86 ノアの結界3
ライラがノアに祈りを捧げ始めて、十日ほど経っていた。
その間、ライラが祈りに専念できるようにと、精霊達はライラの身の回りの世話をしてくれていた。
初めは聖域にある果物などを食料として調達してくれていたが、そのうちパンやお菓子なども持ってきてくれるように。
どこから調達してきたのか聞いたところ、「りきゅうから、くすねてきた」と得意げに答えられてしまった。
それならばとライラは、離宮宛てに事情説明の手紙や、オリヴェル宛に結界についての手紙を書いて精霊達に運んでもらうことに。
そのおかげで、食事は栄養の取れたものを食べられるようになっていた。
(結界のほうはどうなったかしら)
オリヴェルからの返事はないので、どうなっただろうかと気になっていたライラ。
けれどその考えはすぐにやめて、祈りに戻る。
ノアへの祈りは、祈りの言葉はさほど重要ではなく、心の中をノアのことでいっぱいにすることが大切だと本人が言っていた。
ライラが今しなければならないのは、ひたすらノアを思うこと。他のことに頭を使う余裕はない。
最近のノアは顔色が良くなってきて、生き生きとした草の香りが漂ってくるようになっていた。
きっともう少しでノアは目覚める。
そう思いながらライラがノアの頭をなでていると、精霊が数名ほど慌てた様子で神殿へと入ってきた。
「らいらさま、たいへんだー!」
「皆様、慌ててどうしましたの?」
「にんげんだー! にんげんが、せめてきたー! らいらさま、にげてー!」
(えっ!?)
まさか結界が消えたことを察した帝国が、聖域に攻めてきたのだろうか。
ライラがそう思った瞬間、知らせてくれた精霊の頭を、他の精霊がぽかりと叩く。
「ばかね! あれはてきじゃないわ! りきゅうのにんげんと、おなじふくそうだったもの!」
「まぁ! 離宮の皆様がいらっしゃいましたのね」
オリヴェルだろうかと思っていると、入口の方が騒がしくなってきた。
訪問者が入ってくるのを待っていると、思った通りにオリヴェルの姿が。
四名ほどの聖職者を引き連れた彼は、辺りを物珍しそうに見回しながら儀式場へと入ってきた。
「オリヴェル様!」
「やぁ、ライラちゃん! 手紙をありがとうね。結界が消えた隙に、是非とも神殿を拝んでみようと思って来ちゃった」
いたずらっぽく片目を閉じたオリヴェルは、寝ているノアの横に腰を下ろした。
「ところで、ノア様の様子はどう?」
「顔色も良くなってきましたし、順調にお力が戻ってきていると思いますわ」
「それは良かった。貴族達や各精霊神聖堂にも祈りを捧げるよう通達しておいたから、いつもよりはノア様に届けられる祈りが多いと思うよ」
「助かりますわ」
いくらライラの祈りが最も有効であるとしても、ライラ一人と精霊達では限りがある。国中で祈ってもらえるのはありがたい。
「それと、手紙で知らせてくれた国の結界についてなんだけど……。実は厄介なことになっていてね」
「厄介……? 結界が消えて魔獣被害がでておりますの?」
「それも多少はあるんだけど、帝国の魔獣部隊が進軍しているんだ」
「そんな……」
「それで我が国も、迎え撃つために西の平原へと兵が向かった。そろそろ開戦している頃だと思う……」
そこで言葉が詰まったような様子のオリヴェル。
帝国との戦力差を考えれば、どう考えてもこの国が不利。それを心配しているのだろうかと思ったけれど、ライラは戦時における王家の血筋の責務を思い出してハッとした。
「あの……、今回はどなたが兵を率いておりますの? もしかしてマキラ家の方が……」
マキラ公爵家は代々軍事面で国を支えており、現在の騎士団長はマキラ公爵。
公爵かオリヴェルの兄が兵を率いている可能性が高い。
「うちの当主も補佐として出兵しているけれど、兵を率いているのはアウリスだよ……」
「……なぜ、アウリス様が」
王家の血筋が兵を率いることにはなっているけれど、王子や国王が兵を率いるのは最終手段。
これはアウリスに対する罰だと、ライラはすぐに理解した。
「アウリス様の罰は、わたくしに関する記憶を消すことだったと認識しておりますわ……。なぜアウリス様は、二度も罰を受けなければなりませんの?」
「……ごめんね、ライラちゃん。俺も国王陛下の説得は試みたんだけど……。この国ではもう、ライラちゃんに危害を加えるということは、神に危害を加えることと同義なんだよ……」
「わたくしは、神になどなった覚えはありませんわ!」
神と同等の存在になったとはいえ、ライラは特に何の力もない。ノアのように守護神にはなれないのだ。
都合よく祀り上げられているような気がして、思わす声を荒げてしまった。
すると、それに反応したかのようにノアが不機嫌そうに顔を歪めたかと思うと、ゆっくりと彼の目が開かれていく。
「オリヴェル、ライラを責めるなと言っているだろう……」





