはりファビアンも狙うことになるだろう。それともファビアンを王にして、ラグランジュ家の関わりを無くし、ファビアンを傀儡にでもする気だろうか。
けれどカミーユを殺すふりをする。
「とにかくお父様に連絡しましょう。私が王妃になることを邪魔したいのならば、マリエルの家が怪しいわ。他にも次の婚約者となり得る者たちの家を調査してもらいましょう。マリエルの家はお父様が既に調べているとは思うけれど」
アベラルドもその線は調べている。まだ何も出ていないが。
ファビアンに近付くポアンカレ家の令嬢。それがどこかの貴族に繋がっている可能性もある。それによって、犯人が分かるかもしれない。
王妃の呼び出しは警告だったのか。答えが出ずに疲労したまま学院に戻ると、女子寮がやけに騒がしいのに気付いた。




