マルセルの章 ㉗ 君に伝えたかった言葉
何とかしてくれっ!イングリット嬢っ!君の両親が勝手に盛り上がってるぞっ?!
俺は必死になってイングリット嬢に目で訴えた。するとイングリット嬢はコクリと小さく頷く。
ひょっとして…俺の気持ちが通じたのかっ?!
「あの、お父様、お母様…それにマルセル様のお母様。少し私からお話宜しいでしょうか?」
イングリット嬢が口を開いた。
「ああ、言ってみなさい」
レイモンド氏が笑みを浮かべてイングリット嬢を見る。
「確かに、マルセル様はバーで私の事を『恋人』とおっしゃいましたけど…まだ私達は友達以上、恋人未満という関係なのです」
え?一体彼女は何を言い出すんだ?
「え?そうだったの?」
夫人が怪訝そうにイングリット嬢を見る。
「はい。何しろ私はブライアンと婚約解消したばかりで、まだ気持ちの整理もついておりませんし…いきなり結婚話なんて飛躍し過ぎだとは思いませんか?」
イングリット嬢はお茶を濁すつもりで話しているかもしれないが…そんな言い方では人によっては違う意味合いで取られてしまうのではないだろうか?
そして…俺の嫌な予感は的中する。
「うむ…確かにそうだな。少し我々は焦りすぎたかもしれん。ブライアンの顔も立てなければならないし…よし、分かった。では今後も2人は交際を続け…然るべきときが来たら結婚すれば良いだろう。ではまず仮婚約だけでも結んでおいたほうが良いな?」
「えっ?!仮婚約っ?!」
その言葉に思わず背筋が寒くなる。
「何だ?仮婚約では…不満かね?」
ジロリとこちらを見るレイモンド氏。まるで『逃げるつもりか?』と問われているような錯覚に陥ってしまう。
「はい、お父様。とりあえず仮婚約と言う形で…今は私とマルセル様をそっと見守って頂けないでしょうか?お願いします。いいですよね?マルセル様」
何故かイングリット嬢は俺に目配せしながら言う。
た、確かに…この場を逃げきるには今はこの形を取るのが最善のように思える。
「は、はい…。私からも宜しくおねがいします」
そして渋々頭を下げた―。
****
22時―
俺たちは全員で屋敷の外に出ていた。オルグレン親子の背後には馬車が既に待機している。
「いや〜…それにしても有意義な時間を過ごすことが出来ました」
レイモンド氏は上機嫌だった。
「ええ、そうね。やはりハイム家に思い切ってお訪ねして良かったわ」
夫人も満足そうだった。イングリット嬢も笑みを浮かべている。
だが、俺はそうはいかない。まずい、非常にまずい…このままでは有耶無耶の内に流されて、結婚まで話を持っていかれそうだ。
きっと…イングリット嬢だって困っているに違いない。やはりイングリット譲と2人切りでじっくり話をする必要がある。
「イングリット嬢」
俺は真剣な眼差しでイングリット嬢を見た。
「は、はい」
「近い内に…必ずまた会いましょう。2人きりで…大切な話がしたいので」
「…分かりました…」
イングリット嬢は返事をした。
「おお…早速デートの申込みか」
レイモンド氏が笑みを浮かべた。
「えっ?!」
デ、デートッ?!
「嫌ですわ、お父様。からかわないで下さい」
イングリット嬢が言う。
「ええ、そうですよ。2人の事に首を突っ込むものではありません」
夫人の言葉に安堵した次の瞬間…。
「マルセル様。くれぐれもイングリットを宜しくお願いしますね?」
「は、はい…分かりました」
宜しく?宜しくって…どういう意味なんだ?
俺の背中から冷や汗が流れた。
「…」
母は先程から無言で俺を見つめているが…その視線が痛かった。
「それでは我々はこれで失礼しよう」
「ええ、そうですね」
夫妻は俺と母に挨拶してきた。
「マルセル様…ごきげんよう…」
イングリット嬢が俺を上目遣いに見た。
「え、ええ…また」
そして3人は馬車に乗って帰って行った…。
「マルセル」
馬車が走り去っていくと母が背後から声を掛けてきた。
「は、はい!」
恐る恐る母を振り返る。
「まぁ…マルセルがそれでいいなら…私からは何も言うことはないけれど…」
「…」
「せいぜい頑張りなさい。どんな結果になっても、貴方が決めることだから」
「母さん…」
「今夜は冷えるわね…中に入りましょう」
両肩を抱きかかえながら母が屋敷の中へと入って行く。
「…困ったことになった…」
夜空を見上げながら思わずポツリと呟いた―。