02 変わる環境2
翌日。叔父は仕事のため、王都へと出立した。
ライラも学校があるため叔父と共に王都へ戻る予定だったけれど、一日中馬車に揺られるのは耐えられそうにないので断念するしかなかった。
ライラもすぐに良くなって王都に戻らなければと思っていたけれど、叔父の出立直後から状況は一変する。
自室のベッドで寝ていたライラは、使用人に抱きかかえられると自室から連れ出され、屋根裏部屋へと押し込められてしまったのだ。
「叔母様っ、何をなさいますの!?」
簡素なベッドに寝かされたライラは、屋根裏部屋へと入ってきた叔母を睨む。
しかし叔母は、落ち着いた表情で申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさいね、ライラ。お医者様は心労だとおっしゃったけれど、もしかしたら未知の病かもしれないと思うとわたくし心配で。公爵邸にいる者全員が病にかかってしまったら、領地運営に支障をきたしてしまうでしょう?」
「領地運営に……」
叔母の意見はもっともだとライラは思った。
公爵邸には、領地運営の実務を担う事務官が数多く出入りしているので、もしこの体調不良が未知の病だったとしたら大変な事態になってしまう。
ただでさえ今は両親がいなくなり、新しい体制の下で皆大変だというのに。
「わかりましたわ……、叔母様」
「聞きわけの良い子で助かるわ」
この日を境にして、毎日のようにライラを励ましてくれていたオルガとも、顔を合わせることはなくなった。
きっと叔母が心配して面会謝絶にしたのだろう。
理由は理解できているライラだったが、なんともいえない寂しさがこみ上げてきた。
けれど、ここで気分を沈ませるわけにはいかない。
ライラは寂しさを紛らわせるように、聖書や神話を読み漁って過ごした。
それからさらに十日後。
王都からの訪問者がアルメーラ公爵家を訪れていた。
ライラは訪問者と会うため、一時的に屋根裏部屋から自室へと戻されていた。
「ライラ、すまない! 葬儀の際は寝込むほどだとは思っていなかったんだ。俺がずっと傍にいるべきだった……」
悔しそうに顔を歪ませたのは、この国の第二王子アウリスでライラの婚約者。ライラより五歳上の二十歳だ。
彼との婚約はライラが五歳の時に決められた政略的なものだったが、いつも優しいアウリスのことは兄のように慕っていた。
ライラの体調不良をどこからか聞きつけて、お見舞いに来てくれたようだ。
けれどライラは、そんな彼の顔を見ることもなく寝具を頭まですっぽりとかぶっていた。
「お見舞いに来てくださりありがとうございます、アウリス様……。けれど、もしこの体調不良が未知の病だとしたら大変ですわ。どうかわたくしから離れてくださいませ」
寝具の中でそう訴えてみたライラ。
しかし一瞬の間があった後、アウリスのくすりと笑う声が聞こえてきた。
「ライラはそれで丸くなっていたのかい? 心配しなくても、病気ではないよ。考えてみてごらん。もしそれが未知の病なら、ライラを世話していた使用人達はとっくに病に臥せているはずだよ」
(確かにそうだわ……)
使用人達はライラの体調が悪くなってから二十日間、寝込むことなく毎日世話をしてくれていた。
「お嬢様に屋根裏で寝かせるのは申し訳ない」と、少しでもライラが過ごしやすいように屋根裏部屋を整えてくれたり、こまめに様子を見に来てくれたりしたのだ。
「ほら、俺に可愛い顔を見せておくれ」
彼によってゆっくりと寝具がはがされると、ライラの目の前にはアウリスの顔があった。
ライラと同じ金髪に青い瞳の彼は、柔らかく微笑んでいる。
「さぁ、いつものように抱きついて挨拶をしてくれ」
「ですが……」
アウリスの説明に納得はしたものの、体を密着させても良いものかと躊躇したライラ。
するとアウリスは後ろへ振り返り、ライラの叔母へと視線を向けた。
「本当に心労ならば問題ないだろう?」
「もちろんでございますとも。ライラ、アウリス殿下のご希望通りにして差し上げなさい」
未知の病かもしれないと言い出した叔母が了承するのなら、病というのは誤解だったのかもしれない。
恐る恐るアウリスに向けて両手を伸ばすと、彼はライラを抱きしめながら起こしてくれた。
久しぶりに感じる人の温もり。
ライラの緊張の糸は、ぷっつりと途切れたのだった。
「アウリス様……、会いたかったですわ……」
「俺も会いたかったよ、ライラ」
泣きたい気持ちを必死にこらえながら、ライラはアウリスの胸に顔を埋めた。
ライラがいくら辛かろうと、両親にはもう会えない。
叔父一家は優しくしてくれるけれど、心から信頼できる人はもうこの世にはアウリスしかいないのだとライラは気がついてしまった。
それからアウリスは、三日間ほど公爵邸に滞在してくれた。
彼は、王宮から連れてきた料理人に王家秘伝の病人食を作らせ、付っきりでライラの看病をしてくれた。
おかげで、ライラはわずかばかりではあるが体調が良くなっていると感じられるように。
「もう少し一緒にいてやりたいけれど、公務があるんだ……」
出立の朝。ライラに朝食を食べさせ終えたアウリスは、名残惜しそうにライラを抱きしめる。
ライラとしても、もう少し彼にいて欲しいという気持ちはあるけれど、忙しい彼を引き止めるわけにはいかない。
別れを惜しむように、ライラもアウリスの背中に腕をまわした。
「アウリス様のおかげでだいぶ体が楽になりましたわ、ありがとうございます。わたくしのことは気にせず王都へお戻りくださいませ」
「本当にごめんね。また十日後には来られるので、その時にもう少し体調が良くなっていたら一緒に王都へ戻ろう」
「はい、それまでには立ち直ってみせますわ」
笑顔で見送れるくらいには、ライラの心も身体も回復を見せている。
ライラ自身はあまり感じていなかったけれど、やはり両親が亡くなって心労が溜まっていたのだろうか。
アウリスのおかげで精神的にも元気になれたライラは、次に彼と会う際はベッドから出てお出迎えができるように頑張ろうと張り切るのだった。
アウリスが公爵邸を出立したすぐ後、ライラは再び屋根裏部屋へと移動させられてしまった。
「ごめんなさいね、ライラ。一度広まった不安はすぐには収まらないのよ。体調がすっかり元に戻るまではここで我慢してちょうだい」
叔母は昼食を屋根裏部屋に運んできた際に、ライラに申し訳なさそうに説明をした。
人に感染するような病でないことはすでに証明されているが、それでも大勢が働く公爵邸では配慮が必要だと。
ライラもそれには納得し、もう少しだけ屋根裏部屋で過ごすことを了承した。
公爵令嬢に対する対応ではないけれど、使用人達も献身的に看病をしてくれる。
何より叔母が毎食ごとに、自ら作ったスープを他の食事と一緒に運んできてくれるのが嬉しかった。
「さぁ、冷めないうちにお食べなさい」
「はい。叔母様が作ってくださったスープ、わたくし大好きですわ」
ライラは叔母特製スープに口をつけた。ほんのり甘みのあるスープは、叔母の優しさが溢れているように思える。
その他にもトレーには、アウリスが残してくれた王家のレシピで作られた料理も並べられている。
皆のためにも早く元気にならなければと、ライラは食事を食べきろうとした。
けれど、アウリスに食べさせてもらっていた時は美味しく感じた王家の食事も、今はなぜだか喉を通らず。
結局、叔母が作ってくれたスープ以外は残してしまった。
再び公爵邸を訪れたアウリスは、愕然とした。
元気になっていると思っていたライラの状態が、再び悪くなっていたのだ。