プロローグ
精霊神ノアに連れ去られて百年ほどが経過したけれど、私は相変わらず十六歳の頃とさほど変わらない容姿をしている。
ノア様と同じ白髪は光の加減で若葉のような色合いを見せ、黄金のような瞳も彼と同じ色をしており、どちらも私のお気に入り。
ノア様も出会った頃から全く変わっておらず、見た目は二十代前半くらいにしか見えない。本当は千歳を優に超えており、本人も詳しい年齢は把握していないようだけれど。
神秘的な見た目に加えて精霊である彼の背中からは蝶のような羽が生えており、透き通っている羽は髪の毛と同様に光の加減で若葉色に変化している。
相変わらず神に相応しく、神々しいお姿だ。
そんな彼と、今は王宮の控え室でお茶を飲んでいる。
「ノア様、せっかく王宮の舞踏会へ招待されたのですから、従者のわたくしではなく素敵な女性でもお誘いしたらよろしかったのでは?」
「主と従者は常に行動を共にするものだ。俺にはライラと一緒にいる義務がある」
「あら、わたくしは構いませんのよ。主の命令とあらば、いくらでもお留守番いたしますわ」
私が微笑んでみせると、ノア様は不貞腐れたように視線をそらす。
「……俺の気も知らないで」
「ノア様のお気持ちは、教えてくださらなければわかりませんわ。今日こそおっしゃってみてはいかがですの?」
「…………」
こんなやり取りを、もう何十年も続けている。
彼の困り顔は、もう見慣れてしまった。
今日は、この国の王が代替わりをするお祝いの日。
舞踏会の前には、精霊神がこの国の王に加護を授けるという儀式がある。
普段は聖域に住んでいる精霊神が公の場に姿を現すのはこの日のみで、私は従者になってから毎回ノア様に同行している。
「そろそろお時間です、ノア様。わたくしは先に行っておりますわ」
「待てライラ。俺から離れると危険だ」
「ふふ。会場には警備兵がたくさんおりますし、精霊神の関係者が襲われたなんて話は聞いたことがありませんわ」
「いや、そういう意味では……」
「わたくしは壇のすぐ下で、ノア様の素敵なお姿を拝見しておりますわ」
「あぁ……。俺から見える範囲にいるんだぞ」
「はい、ノア様」
一足先に控え室を出た私は、約束通りに壇上のノア様から見えるであろう位置に移動すると、すぐに儀式は始まった。
儀式用の衣装に身を包んだノア様は、一段と神秘的で惚れ惚れとしてしまうけれど、あの姿が見えるのは私だけ。
他の人達には幻術魔法がかけれていて、ぼんやりとしか彼を認識できない。
先ほどはノア様の気持ちが聞きたくて意地悪を言ってしまったけれど、本当は素敵なノア様を独り占めできるこの儀式を、私はいつも楽しみにしている。
加護を授ける儀式が終わり、ノア様が壇から退出しようとした時だった――。
私は横に近づいてきた男性に声をかけられてしまった。
「お前は人間か……。精霊と見間違えるほど美しいな」
(せっかく儀式は滞りなく終えられそうなのに、なんてタイミングが悪いのかしら)
「お褒めいただきありがとうございます。ですが、嵐で馬車が使えなくなると大変よ。わたくしに話しかけないほうが良いわ」
「今日はこんなにも良い天気ではないか。おかしな娘だが、光栄に思え。アルメーラ家子息であるこの俺が舞踏会でエスコートをしてやろう」
(どうやら彼はあの方の子孫らしいわ。女性の趣味も遺伝したりするのかしら)
失礼なお誘いに対してそんなことを思っていると、会場の窓ガラスが突然ガタガタと鳴り響き、この場にいた多くの人が窓へと視線を向けた。
一瞬前まではとても良い天気だったはずの王宮の庭は、どんより黒い雲に覆われ強風と共に雨が降り出してきた。
「信じられない……。俺が見た時は確かに良い天気だったのに……。これはどういう――」
視線を窓から私に戻したアルメーラ家の子孫は、驚いたような表情で一歩後ずさった。
驚くのも無理はない。
壇上にいたはずのノア様が一瞬でこちらに移動し、私を抱き寄せていたのだから。
「精霊神……様!?」
それも意地の悪いことに、幻術魔法を解除したようだ。
生身のノア様が現れたら、誰だって驚くに決まっている。
「俺の連れに何の用だ。場合によっては強風でこの城が崩壊してしまうが良いか?」
ノア様の発言を強調するように、窓の外からは強烈な光と共に雷鳴が轟く。
この国で唯一の神として崇められているノア様に鋭い視線を送られた彼は、腰を抜かして床に崩れ落ちると青ざめた表情で震え出した。
「もっ……申し訳……ありませんでした」
四つん這いでこの場を逃げ出す彼を眺めていると、私の視界は王宮内から屋外へと切り替わった。
頭上からはぽかぽかと暖かい日差しが降り注ぎ、鳥のさえずりが聞こえてくる。
どうやら聖域がある森の入口へと戻ってきたようだ。
ノア様は私を思い切り抱きしめた。
「だから危険だと言っただろう。嫌な目には遭わなかったか?」
「そうなる前に、ノア様が助けてくれましたわ。いつも気にかけてくださり、ありがとうございます」
もう十六歳の私ではないのに、いつまで経ってもノア様の過保護は変わらない。
心配しないでというように微笑むと、彼はじっと私を見つめる。
「俺はあの時と変わらず、今でもライラを大切に思っている。だから……」
彼は私を連れ去ったあの日から今まで、変わらぬ愛情を注いできてくれた。
おかげで私は平穏な生活を百年間も送ることができたので、とても感謝している。
私も彼に報いるため、与えられた長い一生を彼に捧げるつもりだ。
ノア様は私の頬に触れると、神秘的な顔を近づけてきた。
そして、唇同士が触れ合いそうになる寸前――。
私は彼の唇を、両手で塞いだ。
「ノア様、わたくしはまだ大切な言葉をいただいておりませんわ」
「…………」
重大な事実を隠したまま口づけをするなんて、とんでもない。
私が頬膨らませてノア様を見ると、形の良い彼の眉がへにゃりと曲がった。
彼の困り顔は本日二度目。
百年経っても、ノア様の不器用さは変わらない。