05 変わる環境5
どこからともなく、突然に彼は現れた。
人間の成人男性と同じくらいの背丈があり、陶器のような白い肌に、白髪は光の加減で若葉のような色合いを見せ、瞳は黄金に輝いている。
そして何より目を引いたのが、背中から生えている『羽』。
蝶のような形をしているそれは透き通っており、彼の髪の毛と同じく光の加減で若葉のような色に変化している。
『全てが美しい』としか表現できないその容姿は、屋根裏部屋にはあまりにも不釣り合いだった。
(精霊神、ノア様……!)
ライラが驚いている間にも、床からは植物のツタがうねうねと出現して叔母に襲いかかった。
ぴくりとも動けないほどに叔母の身体にはツタが絡まり、口にも猿ぐつわのようにツタが巻かれていく。
「ううー!!ううううっ!!」
叔母が叫び声にならなない声をあげると、彼はこめかみをぴくりとさせた。
「うるさい」
その声に反応するようにして、屋根裏部屋の窓が突然開かれる。叔母はツタによってうようよと運ばれて、窓の外へと強制退室させられた。
あまりの雑さにライラが呆気に取られていると、彼女の視界に精霊神が入り込む。
「もっと早く呼べ……」
ライラと目があった彼は、眉間にシワを寄せながらライラを抱き上げた。
(草の香り……)
彼の腕の中は、ふわりと漂う草の香りと太陽のような暖かさ。
まるで天国にでもいるかのように心地よくて、ライラは一気に全身に張り巡らされていた緊張の糸が途切れた。
もう指一本動かす気力もライラには残っていなかったが、気分は楽になっていく。
「ここにはもう用はないだろう? ライラを連れ去っても良いだろうか……」
ついに両親の元へ向かう時が来たようだ。
けれど精霊神に暖かく抱きしめられているせいか、不思議と死への恐怖はない。
精霊神の問いかけに、ライラはうなずくようにして目を閉じた――
「――イラ、ライラ、起きろ」
精霊神ノアの声が聞こえてライラが目を覚ますと、目の前にはほっとしたように表情を緩めるノアの顔があった。
今も彼に抱きかかえられたままの状態のようで、身体がとても心地よい。
(天国へ到着したのかしら?)
ライラは辺りを見回してみたが、ここは想像していた天国とは似ても似つかぬ、暗い森のようだ。
「わたくしは、地獄へ落ちますの……?」
「何を言っているんだ? ここは聖域の入り口だ」
国の北に広がる広大な森の奥には、ノアの住まいがある聖域が存在しているといわれている。
『神聖な地であった北の森は、精霊神ノアの訪れにより精霊だけが住まう聖域となった』
聖書ではそう語られている。けれど聖域はあくまで精霊が住む場所であり、天国でも地獄でもない。
死後の世界へと送るためにノアは現れてくれたのだと思っていたライラは、『はて?』と首をかしげた。
「わたくしは、死んだのではありませんの?」
「あと少し俺を呼ぶのが遅ければ、そうなっていただろうな。少しは身体が楽になっただろう?」
確かに生命の危機を感じるほどの状態からは、脱しているように思えた。
どうやらノアはライラを助けてくれたようだが、そうなるとますます疑問が湧いてくる。
(なぜ精霊神様は、私を連れ去ったのかしら……)
ライラが眠りにつく寸前に、そんな許可を彼は求めてきた気がする。
それになぜ、ライラの名前を知っているのだろうか。
その疑問を尋ねようとしたが、ノアが先に話を進めた。
「身体を完全に戻すには、聖域の中にある神殿での静養が必要だ。だが、聖域へ入るには我らと同等の存在になる必要がある」
「わたくしが精霊に?」
そんなことができるのだろうかとライラが疑問に思っていると、ノアの心臓辺りから淡く光る一粒の種が出現した。
種はぷかぷかと浮いたまま移動して、ライラの手のひらに納められる。
「精霊になるわけではない。その種を飲めば、俺と契約を交わしたことになり同等の存在となれる。だが、それを飲めばもう後戻りはできない。人間として生きたいのなら、違う方法を考えよう」
「契約とは……?」
「生涯、俺とともに歩む契約だ。契約を交わせば精霊と同じだけの寿命が与えられる」
ノアはそこまで説明をすると、ライラから視線をそらした。そして、決意したように再び彼女に視線を向ける。
「突然で驚くかもしれないが……、俺はライラを大切に思っている。俺に一生を預けてくれないか」
(つまり従属契約なのかしら……)
助けてくれただけではなく、今後の面倒まで見てくれるなんて、精霊神とは神話通り慈悲深い。
もうどこにも居場所がないライラにとっては、これ以上ないほどありがたい契約だと感じた。
「わかりましたわ。わたくしは従者として、精霊神様のために誠心誠意お仕えいたしますわ!」
「いや……そういう意味では……!」
ノアは焦ったような声をあげたが、ライラは従者となる決意をしたと同時に種を飲み込んだ。
ライラの体内に種が入り込むと身体全体が熱くなり、なんだかノアの存在を強く感じられる。
どうやらこれが従属契約の効果のようだ。
身体の熱が収まり、ほうっと息を吐いたライラ。
ノアに視線を向けると、彼は青ざめた表情でライラを見つめていた。
「どうかなさいまして?」
「いや……、問題ない。これからいくらでも修正はできるはずだ……」
(修正? なんの話かしら……)
「身体のほうは問題ないか?」
「はい、精霊神様と繋がっているのを強く感じられて、心が温かいですわ」
「そうか、嬉しいよライラ。一生大切にすると誓う。この言葉、忘れないでくれ」
「はい、精霊神様……」
今までのノアとは打って変わり柔らかな笑みを浮かべた彼は、抱きかかえていたライラをさらに抱き寄せるように腕の力を込めた。
(従属契約をしたのよ……ね?)
精霊神にとって従者とは、それほど大切な存在なのだろうか。
ノアと繋がっているような感覚があるライラは、彼の想いが熱く感じられるせいで、妙に心が騒ぎ始めるのだった。