マルセルの章 ㊱ 君に伝えたかった言葉
「マルセル…その話、いつ決めたの?あれ程私たちが貴方に医者を目指すよう、何度も説得したのに首を縦に振らなかった貴方が突然に…」
母が驚いた様に俺を見る。
そうだった。子供の頃から俺は両親に医者になるように言われていた。けれど人の生き死にに関わり、責任を負うのが嫌だったのだ。
けれどもアゼリアが余命幾許もない命だと分った時、心の何処かでは自分に医学の知識があれば助けになれたかもしれないと後悔した。そしてカイが医者を目指すと言われた時、心が揺さぶられた。そして医学部への誘い…。
共に同じ女性を愛した俺達は…いわゆる同士だ。ここで今自分の人生を決めなければ一生後悔するし、アゼリアに顔向け出来ないと思ったのだ。
「申し訳ございませ…本当はアゼリアが白血病にかかった時から…後悔していたんです。もし自分が医者だったら…少しは彼女の為に何かしてあげられたのではないかと…。医学部へ進学するお金位なら自分で用意できるので何も問題はありません」
「そう…。別にまだ今から医者を目指すのは別に遅いとは思わないけれどもね…」
元々医学部へ進んでほしかった母は左程反対の素振りを見せなかった。
「でも、やはりあなたは間違えたことをしたわね。その話をイングリット嬢の前でしたのでしょう?」
「は、はい。そうです…」
母は溜息をつき、頭を押さえると言った。
「いい?恐らくイングリットさんから見れば今夜はプロポーズされる日だと思っていたに違いないわ。大事な話があるだとか、そんなムードの良い店に連れていかれれば尚更ね。しかも両親は結婚の話で盛り上がっていたし、イングリットさんだってお前に好意を寄せていたのよ?それがいきなり彼女の前で『キーナ』の医学部を目指す話をするなんて…彼女からしてみれば自分を捨てて医者になる道を選んだと思われても当然でしょう?」
「な、何ですってっ?!お、俺がイングリット嬢を捨てたっ?!そんな…交際だってしていないのにっ?!」
驚きのあまり席を立ってしまった。
「落ち着きなさい、マルセル。まずは席に座りなさい」
「は、はい…」
ソファに腰かけると再び母が言った。
「大体、2人だけでカフェに行ったり、事情は分からないけれど…イングリットさんがバーで絡まれている時に彼女の恋人だと言って、助けてあげた後に2人でその後お酒も飲んで…さらに送り届けてあげたでしょう?
「確かに…。ただ、あの時は酔っ払いから彼女を助ける為に咄嗟に恋人と言っただけです」
「それだけじゃないわ。イングリットさんの両親が我が家にやって来て、3人で帰るときだって、貴方はこう言ったのよ?近い内にずまた会いましょう。2人きりで大切な話がしたいと。誰だってそんな事を言われればデートの誘いと思うじゃないの」
そうだった。あの時、俺はオルグレイン伯爵からデートの誘いだと勘違いされてしまった。
「挙句に今夜ムードのあるレストランに誘って大事な話があると言われれば、もうこれはプロポーズの話しだと思われても無理はないわね。それなのに貴方は彼女に何の相談も無しに、いきなり『キーナ』へ行くと決めるなんて…あの国がとても遠いのは知っているでしょう?汽車を乗り継ぎ、丸1日はかかる場所よ?だからウォルターは今あの国に仮住まいしているのでしょう?」
「はい…そうです…」
もう返す言葉も無かった。母はそんな俺を見て再度ため息をつくと言った。
「全く…イングリットさんに同情するわ。取りあえず、マルセルにとっては結婚の話が無くなったのは不幸中の幸いだったかもしれないけれどオルグレイン家では大層ご立腹よ。イングリットさんだって傷つけて…。医者を目指すのは結構だけど、まずはきちんと謝罪をするべきよ。もう行きなさい。はぁ~。何だか頭が痛くなってしまったわ…」
母は頭を押さえながら俺を見る。
「はい…『キーナ』へ行く前に…謝罪に行きます。申し訳ございませんでした」
「謝るなら…オルグレイン家の人々に謝りなさい」
「分りました…では失礼します」
ソファから立ち上がり、頭を下げると部屋を出た。
パタン…
扉を閉めると廊下の壁に寄りかかり、頭を押さえた。
困った。ますます面倒な事になってしまった。
「何て事だ…」
俺は深いため息をついた―。