06 ノアの神殿1
聖域へと入り、ノアの住まいである神殿に到着する頃には、ライラは彼の腕の中で再び眠りについていた。
ノアは神殿の中央にある魔法陣まで移動すると、ライラを抱きかかえたまま魔法陣の上に座り込む。
「すぐに元の身体へと戻してやる」
ここがノアにとっては、最も力を発揮できる場所。
ライラの回復を再開したノアは、ふと遠い昔の出来事を思い出した。
今はもう会えない友人にも、こうしてライラと同じように傷を癒してやったのだ。
ノアは精霊としてこの世に生まれた。
生まれた経緯はよくわからない。ある日、気がついたらノアはこの森に存在していた。
特に目的もなく長い年月を過ごしていたノアはある時、森で大勢の人間を目にする。
人間達は石をどこかから運び込み何かを作っているよう。人間が珍しかったノアは、その様子を毎日のように観察するようになった。
人々が力を合わせて、何かを作り出す過程を初めて見たノア。
彼にとってはそれまで生きてきた中で、最も心躍る出来事だった。
人間は何年もかけて神殿を完成させると、その後はしばらく音沙汰がなかった。
再びつまらない日常を送っていたノアはある日、幼い子供を連れた人間達が神殿へ入るのを見つける。
何をするのだろうかと神殿の周りをうろうろしていたノアは、突然見えない力によって神殿の中へと引きずり込まれ――
それまでは人間の手のひらほどしかなかった彼の身体は、人間と同じ大きさとなり。今までとは比べものにならないほどの力を得た。
この時、神殿内でおこなわれた神の降臨儀式により、ノアは神として祭り上げられてしまったのだ。
その儀式の生贄として捧げられていたのが、友人となったユリウス。
彼は五歳の王子でありながら、魔獣によってひどい怪我を負っていた。
『神さまには、お願いがあって来ました』
魔獣の脅威に晒されている国の現状を訴えるユリウス。それに対して、同情や憐れみなどという人間のような感情は、欠片も湧かず。
精霊であるノアは、ただユリウスに興味を持った。
これまで生きた時間はノアよりもはるかに短いというのに、ユリウスはノアよりも多くの体験をしている。
ユリウスと一緒にいれば、自分も退屈な日々から抜け出せるのではないかと。
神になるつもりなどなかったが、『魔獣のいない平和な国にしてほしい』というユリウスの願いと引き換えに、友人となる契約を交わした。
ユリウスはもうこの世にはいないが、ノアは今でも彼を友人として大切にしている。
彼との契約を守るべく、ユリウスの血を受け継いでいる子孫がこの国で平和に暮らしている様子を、これまでずっと見守り続けてきた。
様々な性格の子孫がいたが、ライラはその中でも最もノアを信仰してくれた。
彼女は常に平和な暮らしができることをノアに感謝し、祈りを捧げる毎日。
ライラを見守るうちに、いつしかノアにとって特別な存在となった。
種を渡す相手はユリウスの子孫と決めていたノアは、ライラを手に入れようとずっと機会をうかがっていたのだ。
「やっと、手に入れた……」
そう呟きながらライラの頬をなでると、彼女は幸せそうな顔でノアに抱きついてきた。
「くっ…………」
ノアは何百年、いや何千年かもしれない長い人生の中で、一番の幸せを噛みしめていた。
ライラは半年以上も忘れていた、心地よい目覚めを体験していた。
いつまでも寝具に包まっていたいような感覚の中、ゆっくりと目を開ける。
目の前には見覚えのある布があり、ライラはそれに抱きついて寝ていたようだ。
この暖かい布はなんだろうと思っていると、誰かがライラの髪の毛に櫛を通すようになでる感覚があり。
上に視線を移動させると、精霊神が微笑んでいた。
「ノア……様?」
「起きたか。体調はどうだ?」
ライラはまだ夢の中のような気分でうなずいた。
こんなに身体が軽くて気分も良いのは、本当に久しぶりだった。
軽々と動かせるようになった腕に視線を向けると、ガリガリに痩せていた腕は健康的な太さに戻っている。
もしかしてと思い胸元に手を当ててみると、あばら骨の形が触ってわかるほどだったのが程よくふっくらした状態へと戻っていた。
そこからライラの頭は徐々にすっきりとしてきて、ノアが現れてからこれまでの出来事を思い出し始める。
辺りを見回してみると、どうやらここはノアの住まいとされている神殿内のように見える。
何もない広い空間だが、内装の作りから儀式場だと推測できた。
ノアはライラを回復させるために、ここまで連れて来てくれたようだ。
「ありがとうございます。ノア様のおかげで身体が元通りに……」
そう言いかけたところで、ノアの表情が随分と疲れているようだと気がついたライラ。
自分の身体を治してくれたことで、疲れてしまったのだろうかと心配になった。
そして今更ながら気がついたが、ライラはノアの腕の中にすっぽりと納まったままの状態だ。
「あの……、わたくしはどのくらい眠っておりましたの……?」
「よく覚えていないが、一日くらいだろうか? 回復に思いのほか時間がかかってしまった」
その間ずっとノアがこうしてくれていたのなら、疲れているに決まっている。
青ざめたライラは、慌ててノアから離れた。
「申し訳ございません、精霊神様! 従者の身でありながら、精霊神様にご負担をおかけしてしまいましたわ!」
とんでもない失礼をしてしまったと思いながら謝罪をすると、ノアは不貞腐れたようにライラから視線をそらした。
「……ノアだ」
「え……?」
「先ほどまでは、ノアと呼んでいた」
「従者の身でありながら寝ぼけてしまいまして……失礼いたしましたわ」
「ライラは従者ではない……」
「……それはどういう?」
(森での出来事が夢でなければ、従属契約をしたはずだけれど……)
「そうではなくてライラは俺の、つ……」
「つ?」
こてりと首を傾げながらライラが聞き返すと、ノアは気まずそうに顔を歪ませる。
「……つまり、ライラは従者であり友人だ。だから、ノアと呼べ」
よくわからないが、神であるノアが友人や名前呼びを求めるのなら、ライラはそれに従うのみ。
「わかりましたわ。従者兼友人としてよろしくお願いいたします、ノア様」
ライラがそう微笑むと、ノアは青ざめた表情で「あぁ」と返事をしながら床に両手をつく。
「俺は馬鹿か……」と彼は呟いたが、ノアの体調が悪そうなのでライラはそれどころではなかった。
「ノア様! しっかりしてくださいませ! ご体調が悪いのでしたら、どこかで休まれては」
「いや、そういう意味では……。だが、少々疲れてもいる。俺のために祈ってくれないか?」
「それは構いませんが……、お祈りでノア様のご体調が良くなりますの?」
「俺の力の源は、なにより人間の信仰心だ。ライラが毎日欠かさずにおこなっていた祈りは、俺の原動力となっていた」
「わたくしが毎日お祈りしていたことをご存知ですの?」
「かっ……神だからな」
ノアはまたも、気まずそうにライラから視線をそらす。
先ほどからノアの言動が少しおかしいが、疲れているのだろうとライラは納得した。
ノアのためになるのならばと久しぶりに祈る姿勢を取ったライラは、目を閉じて祈りを捧げ始める。
しかし、ライラの姿勢はすぐに崩れてしまった。
驚いたライラが目を開けてみると、なぜかノアに抱き寄せられていて――