マルセルの章 ⑯ 君に伝えたかった言葉
ボックス席に座るとイングリット嬢に尋ねた。
「それで、何をお飲みになるのですか?」
「…シャンパンを飲みたいです」
「甘口と辛口がありますけど…どうされますか?」
「では甘口で」
「分かりました」
するとイングリット嬢が尋ねてきた。
「マルセル様は何を頼まれるのですか?」
「俺はウィスキーにしますよ」
そこでサッと手を上げるとすぐにウェイターがやってきた。
「ウィスキーをロックで一つ、そしてこちらのレディには…」
するとイングリット嬢が言った。
「私もウィスキーをロックでお願い致します」
「え?」
何を言っているんだ?しかし…。
「かしこまりました」
ウェイターは頭を下げるとすぐに去ってしまった。
「一体何を考えているのです?あのアルコールはすごく度数が高いのですよ?貴女に飲めるはず無いでしょう?」
「いいではありませんか。同じお酒を飲んでみたかったのですから。それとも何ですか?女性には度数の高いお酒を飲むことにマルセル様は偏見の目を持ってらっしゃるのですか?」
「い、いえ。別にそういうわけでは…」
「なら私が何を飲もうが口出しなさらないで下さい」
イングリット嬢は何が気に入らないのか腕組みするとそっぽを向いた。全く…扱いづらい女性だ…。
俺は心の中でため息を付いた。
「マルセル様は相変わらず飲み歩いていらっしゃるのですね」
イングリット嬢は相変わらず言いたいことをずけずけと言ってくる。
「ええ、そうですね。ところで何故こんな場所に1人で来たのですか?しかも家出とは…箱入り娘の貴族女性のする事ではありませんね」
するとイングリット嬢はムッとした様子で言う。
「誰が箱入り娘ですの?こう見えても私は職業婦人なのですよ」
「え?貴女がですか?」
あまりにも意外だ。
「ええ、私は週に4回タイピストとして出版社で働いておりますのよ。…尤も父からは仕事をやめて早く花嫁修業をするように言われておりましたけど…」
そこで何故か言葉を切る。
「…イングリット嬢?」
声を掛けたその時―。
「お待たせ致しました」
2人の前にウェイターがウィスキーを運んできた。そして目の前に置く。
「ごゆっくりどうぞ」
頭を下げてウェイターが去るとイングリット嬢がウィスキーのグラスを持ち、俺に言った。
「マルセル様、まずは乾杯しませんか?」
「え、ええ。ですが…このアルコールは度数が強いので1杯だけにして下さいよ?」
イングリット嬢に念を押す。
「分かっておりますわ。それでは乾杯しましょう」
「ええ…」
「「乾杯」」
俺とイングリット嬢はグラスを鳴らした―。
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「それで…何故家出したか話して頂けますか?」
向かい合わせに座るイングリット嬢に尋ねた。
「その前にまずはマルセル様にお礼を言わせて下さい」
突然の言葉に驚いた。
「え…?お礼ですか…?」
「ええ。そうです。実は昨日ブライアンが家に来たのですが…彼の方から婚約を解消してもらいたいと申し出てきたのですよ?これも全てマルセル様のお陰です。本当にありがとうございました」
「な、何ですって…?」
嬉しそうに笑みを浮かべてお礼を述べてくるイングリット嬢の言葉に耳を疑った―。