40 ノアと領地へ8
翌日。公爵邸の使用人達と別れの挨拶をしたライラは、馬車に乗り込んだが。ノアの「俺達は先に帰る」という言葉と共に、ライラの視界は森の中に切り替わった。
ここは何となく見覚えがある。初めてノアに助けられて連れてこられた場所。そしてライラがノアの種を飲んだ場所でもある。
つまりここは聖域がある森の入り口。
ライラの手を引きながら、ノアはそのまま聖域へと入っていく。
「ノア様、どうされましたの?急に戻るなんて、ご体調がすぐれませんの?」
「体調はいつも通りだ。何時間も馬車で移動するのは飽きるだろう」
一晩中ライラの寝顔を見ていたり、何週間もライラを抱きしめたまま眠らせておくようなノアに、『飽きる』という概念があったことに驚いたライラ。
(ノア様は馬車が苦手だったのかしら?)
「気がつかなくて申し訳ありませんでしたわ。今後、馬車移動が必要な際はわたくしだけで用事を済ませてきますわね」
今回はノアも乗り気だったのでお言葉に甘えていたけれど、無理をしてくれていたようだ。今後はあまり迷惑をかけないようにしようとライラが思っていると、ノアは繋いでいる手に力を込める。
「そうではない。ライラと二人きりならば何日でも馬車に乗っていられる」
(二人きりが大丈夫なら、オリヴェル様とアウリス様に問題が?)
首を傾げたライラだったが、ノアが言わんとすることを察して納得した。成人男性が三人も同じ空間にいたので馬車内が狭く感じたのだろう。
「皆でわいわいしたほうが楽しいかと思いましたが、ノア様はゆったりとした空間がお好きなのですわね。今後はそのようにいたしますわ」
「いや……、まぁそれで良い」
ライラがにこりと微笑むと、ノアは微妙な顔つきでうなずいた。
何はともあれノアと二人きりになれたので、ライラは昨日のお礼を述べることにした。
昨日は夕方まで領地観光を楽しんでから、公爵邸へと戻ったライラ達。
部屋ではメイド達が、ライラとノアを二人きりにしないよう必死だったので、なかなか機会がなかったのだ。
当然ライラが寝る前に、メイド達によってノアは部屋を追い出されてしまった。ノアなら瞬間移動でライラの部屋に戻れただろうけれど、戻ってこなかったので大人しく客室にいたのだろう。
「ノア様、昨日はお祭りの件を承諾してくださり感謝いたしますわ」
「それがライラの役割ならば邪魔をするつもりはない。それにあの祭りは、俺にとっても思い出があるからな」
「ノア様もお祭りに参加したことがございますの?」
「あれは元々、ユリウスの妻が始めた行事だからな」
「それほど前からおこなわれていましたのね。それで、どのような思い出がおありですの?」
「それは……、いずれ神話の原本でも読んで確認すれば良い」
神話の内容を知られるのは嫌な様子だったけれど、何だかんだでノアはライラに甘い。これは原本を読むことを了承してくれたのだろう。
複製品には載らなかった部分が読めるのかと思うと、ライラはこの上なく嬉しい気持ちでいっぱいになった。
幼い頃からずっと読んでいた大好きな神話。今まで知らなかったノアを知る機会でもある。
「ノア様!」
立ち止まったライラは、にこりと微笑みながらノアを仰ぎ見た。
いつもはノアから甘えてきていたようだけれど、嬉しさのあまりライラも甘えてみたいという気分になった。
ノアはご主人様だけれど、友人でもある。これくらいは許されるだろうと思ったライラは、ノアに思い切り抱きついてみた。
「原本を通して新しいノア様を発見できると思うと、すごく嬉しいですわ!」
「…………」
喜びを全身で表現してみたけれど、ノアからの反応がない。
その代わり、静まり返った森の中から「ライラさま、だいたん!」「ノアさま、おとこをみせろ!」と微かに聞こえてきた気がする。
精霊達だろうかと一瞬思ったライラだけれど、可愛い精霊達が覗き見をするはずもない。きっと空耳だろうと聞き流す。
それよりも反応がないノアが気になって、ノアの顔を確認してみた。
「ノア様?」
「…………」
目が合ったノアは、顔を隠すように口元を手で押さえると、ライラから視線をそらした。
心なしか、ノアの顔が赤い気がするのは気のせいだろうか。
(もしかしてノア様、照れていらっしゃるのかしら?)
「ノア様こちらを向いてくださいませ」
「いや……、今は都合が悪い」
「二人きりですのに、都合も何もありませんわ」
「ならばライラが後ろを向いてくれ」
「嫌ですわ。ノア様の照れたお顔を拝見したいですの」
「……無理だ」
結局、神殿に戻るまで視線を合わせてくれなかったノア。
なぜこれほど照れているのかよくわからないライラだったが、きっとこんなノアは神話の原本にも載っていないだろう。
自分だけが知っているノアのような気がして、何だか心がむずむずするのだった。
神殿へ戻って数日後。
アウリスから預かったとオリヴェルから渡された手紙は、叔父がライラに宛てたものだった。
手紙には、『オルガは祭りの主催をライラに任せたいと言っている。これからもアウリス殿下を支えてあげてほしい』という内容が書かれていた。
お祭りの主催についてはこちら側から提案したものだけれど、アウリスを支えてほしいという内容に疑問を感じざるを得ない。
普通は、夫の元婚約者にそのようなことは頼まないだろう。
オルガは結婚について、ライラに配慮する様子は全く見せなかったけれど、アウリスとライラが交流を持つことにも、不満はないように文面からは読み取れる。
一年前まで交流がなかった従姉妹は、相当変わった性格なのかとライラは首を捻った。





