12 ノアの離宮4
「ライラ!!」と叫びながら走り寄ってくる彼をみて、ライラの心臓はどきりと音を立てて動き始めた。
(アウリス様……)
かつては、その姿を目にすれば嬉しくて仕方なかったのに。
ライラは身構えるように、両手を握り合わせて力を込める。
「ライラ!ライラなんだろう!!」
彼女の容姿は変わったというのに、ライラだと確信しているようなアウリス。
一直線に走り寄ってきた彼は、ライラを抱きしめようとしたが――。
その寸前でライラは、ふわっと身体か浮く感覚があり。
誰かに後ろへと抱き寄せられたのだと気がついたと同時に、アウリスの腕は宙を抱いた。
「ライラに触れるな」
「精霊神、ノア……様」
アウリスは体勢を立て直しながら、ノアをまじまじと見つめている。
ノアは離宮に仕えている者達と王以外に会うことは滅多にない。王子であろうと気軽には会えないのだと、アウリスから聞いたことがある。
おそらく二人は初対面なのだろうとライラは思った。
アウリスはすぐに王子らしい余裕を取り戻すと、ノアに微笑みかける。
「お初にお目にかかります、精霊神様。私は第二王子アウリスと申します。精霊神様がライラを助けてくださったのですか?」
「あぁ、そうだ」
「この国の医者では対処できない状況でしたので、心から感謝いたします」
深々と感謝の礼を取ったアウリスは、それからライラに視線を移動させる。
「ライラ……、君が歩けるほど健康な身体を取り戻せたなんて、夢みたいだよ。本当に良かったね……」
「ありがとうございますアウリス様。全てノア様のおかげですわ」
感極まっているようなアウリスは、今にも涙が零れ落ちそうなほど青い瞳が揺れている。
心の底から喜んでいるような彼の微笑を、ライラは久しぶりに見た。
けれど、ずっと見たいと思っていたその笑顔を目の前にしても、今はなぜか心が動かない。
「それにしても驚いたよ。その容姿はどうしたんだい?」
「ノア様に回復していただく過程で必要でしたの」
「そうなんだ。ライラの髪の毛と瞳は俺とおそろいだったから気に入ってたんだけどな……。でも、今のライラは精霊のようで可愛いよ」
「……ありがとうございます」
どうしてだろう、アウリスに褒められたのに全然嬉しくない。
今までなら天にも昇りそうなほど嬉しかったのに。
アウリスに会えば、もっと動揺するかと思っていたライラ。自分がこれほど冷静な態度でアウリスと対峙していることに、自分自身で驚いている。
けれど、こうして冷静でいられるのもノアが抱きしめてくれているせいかもしれないと思った。
振り返ってみると、ノアと視線が合う。
「そうだな、この容姿が似合う女性は世界中を探してもライラしかない」
「ノア様ったら、それは褒めすぎではありませんこと?」
「事実だ。それから今後、俺達と同じ容姿を手に入れる女性が現れることはないと誓おう」
どうやらノアは、種を他の人に分けるつもりはもうないようだ。
それほど貴重な種を使って助けてくれたとは。改めてライラの心には、感謝の気持ちがあふれる。
「精霊神様、ライラを王宮まで連れて来てくださり感謝いたします。後は私が引き受けますので」
まるで保護者のごとくライラを預かるような雰囲気で、彼女に手を伸ばしたアウリス。
(公爵邸に戻るなんて嫌よ……)
叔母のこともあるが、健康になったライラはどんな顔で義姉夫婦と一緒に暮らさねばならないのか。
あの家にはもう、ライラの居場所などないことはわかりきっている。
それにライラはノアの従者として生きると決めたばかりなのに。
ライラの義兄となったアウリスが現れた今、ノアがどう判断するのか心配になる。
抱きしめられている彼の腕をライラはきゅっと握りしめた。その直後――。
床から植物のツタがうようよと伸びてきて、アウリスの手は弾かれた。
「勘違いをしているようだが、ライラをお前に渡すつもりはない」
「ライラは私の大切な人です。どうか私の元にお返しください」
「お前が選んだのはライラではないだろう。オルガの機嫌でも取っていろ」
「……そこまでご存知ならば、私がどれほどライラを愛しているのかもご存知なのでしょう。なぜ、愛し合う二人を引き離そうとなさるのですか」
(愛し合う……?)
アウリスがまだそう思っていることに、ライラは驚いた。
婚約破棄を告げられた日、『ライラが生きている限りは、俺の心はライラのものだ』と彼は言ってくれたが、それはあくまで期限が見えているからこそ言えたこと。
ライラが健康な身体を取り戻した時点で、その約束は無効にならなければ――。
「わたくしは……」と、ライラは静かな声で二人の言い合いに割って入った。
「わたくしは、アウリス様の愛人になるつもりはありませんわ」
「……何を言い出すんだライラ。俺が愛しているのはライラだけだよ」
「アウリス様にはもう、奥様と生まれてくるお子様がいらっしゃいますのよ。わたくしは愛人以外の何になれるとおっしゃいますの?」
ライラの言葉で気づかされたように顔を歪ませるアウリス。それから力なく微笑んだ。