僕らは僕らなり。
「私が、色んな男性と寝ていたって言ったらどうする?」
剪定された松の木が規則的に並ぶ砂の上で、彼女は平気に可笑しなことを言った。僕らはその時、ゆっくりと浮世を歩いていたから、チャペルの音が耳のすぐ側で鳴っていた。
「どういうこと?」
よく分からないよと、僕は首を横に振った。
「私があなたと出会う前にも出会った後にも、色んな男の人と寝ていたら、あなたはそのことをどう思う? 私、いま、あなたの感情が知りたいの」
何を言っているのか。何を言えばいいのか。自分の思考と上手く組みあう言葉を探していると、耳のそばで鳴り続いていたチャペルの音がぷつんと止んだ、気がした。糸と糸が切れて対話が止まってしまうように、沈黙が煩わしいばかりにまで続いた。
「出会う前は仕方がないけど、出会った後は少し悲しいかな」
「少し」だなんてケチな形容詞を付けてしまうのは、おおよそ価値のない醜い矜持のせいだ。
「どうして悲しいの?」
彼女は相変わらず綺麗なアーモンド形の瞳を称えて言う。彼女の端麗な眼に感心する余裕がまだ身のうちに残っていたことに安堵する自分もいる。
「僕一人では力不足だったって感じるからだよ」
「逆だよ。
私にとって、あなた一人じゃあ大きすぎたの」
彼女は足元を見つめながら、一つずつ細かに過去を振り返っている。あるいは、デイ・バイ・デイ・デート終わりで、浅はかなグッド・バイを告げている。何処かの誰彼に対して。
「それは、僕のあそこの話?」
その表情があまりに切迫していたから、茶々を入れて返事を返すと、彼女はふふと楽しそうに微笑んだ。
それから・・・
「もちろんそうでもあるし、そうでもないの」
「あなたがあまりにも大きくて、私一人じゃあ役不足だって感じたの。あなたのものも、もちろんその一例だよ。だからその不安を埋めるために、私が大した女性であることを認めるために、私よりみっともない男といっぱい寝ることにしたんだ」
思考が及ばない話をどこまでも続けた。
「それは、あくまで仮定の話だよね?」
「あくまで、現実的な話だとしたら?」
彼女は微笑む。その微笑みは、蝉の抜け殻のように乾いている。僕はそれが現実なら、過去に何が起きていたのかを想像する。浮かぶ美醜雑多な二十ー五十の肉体。その下から上を隈なく、あるいは漏れがないか入念に点検するように、彼女が這わせる舌の紅色。自らを誇示する微笑みで、「どう気持ちいい?」と問うブラインド越しの真夜中の月光。僕はそういうことを想像する。勃起はない。被虐願望がまたないから。
「とても嬉しいよ」
「それはどうして?」
「真央のテクニックが向上するからだよ。あの、魔性のテクニックがね」
何かを振り切るように、ふざけて言う。何を振り切って何を捨て去ったのか。考えると、当てがない気がしたから止めておいた。哲学的見地が大体日の目を見ることなく終わるのと同じ理屈だ。思考は基本完璧に単純化すればするほど、生きやすい世の中だ。賢い奴は、大体馬鹿らしいのだ。
「じゃあ私のあれは、かなり上手くなっていた?」
「きっと、現在進行形でね」
「やっぱり、これはあなたのあそこの話よ」
***
僕は今そこら辺のことを浮かべて、眠ろうとしている。過去を今にして、今を明日に送り届けようとしている。今というものが、彼女と離れてから、ずっと、本当にずっと、欠落しているせいだ。
過去に生きていることを今現在自覚していることだけが、唯一の「今現在」になるわけだから、虚しいって言ったらありやしないのは、腑抜けたもやしも同じだ。
まな板の上で、ナイフの柄を握りながら、インゲンともやしの違いを見失っていた。そして、今僕は何を調理し、何から調理されているのか。主体と客体の関係のことを思った。
***