マルセルの章 ⑲ 君に伝えたかった言葉
「いえ、恋仲というわけではありません。本当にただの知り合い同士なのです」
このままではまずい!イングリット嬢の両親から娘を誘惑する男と思われてはたまらない。
「知り合い…?どのような知り合いなのか詳しく話して頂けますかな?」
レイモンド氏が眼光鋭く尋ねてくる。…何という迫力なんだ…。ゴクリと息を飲むと俺は慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「実は…御令嬢の婚約者の男性は…私の会社の上司に当たる男性なのです…」
「何だってっ?!」
「まぁ!」
「私と御令嬢が初めてお会いしたのは本当に偶然でした。元婚約者が重い病気で診療所に入院しておりまして…面会に行った際に、偶然ベンジャミン氏といらしたのです。彼は元婚約者の昔からの知り合いだったものですから」
俺の言葉に憤慨したようにレイモンド氏が唸る。
「ベンジャミン…ッ!あの若造めっ!婚約者のいるイングリットを誘惑しおって…!」
「その名前を聞くだけで不愉快になってきますわ」
ジョセフィーヌ夫人はハンカチで口元を押さえた。
ま、まずい…。ひょっとするとこの2人の前では彼の事は口にしては行けなかったのだろうか…?
背中を嫌な汗が伝う。
「それで?続きを話してくれ」
明らかに不機嫌そうにレイモンド氏が話を促した。
「え、ええ…。その時に御令嬢のお名前を伺って…初めて知ったのです。私の上司…ブライアンの婚約者であるという事が…」
「なる程、そこで君とイングリットは知り合って…娘を誘惑したのだな?」
「はっ?!」
一体レイモンド氏は何を言っているのだろう?
「イングリットは年齢が離れたブライアンとの結婚を嫌がっていましたもの…娘の相談相手になっている内に…お互いの間に恋愛感情が生まれたのね?」
憤慨するレイモンド氏とは正反対に何故かジョセフィーヌ夫人は嬉しそうに話す。
「い、いえ。ですからそれは誤解です。そこで顔見知りになったというだけで、誘惑もしておりませんし、ましてや恋愛感情等…」
そこまで言いかけて俺は口を閉ざした。何故ならレイモンド氏は恐ろしい目で睨みつけていたからだ。
「実は昨日ブライアンが我が屋敷を訪れて、言ったのだよ。婚約解消させて欲しいと。結婚相手は年齢が近い者同士のほうが話も合うはずでしょうと話していた。同じ職場の青年の話で目が覚めたらしいが…君の事なのだろう?職場の青年というのは?」
「そ、それは彼の誤解です!私は御令嬢にブライアンと婚約を破棄したいから協力して欲しいと言われたのです。しかし、ブライアンは私にとって大切な上司です。私の様に婚約破棄をしてもらいたくなかったので、2人の橋渡しをしようと思い、ブライアンに協力する為に彼に話を…!」
「その話を…我々が信用するとでも思っていたのかね?」
ますますレイモンド氏の機嫌が悪くなってくる。だ、駄目だ…話せば話すほど誤解を招いている気がする…。
するとそこへジョセフィーヌ夫人が口を挟んできた。
「まぁまぁ、貴方。そうカリカリせずに落ち着いてくださいな」
「御夫人…」
良かった…彼女は俺の味方をしてくれようとしている。
「ブライアンとの話は残念でしたけど…この方はお若いし、イングリットと左程年齢も変わらなそうじゃないですか?それに…確かハイム家といえば名門の伯爵家ですよ」
「うむ…確かにそうだな。お互い婚約を解消した者同士だし…特に問題は無いかもしれんが…」
え?
ちょっと待ってくれ。
話が…おかしな方向へいっていないか…?
ひょっとすると…いつの間にか後戻り出来ないところまで足を踏み込んでしまったのかもしれない。
言いようのない嫌な予感を俺は感じざるを得なかった―。