91 ノアの結界8
「アウリス様、何をしておりますの! あちらは危険ですわ!」
暴れるオルガをがっちりと押さえこんでいるアウリスは、上空へと顔を上げた。
(約束したのに……)
アウリスが何をしようとしているのか察したライラは、心が苦しくなる。
それなのにアウリスは、かつてライラに向けていたような優しい笑みを浮かべた。
「ライラー! 愛してるー!!」
別れの挨拶のように手を振ったアウリスは、そのままオルガを連れて異空間へと飛び込んでしまう。
(アウリス様……、記憶が……)
彼は全てを思い出した上で、この世界との別れを選んだ。
そう理解したライラは、無力感に襲われて何も考えられなくなってしまった。
しかしその直後、ノアは舌打ちをする。
「オルガのやつ……、こんな時だけ俺に祈るのか……」
「……え?」
閉じかけている異空間の入り口にツタが二本入り込んだかと思うと。
入り口が閉じる寸前――、ツタに絡めとられたオルガとアウリスが、異空間から引き出されて地面に転がされた。
「ノア様……。助けてくださいましたのね」
「オルガが助けを求めたのでな。あいつも一応は、ユリウスの子孫だ……」
「アウリス様も助けを……?」
「一緒に助けろと、オルガが要求してきた。一応はまだ、アウリスを夫だと思っているようだな」
先ほどまで、話す余裕もないほど力を使っていたノア。オルガに助けを求められて、余計に疲労してしまったように顔色が悪い。
けれど、そこまでするほどユリウス王子の子孫達を大切に思い、願いを平等に叶えてくれるようだ。
そんな優しいノアが、ライラは好きだ。
愛おしさがこみ上げてきて、ノアの首に抱きつく。
「ありがとうございます、ノア様」
「あぁ。今ので、一気に回復された」
ノアと共に地上へ降り立つと、オルガは地面に座り込んでわんわんと泣いていた。
アウリスはそんなオルガに寄りそうでもなく、向かい側に座ったままで困ったように見つめている。
「わたくしを道連れに死のうとするなんて、アウリス様ひどいですわぁ~!」
「……ごめんね。ライラにこれ以上は、迷惑をかけられないと思って……」
二人の元へ駆け寄ろうとしたライラだったが、そんな雰囲気ではなさそうな気がして、ノアと共に二人を見守ることにした。
「いつもライラ、ライラって! わたくしを見てくれたことなんて一度もないんだからっ!」
「ごめん……」
「そうやって、いつも謝ってばかり! 一度くらいは本音を言ってみたらいかがですの!」
アウリスに愚痴る間に、オルガの涙は止まったようだ。その代わりに今度は、夫への不満が爆発したようにアウリスへ詰め寄る。
するとアウリスは、全てがどうでも良くなったように、空を見上げながら笑い出した。
「……何がおかしいのよ」
「君も変わっているよね。俺は、ライラ以外はどうでもいいと思っている最低なやつだよ。こんな俺のどこが良いの?」
(こんなアウリス様を見るのは、初めてだわ……)
彼の意外な雰囲気にライラは少し驚いていると、オルガもなぜか笑い出す。
「やっと本音を言ってくださいましたわね。わたくしだって、別にアウリス様が好きだったわけではございませんわ。物語のように王子と結婚して、幸せで贅沢な暮らしがしたかっただけですもの」
雰囲気が柔らかくなったオルガは、まるで熱心にライラを見舞ってくれていた頃に戻ったようだ。
「最低な者同士、俺達は意外と似合いの夫婦だったのかもしれないね。けれど残念ながら、俺の元へ戻ってきても以前のように贅沢な暮らしはもうできないよ。公爵邸は崩壊してしまったし、俺はここへ来る前に公爵位を返上してきたんだ」
「わたくしはもう、地位なんてこりごりですわ。戦場にまで引っ張り出されて、危うく死ぬところでしたもの。わたくしはこう見えて、質素な暮らしには慣れておりますのよ。アウリス様が住む場所を提供してくださるのでしたら、食事くらい作ってさしあげますわ」
それを聞いて、アウリスは小さく笑みを浮かべる。
「君にも一つくらいは、ライラに勝ることがあったんだね」
(うっ……)
ライラは、一度だけアウリスに手作りしたことがある、真っ黒こげのクッキーを思い出す。
公爵邸で何不自由なく育ち、ノアと暮らしてからも離宮でお世話になりっぱなしのライラは料理が苦手だ。
一人だけ気まずくなっていると、ノアが「言われているぞ」とわざわざ耳打ちしてくる。
ついにライラも、料理を覚えなければならない日が来たのかもしれない。
けれど、今さら使用人に教わるのは恥ずかしい。オルガなら教えてくれるだろうかと、ライラは彼女に視線を向けた。
オルガは褒められたのが嬉しかったのか、少し顔を赤くしている。
「けれど俺はこれからも、ライラしか好きになれないよ?」
「ふんっ! そんなの初めから、わかっていたことですわ。わたくしは帰る家が欲しいだけですの!」
「なら帰っておいで。エリアスが喜ぶ」





