ライラのクッキーリベンジ1
新築のアルメーラ家の隣に、立派な精霊神聖堂が建てられて少し経った頃。異空間から開放されたシーグヴァルドが、精霊神聖堂へと移り住むこととなった。
なぜ、捕虜のはずの彼が精霊神聖堂に住むことになったかというと、理由は単純なもので。彼のわがままのせいで王宮が持て余していたからだ。
捕虜と言えども、彼は皇族。そのため、賓客用の宮殿にて幽閉していたが、彼のわがままに付き合いきれなくなった使用人達が、次々と辞める事態に。
困り果てた国王は、「夫婦は一緒にいるべきだ」と理由をつけ、あろうことか自分の息子の妻であるオルガに、シーグヴァルドを押し付けてしまう。
オルガはこの国でアウリスと結婚し、帝国でシーグヴァルドとも結婚した。どちらとも離婚手続きをしていないため、重婚状態。
しかし、この国では一妻多夫制が認められていないので、当然アウリスとの結婚しか有効ではないと思っていたオルガは、さすがに困惑した。
「エリアスの教育に悪いから」と一緒に住むことを拒否したので、シーグヴァルドは精霊神聖堂預かりとなった。
オルガはアルメーラ家に戻って少し経った頃、「これからは、エリに全ての愛情を注ぐことにいたしますわ!」とライラに話してくれた。
当時は何もかもが嫌になり、夫や息子から逃げ出すようにして国を出てしまったけれど、再会したエリアスが大喜びで懐いてくれたことで、彼女の心は大いに動かされたようだ。
これまでの償いも含めて、「これからは大切にしたい」とエリアスをなでた彼女の顔は、母親そのものであり。これからの甥は、本当の愛情を受けて育つことができると、ライラは安心をした。
そんな事情で、ここよろくシーグヴァルドを引き受けたライラとノア。
今日はシーグヴァルドを歓迎する意味を込めて、「お菓子を作りたい」とライラは張り切っていた。
「お菓子作り初心者なら、まずはクッキーかしらね」
「よろしくお願いいたしますわ、オルガお義姉様!」
完成して間もない精霊神聖堂のキッチンは最新の設備が整っているので、ライラはわくわくしていた。
前回お菓子を作ったのはライラが十二歳の頃だが、あの時は歴史ある公爵邸のキッチンで作ったので、きっとオーブンの調子が悪かったのだろう。
そうでなければ、料理長に教わったのに黒焦げになるはずがない。焼き加減で料理長と揉めたような気もするけれど、十年くらい前の出来事なのでライラはよく思い出せない。
「まずは、生地作りから説明するわね」
オルガに手取り足取り教えてもらいながら、生地作りを始めたライラ。少しづつ昔を思い出しながら、オルガの指示どおりに進めていく。
作業台の横ではエリアスが、クッキー型を握りしめて自分の出番を心待ちにしながら、成り行きを見守っていた。
「あら、意外と上手にできたわね」
完成したクッキー生地をつまんで、硬さや混ざり具合を確認したオルガは、首を傾げた。
ライラからは以前に失敗した経験があると聞いていたので、不器用なのだと思っていたがそうでもなかったようだ。
「きっと、お義姉様のご指導が良いのですわ」
「ふふ、確かにそうかもしれないわね」
クッキー生地はレシピ通りに材料を計り、順番を間違えずに混ぜ合わせれば、失敗することなどあまりない。
前回は指導した人物が、どこかで間違えたのだろうとオルガは納得した。
「クッキーに何か混ぜたいなら、ここで混ぜると良いわ」
予め用意しておいたクルミやチョコチップ、ライラの好きな乾燥イチゴなどをオルガが並べると、ライラは瞳を輝かせてそれを眺めた。
前回はプレーンなクッキーを作ったので、味に変化をつけられるだけで本職にでもなったような気分にさせてくれる。
「ママ、チョコたべたい!」
つまみ食いを所望する息子に、オルガは迷わずチョコチップを口に入れてやる。愛情を注ぐと宣言していた通り、エリアスには甘いようだ。
「ライラはどれにしますの?」
「わたくし、皆様のお好きなものを全て入れたいですわ」
「皆様の? それも斬新で良いかもしれないわね。精霊神様は何がお好きなのかしら?」
単純に、神の好みが気になったオルガがそう尋ねてみると、ライラは少し考えるそぶりを見せた。
「ノア様はお食事を必要としないけれど、草の精霊なのでカモミールティーなどを喜んで飲んでくださいますわ」
「それなら、カモミールティーの茶葉を混ぜたら良いわ」
「わぁ! おしゃれですわお義姉様!」
さすが料理上手は発想が違うと、ライラは羨望の眼差しをオルガに向ける。
オルガが用意してくれたカモミールティーの茶葉を、包丁で軽く刻んでからクッキー生地に混ぜ込んだライラは、次にクルミが入った器に手をかけた。
「オリヴェル様は、ナッツがお好きですの。それから、シグは甘いものがお好きなので、チョコチップが良いと思いますわ。イチゴは、お義姉様とエリも好きですわよね」
用意した材料を、全種類混ぜようとするライラにオルガは少し驚いたが、そこまでひどい味にはならないだろうと任せることにした。
そしてふと、自分の旦那の好みを知らないことに気がついたオルガは、「アウリス様は何がお好きですの?」と尋ねる。
「アウリス様は――」
ライラは辺りをきょろきょろと見回してから、調味料が納められている戸棚へと駆け寄った。
戸棚の中から何かの瓶を取り出したライラは、嬉しそうに戻ってくる。
「アウリス様は、辛いものがお好きですの」
「ちょっと……、ライラ!」
あれは確か、アウリスが外国から輸入したもの。エリアスが誤食しては困ると思ったオルガが、「エリが触れない場所に、隠してくださいませ!」と男爵家のキッチンから追い出した記憶がある。
オルガは慌てて止めようとするも、ライラは瓶の蓋を開けてクッキー生地に振りかけてしまう。唐辛子の粉末を。
クッキー生地が、イチゴのごとく真っ赤に染まる。
辺りには辛い香りが立ち込め、オルガとエリアスは同時に顔をしかめた。離れていた期間が長くても、親子の動作は似ることがあるようだ。
「……わたくしのは、エリ用に作ろうと思いますわ」
「……うん。ぼく、ママのがたべたい」
全てを見なかったことにしたオルガは、黙々とエリアスにクッキーの型抜きをさせ始めるのだった。
どうせライラのクッキーを食べるのは、自分と息子ではないので大丈夫だと思いながら。





