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マルセルの章 ⑮ 君に伝えたかった言葉

 あの声は…?


「1人でこんな所へ飲みに来てるんだ?男を釣りに来たんだろう?」


下卑た男の声がホールの奥で聞こえる。


「違いますっ!お酒が飲みたかったからですっ!」


間違いない!あの声は彼女だ。


「いいから、一緒に飲もうぜ」


「やめて下さいっ!」


俺は立ち上がって、騒ぎの中心へと向かった。それにしても誰も止めに入らないなんて…巻き込まれるのは御免だと思ったのだろうが、見守るだけ。これではあまりに酷い。人混みをかき分けて進むと、やはりそこにいたのはイングリット嬢だった。淡いクリーム色のデイドレスを着た彼女は、スーツ姿の男性に腕を掴まれている。下品な声に聞こえた割に男の身なりが良いことに驚いた。だが、男は怯えて嫌がるイングリット嬢の腕を強く握りしめている。その行動はとても紳士とは思えなかった。


「おい、何をしているんだ?」


俺は乱暴に男の肩を掴んだ。


「マルセル様っ!」


怯えているイングリット嬢の目に安堵の表情が浮かぶ。


「何だ…?誰だ?お前は」


男はかなり酔っているらしく、身体からアルコール臭が出ていた。


「それはこちらの台詞だ。彼女は俺の恋人だ。2人でここで待ち合わせをしていたんだ。それなのに…あんたは人の女に手を出すつもりか?」


「!」


恋人…その言葉にイングリット嬢が息を飲む気配を感じた。


「…くっ!」


男はものすごい目で睨みつけてきたが…俺の来ているスーツを見て、貴族だと判断したのだろう。


「何だよ…1人で来ていると思っていたのに紛らわしい…!」


吐き捨てるように言うと、周囲から注目を浴びていたことが恥ずかしくなったのか、逃げるように店を出ていく。その様子を見届けた野次馬達は去っていき…今は誰1人俺とイングリット嬢に注意を払う者はいない。


「…大丈夫ですか?」


「は、はい…あ、あの…ありがとう…ございます…」


イングリット嬢は余程怖かったのだろう。自分の両肩を抱きかかえ、小刻みに身体を震わせている。そんな彼女を見ながら言った。


「まさかとは思いますが…1人で来店したのですか?」


「…そうです」


俺は頭を抱えたくなった。ここは町中の繁華街にあるバーだ。平民女性ならまだしも…伯爵令嬢が1人で入るような店ではない。早い所家に帰した方がよさそうだ。


「送りますよ…帰りましょう」


しかし、イングリット嬢は首を振る。


「い、嫌です…」


「え?」


「私…帰りたくありません!家出してきたのですからっ!ここで…お酒を飲むと決めているのですからっ!」


「い、家出…?」


あまりの言葉に呆然となる。イングリット嬢を見ると、下唇をグッと噛みしめ…何かを堪えているようにも見えた。

これは…落ち着いて話をする必要があるかもしれない…。


「分かりました…。どうしてもここでお酒を飲みたいと仰るのなら、1人で飲むのは危ないです。俺も少しだけ付き合いますよ。向こうにボックス席があるんです。そこは落ち着いて話が出来ます。…どうですか?」


「…はい。お願いします」


イングリット嬢が頷いたので、俺は彼女を連れてボックス席へと移動した―。


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