マルセルの章 ㉚ 君に伝えたかった言葉
「このお店ですよ」
到着した店はオレンジ色のレンガ造りの外壁の店だった。入り口にはランタンが取り付けてある。
「まぁ、お洒落な外観の建物ですね」
イングリット嬢は満足気に言う。
「良かった。気にいって頂けて。それでは早速中へ入りましょう」
扉を開けて2人で店内へと入っていく。中へ入るとピアノの生演奏が行われていた。板張りの床に丸いテーブル席が並べられ、かなりのお客で賑わっている。
「ピアノの演奏が聴けるお店なんて素敵ですね」
ピアノを弾いている女性を見ながらイングリット嬢が言う。
「ええ、そうですね」
良かった…店内も気に入ってくれたようだ。
するとそこへウェイターが現れて声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。2名様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうです」
「ではこちらのお席へどうぞ」
ウェイターに案内された席は店の中央付近に置かれた3人掛けの丸テーブル席だった。テーブルには真っ白なテーブルクロスが敷かれ、キャンドルライトがユラユラと揺らめいている。
「すごくムードがあってお洒落なお店ですわね」
イングリット嬢はこの店がだいぶ気に入ったようだ。
「そうですか?お気に召して頂き、光栄です。では料理を注文しましょう。どうぞ」
イングリット嬢にメニューを差し出す。
「そうですね…」
真剣な表情でメニューを眺めるイングリット嬢の様子をうかがうと、俺もメニューを眺めた。
「…よし、これにするか。牛フィレステーキセットを頼む事にしました。イングリット嬢は何になさいますか?」
「そうですね…では私はビーフシチューにしますわ」
「分りました。では注文しましょう」
手を上げてウェイターにそれぞれのメニューを注文し、食前酒の赤ワインを頼んだ。ウェイターが去るとすぐにイングリット嬢が話しかけて来た。
「マルセル様は素敵なお店をご存じなのですね。何回かいらした事があるのですか?」
「いいえ、貴女と来るのが初めてですよ」
「まぁ、そうだったのですか?」
「ええ、一度は来てみたいと思っていたのですが…良かったです。貴女をお誘いして。気にいって頂けたようですので」
そうだ。今から大事な話をするのだから雰囲気作りは大事だ。イングリット嬢の両親はかなり気難しそうだから友好的なムードで誤解を解き、結婚の話は無かったことにする為にはどのように話を進めれば良いのかを2人で話し合わなければならないのだから。
「まぁ…マルセル様は本当にお上手ですのね?」
イングリット嬢が頬を染めて俺を見ている…気がする。
そこへ…。
「お待たせ致しました」
ウェイターがワイングラスにワインを持って現れた。そしてグラスを置くとワインをトクトクとグラスに注ぎいれる。
「ごゆっくりどうぞ」
頭を下げて去ってゆくウェイターを見送ると俺は言った。
「イングリット嬢、それでは乾杯しましょう。グラスをお持ち下さい」
「ええ」
素直にグラスを持つイングリット嬢。
「では乾杯しましょうか?」
「ええ。…ですが何に乾杯致しますの?」
「そうですね…。では、こうしましょう。2人の輝かしい未来の為に」
彼女の両親の誤解を解き、2人の結婚話は無かったことにする。そしてイングリット嬢も俺も煩わしい話から解放される事を祈っての乾杯だ。
「えっ?!ふ、2人の輝かしい未来の為に…ですか?!」
何故かイングリット嬢の顔が真っ赤に染まる。
「ええ、そうですが?」
「わ、分りましたわ…」
「それでは乾杯しましょう」
「はい…」
「「乾杯」」
俺とイングリット嬢はグラスを合わせた―。