88 ノアの結界5
それに加えて、オルガの姿も。
他の者達は馬に騎乗しているけれど、オルガは荷馬車を改造したように見受けられる豪華な乗り物に乗っている。
玉座に勝るとも劣らない派手な椅子に腰かけている彼女は、この国では考えられないほど露出度の高い鎧を身にまとっていた。
「皇太子妃は、あのような鎧をまとわなければなりませんの……? わたくし、シグと結婚しなくて良かったと今、身にしみて感じておりますわ……」
「兵士の士気を上げるためなのだろう。ライラでは、その役目を果たせそうにないな」
ノアは可哀そうなものを見るような目で、ライラ胸元に視線を送る。それに気がついたライラは慌てて、胸元を手で隠した。
オルガと一緒に住んでいた頃はどちらも大差なかったのに、成長しないこの身体が恨めしい。
「ノア様は、オルガお義姉様のような方がお好みでしたのね! 従者でありながら、目の保養としての役目も果たせず大変失礼いたしましたわ!」
「待てライラ、何を怒っているんだ! 俺にはそもそも、士気を上げる必要などないだろう」
「可哀そうな視線を向けたのは、ノア様ですわ!」
「それは誤解だ! 俺がもう少し種を渡すのを遅らせれば、ライラも自信を持つことができただろうと……」
「やはり、可哀そうだと思っているではありませんの!」
「いや、ちがっ……」
地上からは、ライラが一人で騒いでいるようにしか見えない。オルガはこてりと首を傾げた。
「ライラは空中に浮かびながら、何をしているのかしら」
「はぁ……。貴女は本当に何も知らないね。あの光は精霊神。帝国人ですら知っている常識だよ?」
いつものようにシーグヴァルドから呆れられて、オルガは「ふんっ!」と視線をそらす。
そんな妻の様子を気に留める様子もなく、シーグヴァルドは再びライラを見上げた。
「ライラ! 久しぶり。こんなところで、会えるとは思わなかった」
「シグ……、お久しぶりですわ」
シーグヴァルド本人に会えたことは嬉しく思いたいけれど、彼はこの国を攻めにきた帝国軍。
これからも彼と会い続ければ皇帝をなだめてくれると、約束してくれたのに……。
敵国の人間とはわかりあえないのだろうかと思っているうちに、ライラとノアは地上に降り立った。
それを確認したシーグヴァルドはライラの方へ向かおうとしたけれど、アウリスがそれを阻止するように馬で進み出る。
「今回の戦に、精霊神様は無関係です。戦の掟をお守りください」
この大陸では、戦の前に様々な掟が話し合いによって決められる。今はその最中だったようだ。
実に悠長な話だが、これが長年続けられてきたこの大陸の習わし。
きっとアウリスは近隣の村を守るために、戦と無関係な者には近づかないとでも取り決めたのだろう。
賓客としてこの国を訪れた際のシーグヴァルドは、わがまま放題に振る舞っていたけれど、掟を破るつもりはないようで馬の歩みを止めた。
「ライラ、約束を破ってごめんね。攻められる時に攻めるのが、帝国のやり方だから」
「えぇ。存じておりますわ……」
それだけ告げたシーグヴァルドは、すぐにオルガの元へ戻っていく。
彼にしてはあっさりとした身の引き方に、ここが戦場で彼とは敵同士だとうことを嫌でも実感させられる。
強引ながらもライラと交流しようとしていた、友人のシーグヴァルドはもういない。今の彼は帝国の皇太子で、この国を攻め落とそうとしている。
もう友人に戻ることはないのだろうかと思いながら、シーグヴァルドの背中をみつめていたライラ。その視線を遮るようにして、アウリスがこちらへとやってきた。
馬から降りたアウリスは、優雅な仕草でノアとライラに礼をする。
「精霊神様に、こちらまでご足労いただけるとは。兵士も皆、やる気に満ちているようでございます」
アウリスはちらりと兵士達に向けて視線を送る。それに釣られてライラも兵士達を見てみると、先ほどの騒めきと同様に、歓喜に満ち溢れた様子が離れたここからでも見て取れる。
それからアウリスはライラに視線を向けると、膝を付いて頭を下げた。
「貴女様がライラ様でいらっしゃいますね。事情はオリヴェルから聞きました。私がしたことは許されるべきではございませんが、国王陛下の恩情により兵を率いる名誉を与えられました。どうか国に捧げる命と引き換えに、私の罪をお許しいただきたく存じます」
今のアウリスは、完全にライラのことを神と同列視している。本当に彼の記憶からは、ライラが消え去ってしまったようだ。
それなのに彼は、記憶にない罪を償おうとしている。
ライラとアウリスだけが知っている事情を説明して、罪として背負う必要はないと伝えたい。
けれど記憶の消去を望んだ彼に、そんなことを伝えても困らせるだけだろう。
彼はライラとの関係に思い悩んでいたのだから、過去を蒸し返すのは彼のためにならない。
ならばライラは、今の地位に相応しい対応を取るべきだ。
「アウリス様……いえ、アウリス。顔をお上げなさい。一国の王子が『命と引き換えに』だなんて、情けないわ」
アウリスはぽかんとした顔でライラを見上げたが、ライラは構わず言葉を続けた。
「わたくしは、勝利を所望します。かつての貴方なら、わたくしの願いを必ず叶えてくださいましたわ」





