29 ノアと信者の祈り5
舞踏会はライラとノアの二人きりでのダンスから始まった。
「緊張しますわね」
「ライラは俺に身をゆだねているだけで構わない」
そう言ってライラをリードするように踊り始めたノア。二回も踊りたいと言い出すだけのことはあり、彼はダンスが得意なようだ。
エスコートと同じく、優雅なノアのダンスは貴族達を魅了し始める。
彼が大きく動くたびに鱗粉のようなものがキラキラと舞う姿は、幻想的以外のなにものでもない。
ライラも思わず、彼のダンスに見惚れてしまった。
「ノア様はダンスもお上手でしたのね。とても素敵ですわ」
「何百年も人間と関わっていると、嫌でも覚えるものだ」
「大勢の女性と踊られたのですわね。ノア様のお相手ともなると歴代の王女様かしら」
「踊った相手などもう忘れた。今までは、ライラと踊るための練習に過ぎなかったのでな」
ノアからそのような言葉が出るとは思わなかったライラは、思わず笑みをこぼす。
「ふふ、ノア様ったらダンスに相応しい口説き文句もご存知ですのね」
「やっと口説いていると認識してもらえたようだな」
「ダンスの際に女性を口説くのは礼儀みたいなものなので、真に受けてはいけないとアウリス様から習いましたわ」
「そうか……」
ノアは緊張をほぐすために口説き文句を言ってくれたのかもしれないと思ったライラ。
どんな時でもライラを気にかけてくれる、優しい主だ。
ダンスを一曲終えて、飲み物を飲みながらオリヴェルと三人で雑談をしていると、アウリスがライラの元へやってきた。
これは予定通りなので、ライラはにこりと微笑んだ。
「アウリス様、お久しぶりでございます」
「久しぶりだねライラ。一ヶ月ぶりかな。この前は楽しかったよ」
貴族達がこちらに注目しているのが、ひしひしと伝わってくる。
オリヴェルの言う通り、貴族達はライラとアウリスがどのような関係に落ち着いたのか見極めたいのだろう。
「えぇ、素敵な時間を過ごさせていただきましたわ。オルガお義姉様のご様子はいかがですの?」
「体調もだいぶ落ち着てきたみたいだし、お腹が少し大きくなってきたよ」
「安心しましたわ。これからが楽しみですわね」
「ありがとう、ライラ」
雑談を終えて、アウリスからのダンスの申し込みを受けたライラ。
慣れた相手と息の合うダンスを始めたけれど、あの頃のようなどきどきは感じられない。アウリスも笑顔は貼りつけてはいるが、落ち込んでいるのだとライラにはわかった。
「ごめんねライラ……、俺が全部悪いのにライラにばかり負担をかけさせてしまって」
「わたくしは、ノア様のためにしているだけですわ」
「うん……、精霊神様にもご迷惑をおかけしてしまった。信仰心によって精霊神様がお力を得て結界を維持していると聞いた時は、驚いたよ。アルメーラ家は今まで、象徴の家として陰から国を支えていたんだね」
アルメーラ家に生まれたライラ自身も、そこまで神に影響を与える家だとは思っていなかった。
ライラとアウリスが結婚したら、アルメーラ家の事情について詳しく話したいと父が言っていたのを思い出す。
もしかしたら、神話や聖書に書けない詳しい神の事情を教えてくれるつもりだったのかもしれない。
そんなことをライラが思っていると、アウリスがライラの首元を見つめていることに気がついた。
今ライラが身に着けているのは、ノアから贈られたネックレス。アウリスからのは受け取らなかったと思われているのかもしれない。
「あの……アウリス様、成人祝いのネックレスを贈っていただきありがとうございました」
「瞳の色も考えずに贈ってしまってごめんね」
「こちらはノア様が贈ってくださったもので。けれど、アウリス様は死ぬとわかっていたわたくしに、わざわざご用意してくださっていたのでしょう?とても嬉しかったですわ」
あの時感じた思いを伝えると、アウリスは今にも泣きそうな顔で微笑む。
「俺の気持ちを汲み取ってくれるのは、やっぱりライラだけだ……」
「アウリス様……」
贈り物に対する感謝の気持ちを伝えただけで、そんなふうに思われるなんて。オルガとは上手くいっていないのかと思ったライラだけれど、そこまで踏み込む仲ではもうない。
かける言葉も見つからず、しばらく沈黙が続いた後。アウリスはため息をついた。
「感情を押し殺すのがこんなにも大変だったなんてね……」
「アウリス様?」
「許される状況ではないと理解しているのに、ライラに会えた嬉しさでいっぱいだよ……。また嫌われるとわかっているのに、抑えられそうにない」
「え?」
何の話だろうとライラが思った瞬間――。
アウリスはライラの手の甲に口づけを落とすと、その手を愛おしそうに頬ずりする。
ダンスの際の口説き文句は礼儀みたいなものと教えられたけれど、これはやりすぎではとライラは焦った。
手を振り払うべきだろうかと思っていると、窓ガラスが強風でガタガタと音を立て始める。
次第にそれはひどくなり、雨が当たる音も加わり始めた。
「やはり……、ライラのご主人様は相当なヤキモチ焼きみたいだね」





