73 ノアの力5
公爵邸へと移動したライラは、料理人に作ってもらったサンドイッチとお菓子が入ったバスケットを持ち、一人でアウリスの執務室へと向かった。
オリヴェルには、アウリスと二人で用事があると伝えてある。ノアも許してくれたと伝えたら彼も納得してくれたようだ。
執務室の前へ到着したライラが扉をノックすると、アウリスがすぐに出迎えてくれて。
「おはよう、ライラ。待っていたよ」
「おはようございますお義兄様。本日はよろしくお願いいたしますわ」
にこりと微笑みながら彼を見たライラ。
いつもは上着やタイをきっちりと身に着けている彼だけれど、今日はシャツとべストだけで首元のボタンも外している。
常に王子らしくあろうとする彼のこれほどくつろいだ格好は、婚約していた頃以来かもしれない。
そんなアウリスはライラを執務室へと招き入れると、ライラの背中のほうへ腕を回した。
(えっ……?)
どきりとしたライラだったが、アウリスはそのまま扉に手を伸ばし、カチャリと鍵をかけた。
アウリスはその足で、他の出入り口の施錠も始める。
「執事長が、隠し部屋を使う時は鍵をしたほうが良いと教えてくれたんだ」
隠し部屋について知っているのは、アルメーラ家の直系以外では執事長だけ。アウリスは執事長から隠し部屋の使い方について学んだようだ。
「そっそうですわね! 長時間執務室を空けるのですもの、鍵は必要ですわ!」
抱きしめられるのかと心配したライラは、自分の自意識過剰さに恥ずかしくなる。
(もう……、ノア様が脅かすからですわ!)
心の中でノアに怒ったライラは、ふぅっと小さく息をついた。
「ライラ、顔が赤いけど具合でも悪いの? 今日は止めておく?」
「違いますの! これはその……、ノア様のお部屋からこちらまで遠かったもので……」
アウリスに顔を覗き込まれ、苦し紛れに言い訳をしたライラ。しかしアウリスはその言い訳で納得したようにうなずく。
「ライラは体力ないもんね。バスケットを貸して」
差し出された手にバスケットを預けると、アウリスは本棚へと足を向ける。どうやら彼は、バスケットが重かったと判断したようだ。
ライラも気を取り直して、アウリスの後に続いて本棚の前へと向かう。
アウリスは本棚の奥にある鍵穴にペンダントをはめ込み、入り口を出現させた。
それからペンダントを首に下げたアウリスは、バスケットを持っていないほうの手をライラへと差し出す。
「それじゃ、行こうか」
「えぇ、参りましょう」
原本がある部屋はどんなところだろうか。期待に胸を膨らませながらアウリスの手を取ると、彼はライラを連れて水のような膜の中へと入り込んだ。
反射的に目を閉じて膜を通過したライラ。
アウリスの足が止まったのでそっと目を開いてみると、そこは見渡す限りの林が。
てっきり父の隠し部屋のようなものが出現すると思っていたライラは、拍子抜けしてしまう。
頭上から降り注ぐぽかぽかの日光に、青々とした木々。地面には草花が所狭しと生えている。
ライラ達の足元は土が露出しており、それが奥へと続く道となっていた。
「神話の原本は、この奥にあるのかしら?」
「そのようだね。とりあえず進んでみようか」
そう提案してから、少し考えるそぶりを見せたアウリス。それから彼は思いついたようにバスケットの中に手を入れて、焼き菓子を一つ取り出した。
「一応、目印があったほうが良いかと思ってね」
焼き菓子を地面に置くアウリスを見て、ライラはふふっと笑った。
「童話みたいですわね。動物に食べられてしまうかもしれませんわよ」
「その時はその時だよ。けれど、動物の心配はいらないんじゃないかな」
この林は妙に静かだ。鳥や虫の鳴き声も聞こえなければ、木々が揺れる様子もない。
ここは紛れもなく、ノアによって作られた空間のようだ。
「そうですわね。この先に何があるのか楽しみですわ、早く参りましょう」
再び手を繋ぎ直した二人は、道の奥へと歩き出した。
しかし作られた空間で無駄に歩かせるはずもない。目的地へはすぐに到着。
林の中にぽっかりと開いた草地には、赤い屋根に白い壁の小さな家が建っていた。
「わぁ! 可愛いおうちですわ」
「お菓子のおうちではなかったね」
「お義兄様は、意外とメルヘンチックでしたのね」
「ライラが喜ぶかと思って」
「もう……。わたくしはもう二十歳ですのよ」
子供扱いされて、むっと口を尖らせたライラ。
「ごめんね。ライラは見た目が変わらないから、つい」
苦笑するアウリスに連れられて家の前に到着すると、アウリスが玄関扉を開けた。
二人で中へ入ると照明器具もないのに部屋がほんわか明るくなる。
家の中は、外観の小ささ通りに部屋が一つだけのようだ。右の窓際には小さなキッチンと食器棚。中央にはソファーとテーブル。そして左の窓際にベッドと戸棚。
広くはないけれど、二人で過ごすには最適な空間となっている。
もしかしてここは、ユリウス王子と夫人が二人でくつろぐために作られた場所だったのかもしれない。
それが代々受け継がれて、もしかしたら父と母も――





