人間の真似をしたいノア2
「ライラ、あれに乗ろう」
「まぁ。ボートなんて久しぶりですわ」
桟橋へと向かい先にボートへと乗り込んだノアは、貴族男性のように優雅な仕草でライラに手を差し出す。
思いがけないノアの紳士ぶりに、思わずライラは頬を染めてしまった。
(今日は本当にどうしたのかしら……。いつものノア様らしくないわ)
「ライラの心が熱いな」
「のっ……ノア様! そういうことは言わないでくださいませ!」
心が繋がっていると、こういった弊害もある。
恥ずかしさのあまり、ライラはボートを揺らしてしまったが、ノアは慌てる様子もなくライラを支える。その姿がさらに紳士らしくて、ライラはますます顔が熱くなってしまった。
嬉しそうな顔でライラをボートに座らせたノアは、手馴れた様子でオールを漕ぎ始めた。
「ノア様は、ボートに乗ったことがございましたの?」
「いや。人間を真似て漕いでいるだけだ。上手く漕げているか?」
「えぇ。とてもお上手ですわ」
本当にデートのような雰囲気。ノアがわざわざ連れてきた理由はなんだろうと、ライラは真剣に考え始めた。
百年以上も生きているとイベント事に疎くなってくるが、ライラはふと今日が何日かを思い出した。
今日はノアに助けられた日で、明後日はライラの誕生日。
ノアは毎年、聖域でライラの誕生日を祝ってくれていたが、今年は趣向を変えてみたのだろうかと考えた。
「もしかして今日は、わたくしの誕生日を祝ってくださるために?」
「いや、それは当日に祝う予定だ」
どうやら違ったらしい。ならば、単なるノアの気まぐれで遊びにきたのだろうかと思いながらも、ライラは微笑んだ。
「今年も祝ってくさいますのね。ありがとうございます、ノア様」
「ライラの誕生日を祝うことは、毎年の楽しみでもあるからな。そして今年からは……」
「今年からは?」
首を傾げるライラに対して、ノアは気まずそうに視線を逸らす。
「……百年ほど前の今日を、覚えているか?」
「もちろん覚えておりますわ。ノア様がわたくしを助けてくださった日ですわよね」
ライラがそう答えるとは、ノアはほっとしたように微笑む。
「あの日から、俺の人生は大きく変わった。ずっと遠くから見守ることしかできなかったライラが、やっと俺を求めてくれた。今日は俺にとって、最も大切な記念日なんだ」
「ノア様……。わたくしは毎日ノア様のお傍にいられることが幸せで、記念日にまで頭が回っておりませんでしたわ。本来ならば、助けられたわたくしがノア様をおもてなしするべきですのに……」
ノアがこの日を大切に思っていたことに百年も気がつかなかったとは、従者として大失態だ。
ライラは申し訳なさでいっぱいになるが、ノアは「そうではない」とライラの手を取る。
「今日は、ライラに感謝されたい日ではない。俺の願いが叶った日なのだから、俺に任せてくれ」
ノアはそう言ってから、ライラの指に口づける。
それから、満足そうに微笑んだ。
「ライラの心が、また熱い」
「もっもう! からかわないでくださいませ……」
任せてくれと言ったとおり、ノアは今日の計画を入念に立てていたようだ。
ボートを楽しんだ後は、カフェで最近の流行りだというプレートランチを食べ、午後は街の中を散策。
五十年ぶりの王都の街は見慣れぬものばかりで、かつてノアに質問攻めにあいながら街を見て回った記憶が思い出される。今のライラは、その時のノアと同じ気持ちだ。
発展しつつある街の中で変わらないものもあり、広場で食べたアイス屋の看板には『変わらぬ美味しさ』と、うたい文句が付け足されていた。
久しぶりの街を堪能した後。
「次は、オペラを観に行こう」と提案したノアは、ライラを馬車へと乗せてオペラ劇場へと向かった。
ここでもノアは周到に準備をしていたようで、馬車は王族専用の入り口で停車した。
アウリスと共に何度もここへは訪れたことがあるが、いつもなら総支配人が出迎えてくれるが、オペラ劇場の人間が誰一人として出迎えに来ていない。その代わりと言うべきか、離宮の聖職者達がで迎えてくれた。
あきらかに人払いがされている。どうやらノアはお忍びではなく精霊神として、ここを訪れたようだ。
わざわざ人間に紛れてデートを楽しんでいたのだから、一般席で良かったのにとライラは思ったが、テラス席へと案内されたライラは、息を呑んだ。
王族席よりも遥かに豪奢な空間と、割れんばかりの歓声と拍手。
ここへ来て初めて、公式に訪問したのだと気がついたライラは、慌てて会場全体に向けて笑顔で手を振った。ふと、自分の髪の毛に目を向けて見ると、色が元に戻っている。ライラではわからないが、今のノアは光の玉に包まれているのだろう。
「ノア様、先に言ってくださいませ。驚いてしまいましたわ」
「驚かすために連れてきたのだから、問題ない。ここは俺達用に作られた席だそうだ。一度くらいは使ってやらねばな」
オペラ劇場に精霊神用の席が設けられたとは、初耳だ。いつ作れらたのか知らないが、ノアはずっと秘密にしていたらしい。
(もしかして、今日のために?)
ノアは、ライラと出会った日を大切に思っていたことをボートに乗った際に知ったが、今年だけ大々的に祝っているのはなぜだろと、新たな疑問が湧いてくる。