81 ノアの力13
アウリスに抱きかかえられて外へ出ると、辺り一面に絨毯のように敷き詰められたコスモス達が、そよそよと揺れていた。
この空間は風も吹かないのに、まるで『気がついて』と主張しているよう。
ノアのような草の香りがコスモスとともに漂い、ますますノアが恋しくなる。
「精霊神様が咲かせたのかな……」
「そうかもしれませんんわね」
あまり彼を刺激しないよう断言は避けたけれど、アウリスは辛そうな顔でライラを見つめる。
「ライラを帰さなければならないのは、わかっているんだ。けれど、今度こそライラに会えなくなると思うと決心がつかない……。処刑されてもおかしくない立場なのに、わがままだよね」
「……毒のことでしたら、わたくしとアウリス様だけの秘密にしておきましょう。長く留まりすぎたことについては、二人で謝ればきっとノア様も許してくださいますわ」
「ライラは優しすぎる……。俺を生かしておいても、煩わしい思いをするだけだよ」
「煩わしいだなんて思っておりませんわ。アウリス様は、アルメーラ家の当主ですもの。わたくしの家族ですわ」
「ライラ……」
彼の髪の毛をなでると、アウリスはくしゃりと顔を歪めた。
けれどそれは、辛そうなものではなく。
彼の心に何か響いたような、そんな感覚だった。
それからのアウリスは少しずつ表情が穏やかに変化し、たびたびライラを散歩に連れ出してくれるようになった。
彼だけが知っていた果物畑や小川に案内され、そこで果物を食べたり読書を楽しむ穏やかな時間。
「不思議だね……。義兄と呼ばれるのは辛かったけれど、家族と呼ばれるのはすごく嬉しいんだ」
敷物の上で寝ころんでいるアウリスは、甘えるようにライラの膝の上に頭を載せている。
けれど、不思議と嫌ではない。今までは必要以上にアウリスに触れると、不安を感じていたのに。
彼に対する誤解が解けたこともあるけれど、アウリスが向ける眼差しも変化したことが大きいのかもしれない。
「ふふ。今のわたくしは、大きな弟ができた気分ですわ」
彼の頭をなでると、アウリスは幸せそうに目を閉じる。
彼が望んでいたのは、ライラと『家族』になることだったのかもしれない。
王族であるアウリスは、家族といえども両親や兄弟との間に一定の距離があったとライラも感じていた。
そんな彼にとって、将来の妻となる予定だったライラの存在は特別なものだったのだろう。
「アウリス様、わたくし達は夫婦にはなれませんでしたが、婚約破棄してもなお助け合えるだけの絆がありますわ」
「……そうだね」
「政略結婚ばかりのこの国では、夫婦だからといって信頼関係が生まれるとは限りませんわ。わたくし達は夫婦よりも、得難い関係だと思いますの」
「……うん」
「わたくしはこれからも、アウリス様との絆を大切にしたいですわ」
ライラという存在を近くで感じ続けることが、アウリスにとっての精神安定剤なのではないだろうか。
アウリスと結婚することはできないけれど、彼の不安をライラが取り除けるのならばそうしたい。
「……ライラにここまで心配されているのに、俺は情けない奴だよ。ライラがいずれ誰かと結婚して公爵邸から出ていくかと思うと、不安でいっぱいになるんだ」
目を閉じたまま顔を両手で覆ったアウリスは、声が微かに震えている。
「アウリス様が生きている限りは、公爵家を一緒に支えるとお約束いたしますわ。わたくしは、どこへも嫁ぎません」
「けれど、ライラは……」
両手を顔から避けて驚いた表情のアウリスに、ライラは苦笑するように微笑む。
「神話目録で、わたくしの運命ははっきりとしましたもの。わたくしはノア様のお傍にいられるだけで満足ですわ」
「……そう。ライラは俺よりもずっと大人だね」
「わたくしこう見えても、二十歳になりましたもの」
胸を張って微笑んで見せると、アウリスはいつものようにくすりと上品に笑う。
彼のこんな笑顔は久しぶりのように感じられる。やっと正常なアウリスが戻ってきたのだろうか。
ライラが少し安心していると、アウリスは上半身を起こしてライラの隣に座り直した。
「ここを出る前に、最後のわがままを聞いてくれないかな?」
「アウリス様……、もちろんですわ」
「最後に、ライラを抱きしめさせて」
そう告げた彼は、ライラが返事をするよりも先に行動を起こした。
自発的に外へ出ると言い出してくれたことが嬉しくて、ライラも素直にそれを受け入れる。
「ライラ大好きだよ。俺達だけの絆があると言ってくれて、すごく嬉しかった。ライラとの結婚は叶わなかったけれど、ライラにとって俺は特別なんだって実感できたよ。俺はその事実があれば、じゅうぶんに幸せな人生だった……」
「これからも、きっと楽しい人生が待っておりますわ」
「そうだね……。ライラ、今まで俺のわがままに付き合ってくれてありがとう……」





