(5)
客足が途切れた昼下がり、新しい錬金がうまくいかずフィーテは唸っていた。
「うーん? むずかしいなぁ・・・。 師匠にもう一度聞いてみようかな」
休憩を兼ねて錬金室から出たフィーテはクシアの元へと向かった。
クシアはキッチンで遅めの昼食を作っていた。疲れた様子でキッチンに入ってきたフィーテに気づくと笑いかけた。
「やあフィーテ、その様子だと苦労してるみたいだね」
「そうなんです。 ポーション作るのとは全然違くて・・・」
「ポーションは錬金というより調合の要素が強いからね。 新しく教えたのはもっと錬金術が主体になるからその分難しいんだよ」
クシアはテーブルに二人分のオムレツを置いた。焼けた卵とバターの匂いが広がり、フィーテは鳴りそうになったお腹を咄嗟におさえた。
「さ、タイミングも良いみたいだからご飯にしようか。 錬金術は食べ終わったら教えてあげるよ」
食事中、スプーンでオムレツをつついていたフィーテが「そういえば」と切り出した。
「ねえ師匠、なんで冒険者さんたちってポーションとかの薬や発火石みたいな道具をまとめてアイテムって呼んでるんですか? 」
その疑問は実のところずっと前から思っていたことだった。
だけど来る客来る客がみんな自然を使っているものだからフィーテは完全に聞くタイミングを逃していたのだ。
「ああ、そういえばまだおしえてなかったっけ。 と言っても別に深い意味はなくて冒険に必要な物、つまり薬や道具、武器と防具とかを全部ひっくるめてアイテムって呼んでるだけなんだけどね。 店で買うときとかアイテムくださいって言えば伝わりやすいから」
「そうなんですか。 でもなんでそんなことを? それなら最初から冒険者向けの店で買えばいいんじゃないんですか?」
「今はそうしてるよ。 でも昔は日用品も冒険用のアイテムもごっちゃに売ってるとこが多かったらしくてその名残だね」
オムレツの最後のひとかけらを口に入れながらクシアはそう締めくくった。
「なるほど・・・身近にあるアイテムといえばポーションにアンチドーテ、各属性の晶石に・・・他にはどんなのがあるんですか?」
「ここらで使われてるのはだいたいその辺だけど・・・この前売れた『ニードルボム』や『お帰りランタン』とかがあるね。 あとはアイテムに限らないなら『灯火石』とか『清めの粉』とかかな。 このへんはそこまで難しくないからそのうち作り方を覚えてもらうから」
「うーん、できるかな・・・。 でも使われてるアイテムって思ったより少ないんですね」
「この町の近くじゃそうかもしれないね。 でもね、覚えておいて」
クシアは窓の外に視線を向ける。
「どれだけ安全だと思われてる場所でもね、冒険をする以上は危険が付きものなんだよ。 だから僕たち錬金術師は常に新しい物を作ろうとするんだ」
背中に鈍い痛みを感じながらディドは目を覚ました。
「う、いてて・・・落ちたのか、俺」
ほんの少しだが気を失っていたことに気づいたディドはゆっくりと体を起こす。
上を見ると花が咲いていた崖のでっぱりが崩れている。崩れた破片に当たらなかったのは不幸中の幸いだった。
「あ、ディド・・・大丈夫・・・?」
「リオンス!? お前、その足!」
リオンスの姿を見たディドは自分の体の痛みを忘れて立ち上がった。
木に寄りかかるリオンスの足には大きめの尖った石がズボンを貫き刺さっていた。傷からはまだ新しい血が流れて出ていてその傷の深さを物語っていた。
ディドを心配させないように笑顔を浮かべているがその顔には脂汗が滲んでいる。無理をしているのは一目瞭然だった。
「人の心配してる場合かよ! くそ、俺のせいだ・・・俺が調子に乗ったから・・・」
「・・・そんなことないよ。 それに、それ俺のために採ろうとしてくれたんだろ?」
その時ディドはようやく自分が血のついた手で白い花を握りしめたままなことに気づいた。とりあえずそれを袋にしまうとまだ混乱している頭で何をするべきか考える。
「そうだ・・・ポーション・・・!」
思い出したのはリオンスが師から貰った薬のことだった。
リオンスの腰の袋からポーションを、自分の背嚢から水筒を取り出し地面に置いた。
「リオンス、今から治療するぞ。 石を抜くから・・・我慢してくれ」
「うん、まかせる」
ディドはリオンスの足に刺さった石を掴む。それだけでリオンスは顔を歪めたがだからといって止めるわけにはいかない。ディドは覚悟を決めた。
「いいか? 痛むぞ?」
「うん、・・・やってくれ」
石を力いっぱい引き抜くとリオンスの口から噛み殺した悲鳴が漏れる。
石片は足の肉を深々と抉っていたようでまた新しい血が流れ出た。
ディドは焦る気持ちを必死に抑えながら水筒の中身を傷口にかける。
「いつも師匠がな、ポーションを使う前に傷を洗えってうるさいんだ。 傷に汚れがあると回復力が落ちるんだと」
「いづづ・・・へえ、そうなんだ・・・。 店長さんは、物知り・・・なんだね・・・」
「ほんとにな、俺とそう歳離れてねえのによ・・・。 よし、こんなもんか。 リオンス、ポーション使うぞ」
傷口は十分に洗えたと判断したディドはポーションを手に取った。そこで一抹の不安が過った。
今ディドが手に持っているのは彼自身作ったポーションだ。それが店にはとても出せない劣化品であることはディド自身が一番良く知っていた。
「頼むぞ、効いてくれよ・・・」
祈りながらポーションを傷に振りかけると僅かに傷が癒えた。だがそれ以上の効果がない。
傷が深すぎてポーションの治癒力では足りないのだ。
「くそっ! もう一本だ!」
続けて二本、三本とポーションをかけるが治りは良くない。自分が作った五本全部を使ってようやく出血が止まったが傷はほとんど塞がっていない。
正直なところディドは今日の朝までポーションのことを軽視していた。即効性さえあれば少しぐらい効果が弱くても良いと本気で思っていたのだ。
その結果が目の前にあった。
出血こそ止まったもののリオンスの傷は未だにぱっくりと開き真っ赤な中身を覗かせている。
「くそ・・・ちくしょう、くそ・・・! なにが大丈夫だ、なにが完璧だ・・・」
ディドの目に涙が浮かぶ。
情けなかった。師の言葉を軽んじ自分の才能を過信して、課題に真面目に取り組まなかった結果がこれだった。
「だい、じょうぶだ、ディド。 すごい楽に、なったから」
「そういうのは治ってから言いやがれ! くそ、ほかになにかないか。 なにか・・・」
その時、ディドはリオンスの袋の中にまだなにかが入っていることに気づいた。
薬草でもなんでもいい。そう思いながら取り出すとそれはポーションの瓶に入った緑色の液体だった。
「なんだこれ、ポーションだよな・・・? ・・・匂いはそれっぽいな」
蓋を開け匂いを嗅ぐがディドには判断できない。そこで手の傷に一滴だけ垂らしてみることにした。
するとたった一滴で傷は塞がり跡すらも残らなかった。
「うおっ、まじかよ。 ・・・これなら」
ディドは緑色のポーションをリオンスの傷にかける。
ポーションがかかった場所が淡い光に包まれた途端、抉れていた肉がみるみるうちに塞がり始めた。
光が収まった後の足破れたズボンだけがそこに傷があったことを示していた。
あまりの効果にディドが絶句する傍らリオンスも驚いた様子で身体を起こした。
「あれ? 痛くない!?」
リオンスが自分の足、怪我があったところを見るが傷は一切見当たらない。それどころか痛みも消え去ったことに戸惑っている。
「すごい・・・今のは?」
「たぶん、師匠のポーション。 あんなにすげえのは俺も初めて見たけど」
信じられない様子で足をぺたぺたと触るリオンスだが何度見ても傷はまるて元から存在していないかのように。
その横でディドは気付かれないようにぎゅっと手を握りしめた。
それから夕日が沈み始める頃にディドとリオンスはミトラス錬金雑貨店に戻ってきた。
未だに夢を見ているような気分でリオンスは頼まれていた薬草をクシアに渡した。クシアはその様子に気付きながらもあえて触れず薬草を数え始める。
そんなクシアにディドが尋ねた。
「なあ師匠、あの緑色のポーションってなんなんだ?」
「ああ、ハイポーションのことかい?」
「ハイポーション?」
リオンスが聞き返す。
「簡単に言えばすごいポーションだよ。 その様子だと使ったみたいだね」
「はい。 実は・・・」
ディドとリオンスは事情を話した。
「・・・っ、ごめんなさい師匠! もっとちゃんと師匠の言うこと聞いてれば・・・!」
「慢心したのも無茶をしたのも褒められたことじゃないけど、無事で良かったよ」
話を聞き終わったクシアは安心した息を吐いた。そして一つ咳払いをすると居住まいを正した。
「さてリオンス、依頼の報酬だよ」
クシアは一枚の細長い布をカウンターの上に置いた。
「これは『癒しの巻き布』っていってね。 怪我したり、痛めた所に巻いておくと治りを早める効果があるんだ」
「えっ、すごい!」
「便利だけど効果が低くてね。 一晩身に付けて小さい傷を治せる程度なんだよ」
「それでも十分すごいですよ! 本当にいいんですか?」
「遠慮しないで。 それよりもそろそろギルドに行った方がいいよ。 ギルドは遅くまでやってるけどガラの悪いのが多くなるからね」
「はい! それじゃディド、また今度」
リオンスは深々と頭を下げるとディドに手を振り店を出ていった。
それを見送るとクシアは沈んだ様子のディドの頭をぽんと叩いた。
「ちょっ、師匠なにを」
「その様子なら自分になにが足りなかったか理解できたみたいだね」
「・・・ああ」
頷くディドは真っ直ぐな目でクシアを見ていた。
「『術師たるもの探求を忘れることなかれ』だよ。 最近のディドはどうにも現状で満足してたみたいだからね。 不安だったけど、まあ考えを改めてくれたみたいでよかった」
「うぐっ・・・ち、ちくしょー。 今となっては昨日までの俺を殴り飛ばしてえ」
「でも今のディドならもう大丈夫。 今のその気持ちを忘れないならね。 それじゃフィーテと同じように新しい錬金に挑戦してみようか」
「本当か師匠!」
ディドの顔がパッと輝いた。
「うん。 もっともポーションの作り方をもう一度勉強しなおすのと平行してだけどね」
そしてクシアの言葉に曇った。
「え? そこはさっともう一度試験やってとかいう流れじゃねーの!?」
「それは駄目。 矯正してきたい癖もあるし・・・というよりポーションをちゃんと作れないんじゃ後で困るからね。 ここは僕も心を鬼にしてきっちり教え直してあげるから」
「う・・・たしかにそう言われると。 わ、わかったよ」
「うん、よろしい。 それじゃフィーテを呼んできてくれるかい。 少し早いけど夕飯にしよう」
クシアはそう言うとキッチンに歩いていった。
「よし、もうあんな思いはしたくねえし頑張るか!」
ディドは自分の頬を一度思いっきり叩くとフィーテを呼ぶために錬金室に足を向けた。
その顔は生き生きとしていてやる気に満ちていた。